⑦
数メートルの時に車のドアが開けた。雨にも構わず男が身を乗り出した。ブロンドの髪と緑の瞳、どこかの外人が物珍しさに近づいてきたのかと思っていたが。
「お前か? フセキというのは」
委縮するか、慌てるかしそうな上からのもの言い、力のこもった声だった。だがフセキは普通に会話するようにゆっくりとしていた。
「そうだけど、何か用?」
自分のこと知っている。それは何かしらの用があるということだ。そこですぐに思いつく用事というものがあった。それは意味がなくさらに不幸を呼ぶものだ。
「俺は過能院 行雲だ。一緒に来てもらうぞ」
「……拒否権は?」
「そんなものはない」
自己中心的なのか他人を気にしない振る舞い、この男はそれが当たり前の環境で育ったのだろう。
「雄介、早くしろ」
「はい、はい」
いつの間にかフセキの視界に現れた雄介と呼ばれる男は、困ったように笑った。仕方ないといった風にフセキの左脇を持ちあげる。行雲が右側を持ちあげて車に押し込む形で乗せられていた。
「え?」
対抗する間もなく、車の中に押し込められたフセキは驚きながらも、となりに乗っている行雲を見る。いつの間にか運転席にいる雄介がすぐさまエンジンをかけ、車を動かし始めた。
「……私に何か恨みでも?」
最初に思いつく用事を伝える。雨にぬれて肌に張り付いた布によってか身体がとても冷たく感じていた。
「お前は恨みを買うようなことをしたのか?」
行雲が当たり前のことを聞くかのように質問を質問で返してきた。その瞬間にフセキの頭に駆け巡るのは写真でしか知らない両親の顔、親戚の姿、孤児院の子供たち、様々なものが一瞬だけ過った。自分の意志でも行動のせいでもないに起きること。
「そんなこと一度だってない」
その言葉には今までの人生を否定するだけの意味が込められ、絞り出すかのように出ていった。
「ならそんなことを聞くな」
事象も知らず、自分の意見を通すその言葉に先ほどとは違った感情を湧きあがらせる。
「……なんの用なの?」
「用があるのはお前自身だ。お前がこの地域で不幸を呼ぶ者などと呼ばれているからわざわざ会いに来たのだ」
「くだらない。……帰らせてもらうわ」
本当にくだらない理由だった、ただのうわさで野次馬のごとく人間は集まる。好奇心を抱いて近づいてくるだけだ。理由もなくただ本当なのか面白そうだからなど確かめるだけだ。
「そういうわけにはいかない。確かめてからだ」
「そう、なら勝手に確かめればいい、私は勝手に帰る」
予想していたものよりもはるかにくだらないことに少し血が上ったのか強い物言いで、走行中の車のドアを開け放つ。
そのまま落ちるように外へ行く。これで死ねるならそれでいいといったように眼を閉じ、身体を放り出した。
「どこへ行く!!」
フセキの行動についていくようにドアの外へ飛び出し、捕まえたのは行雲だった。こちらも死や怪我なんてものを考えていない。目的に一直線だった。
「行雲様!」
一番慌てたのは張本人達ではなく運転手の雄介だった。声をかける暇もなく、二人は車外に出て行ってしまったのだから。
フセキを覆うようにしている行雲。二人とも雨で濡れた地面と衝突し、速度を消費する仕事は衝撃となって二人の身体を貫く。
最初に地面にふれたのは行雲の肘、そこから回転しながら地面との摩擦によって皮膚や服が奪われていく。行雲の額に裂傷ができ、派手に血を撒き散らしていく。幸い何にもぶつかることなく歩道付近で身体は止まった。
布が剥がれ、露わになった顔。漆黒の髪は雨に濡れ頬に張り付く。まだ幼さの残っている顔の白い肌には赤色が混じっている。
まだ意識のあるフセキの薄く開かれた真黒な瞳は大きさを増していく。瞳は驚きで揺れ、雨ではない液体で湿りだした。眼の前には血を流す行雲がいた。会って数分の人間は今自分以上に怪我をし、倒れている。その事実が表情を変えさせる。
フセキと違って身動きしない行雲に対して、痛みよりも悲しみが顔を染め上げていた。
「うぅあ……うして、どうしてなの、あなたがなんで、なんでいつも、ただ巻き込みたくないだけなのに」
嗚咽をもらし、痛む腕を鈍い動作で伸ばしていく。痛みの警告を無視して伸ばしていく。その手は次第に重力に負けて下がってしまった。開いていた眼はゆっくりと閉じ。やがて意識は闇に溶けていく。