part10
2人の少女が人気の少ない学校の廊下を歩いていた。
一人は、柔らかな髪をひとつのお下げにした、めがねをかけた文学少女っぽい女。
もう一人は、癖の無い茶色い髪を肩のあたりでばっさり切った、快活そうな女。
どちらも同じ制服を身に着け、同じ青のスカーフを巻いている。
「どこに連れて行くつもり?これから部室にいかなきゃなんないんだけど」
その茶色い髪の少女が、明らかに不満げな声をあげる。若干頬がこけ、顔色が悪く感じられるが、目つきはその年頃の娘とは思えないほどに鋭く、そしてなんとも言えない一種の威圧感のようなものをかもし出している。
「ごめんね、智里。あんまり、人に聞かれたくない話なの」
もう一人の文学少女っぽいほうが、懸命になってそれをなだめている。その文学少女は、昨日、一樹らに相談を持ちかけていた、神原奈津美だ。
そして、彼女がなだめているのは、彼女の同級生であり親友の、青木智里。一樹らが図書室で見た、食い入るように本を読んでいた少女である。
その智里の肩には、あの時と同じように、醜悪な姿の黒い小人が立っている。
「うん、ここ、ここなら大丈夫」
そのとき、奈津美がそう声をあげて足を止めた。つられて智里も足を止め、入り口を見上げる。
生徒会室。入り口にはそう書かれている。本来なら、クラス委員でもなんでもない2人にはまったく縁のない部屋だ。
「さ、入って。今の時間だったら、誰も居ないから」
奈津美が手をかけると、ドアは簡単に開いた。カーテンが閉められているのか中は薄暗く、窓から差し込む光で机の影がわずかに見えるだけだ。
「ほら、早くっ!」
智里がいぶかしげに立っていると、いつのまにか背中に回っていた奈津美が、どんっと智里の背中を押した。
「きゃっ!?」
突然のことにバランスを崩し、智里が転びそうになりながら部屋の中に入った。
がらがらがらっ、ぴしゃっ!
その直後、彼女の背後で、ものすごい勢いでドアが閉まる音がした。
「今だ!」
と同時に、部屋の電気がつき、智里にとって聞き覚えのある声が、彼女の耳に届く。
だが、部屋の中を把握する間もなく、彼女は生徒会室の机の上に数人かかりで押さえ込まれていた。
その横に、さっきまで肩に乗っていた黒い小人が投げ出される。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カンッ!」
女の頭上で、呪文を唱えるような男の声がする。
だんっ!
そしてその言葉が途切れた、と思った瞬間、彼女のすぐ耳元で、何かが勢いよく突き立てられたような鈍い音がした。
突き立てられたのは、独鈷杵だった。それは見事に黒い小人の体を捕らえ、胴体を貫通している。
「キイイイィィィィッ!」
その黒い小人、インプは、コウモリの声のような悲鳴を上げると、しゅうしゅうという音とともに、まるで煙のように消えてしまった。
同時に、智里が一度、自分の体をびくんと大きく震わせ、そしてぱたりと動かなくなる。
「ふうっ」
それを見届け、智里を押さえつけていた者たちが、彼女の体から離れる。
「殺ったか?」
その独鈷杵を手にした男に、少し疲れた顔のパンク頭の男が問いかける。
「殺ったかどうかは判らん、手ごたえはあったが、消えちまったんじゃ確認もできない」
独鈷杵を持ったスポーツ刈りの男が、自信なさげに応える。奈津美に相談を受けた大輔と、一樹である。
「ふむふむ、なるほど。今のはアストラル体だったんだな、大気中のアストラル濃度が高くなっている」
その横では、瓶底のような眼鏡をかけた男、生徒会長の城丸がさっきまで黒い小人のいた場所をハンドマイクのようなもので探っている。その背中には、昼休みにはなかった黒い色のナップザックが背負われている。そのザックには何か重い物が入っているらしく、下のほうに四角い角が突き出ている。
「・・・・・・智里?ねえ、智里?起きてよ」
そして、騒ぎが収まったあとに部屋に入ってきた奈津美は、死んでしまったかのようにぴくりとも動かない、自分の親友の肩を心配そうにゆすっている。
大輔が、動かないその少女の手首を取って、脈を診る。そして、その脈がしっかりと伝わってくことを確認して、大丈夫だということを伝える。
それを聞いて、奈津美はほぅっと安堵のため息をついた。
「それにしても惜しかったなあ。捕まえてみたら色々試せたのに」
その後ろでナップザックを背負い、特殊警棒を持った会長がぼりぼりと頭を掻きながらつぶやく。
「会長、不謹慎よ」
倒れた女の子の様子を心配そうにのぞきこんでいた沙代子が、顔を上げてきっと会長の顔をにらんだ。
「・・・・・・ん・・・・・・」
そのとき、うつ伏せになって倒れていた女の子の口から、かすかにうめくような声がもれた。
「智里!」
「・・・・・・あれ、ナツ・・・・・・?あれ、ここ、どこ?」
やがて、顔をあげたその子の口から、そんな小さな声が漏れた。
それを耳にして、奈津美はほっとしたように大きく息を吐いた。
「どうだ、チリ坊。気分は?」
大輔が親しげに声をかけると、その女の子、智里はそちらを向き、そしてちょっと首を動かしたあとで怯えたように体を硬直させた。
その視線の先には、知らない人が立っていたからだ。しかも手には武器になりそうな何かを持っている。
「大丈夫、怖い人じゃないよ。みんなで、智里のこと、助けてくれたんだよ」
奈津美が声をかけ、智里もようやく警戒を解いた。
「早速だが、お前たちは一体何をしたのか教えてもらおうか」
すると、一樹がすかさず目の前の下級生に問いかけた。
間をおかず大輔が「脅してどうするんだ」と注意を促すが、一樹はまったくかまう様子が無い。
「門司君、相手は女の子なんだから、もっと安心させてあげなきゃダメよ」
その様子を見かねたらしい沙代子が割って入ると、穏やかな口調で未だに表情を硬直させている少女、智里に話しかけた。
「青木さん。私たちは、あなたたちを助けたいの。オカルト研究部の部室で何があったのか、覚えているだけのことでもいいから、教えてくれないかしら?」
すると、今まで恐怖で閉じていた智里の口が、ぽつりぽつりと動き始めた。
「えーと・・・・・・部長の赤石先輩に、召喚の儀式をやるからって言われて、夜に集まったんです。部屋に入ると、フードのついた、黒いマントを渡されて、みんなそれを羽織って。それから、床に、魔法陣を書いた紙を敷いて、蝋燭を立てて、部長が、翻訳した呪文を唱えて・・・・・・すると、その魔法陣から黒い煙が立ち上って、何か声が聞こえて、煙の中から何かが飛んできて・・・・・・そこから先は、よく覚えてません」
いまいち要領を得ない答えだが、それでもあの日になにがあったのかは、おぼろげながらも他の者たちにも判ってきた。
「オカ研の連中、本気で悪魔召還か何かやったみたいだな」
そういい切って、一樹は深いため息を吐いた。
「見ろ、やっぱり赤石がやらかしたんじゃねえか」
ホルスターから取り出したエアガンを弄びながら、大輔は勝ち誇ったようにそう言った。
「えーと、○月×日午後5時、インプ確保失敗、一撃で消滅。しかし、同時に取り付かれた女生徒を正気に戻すのに成功。女生徒は数日前の儀式から記憶が途切れている様子。なお、例のインプと呼ばれる怪物は他のオカルト研究会員全員に憑いていると思われるので、次回は捕獲を試みる予定」
会長は、手帳を取り出すと、今の状況をそこに記録しはじめる。
「智里、立てる?痛いところとかない?」
「・・・・・・うん、大丈夫」
奈津美は、ようやく正気に戻った智里を心配し、立たせようとしている。
「おし、裏は取れた。あとは瑞姫をつるし上げりゃ」
「ちょっと待って」
大輔が調子のいいことを言って立ち上がった時、突然、紗代子が口を開いた。
「もう一度、確認していいかしら。部室で、黒い煙がでてきたあとの話だけど」
そして、椅子に腰掛けた智里の顔を覗き込むようにしながら問い掛ける。
「確か、煙が出て、何かの声がして、そして煙の中から何かが出てきたのよね。順番はこのとおりでいいのかしら?」
「え・・・・・・あ、はい、多分」
「その声って、どんな声だったか、覚えてる?部員の誰かの声とか、そんなのでいいから」
「え、えっと・・・・・・」
矢継ぎ早に質問されて、智里は困惑した表情を浮かべる。
「どういうこったい」
「赤石さんが何かを呼び出したのは間違いないわ。でも肝心なのはその先ってことよ」
紗代子がそう断言した瞬間、智里の顔色がさっと青ざめた。
「そう・・・・・・そうだわ、あれは、低くて、気味の悪い声だった。あれは、先輩たちの声じゃない」
そして、智里はさらに何かを思い出したらしく、突然悲鳴をあげると、頭を抱えて体を縮込ませてしまった。よほど恐ろしいものを思い出してしまったようだ。
「智里、智里!大丈夫!?しっかりして!」
奈津美が慌てて智里の体をゆすって声をかけるが、智里はがたがたと振るえながら、まるで胎児のように頭を抱えて縮こまっている。
「・・・・・・なあ、これって、すっごくヤバくね?」
その様子を見ながら、だんだん不安になってきたらしい大輔が一樹に声をかける。
「いや、まだ落ち着かせれば大丈夫だ」
一樹はそう断言してから、腰を下ろし、智里に呼びかける奈津美の肩に手を置いた。
「神原、青木が落ち着くまで、呼びかけを続けるんだ。多分、この中では君の呼びかけが、一番彼女を落ち着かせるから」
そして、静かな口調で奈津美に話しかける。奈津美は、頷くと智里への呼びかけを再開した。
「それにしても、どうするよ、これから」
立ち上がった一樹に、手持ち無沙汰な大輔が声をかける。
「他のオカ研連中は部室に集まっているらしいから、乗り込んでみるか?」
「いや、それはちょっと考えものだね」
そこに苦言を呈したのは、会長だった。
「オカ研は全部で11人。そのうち、ここにいるのが2人。今日学校に来ているのは、確認が取れただけでも9人いるから、部室には最低でも7人の部員がいる。さっきの青木君の状況から分析すると、インプが憑いている間は自分の意識がはっきりしていない、多分インプに操られているから、そう簡単に倒されてはくれないだろう」
「それに、彼女の言うことが正しいとしたら、俺たちが動いていることがあちらにも知れたはずだ。あっちがどう動くか」
呼吸を整えながら、一樹がそこまで話した、そのときだ。
がらっ。
不意に、生徒会室のドアが開けられた。
頭を抱えてうずくまる智里を除く全員の視線がそちらに向けられる。