②
「俺にはいらないといっているだろ」
ある一室の中でブロンドの髪の青年が、燕尾服を身につけている初老の男性に声を張りあげていた。
「そうおっしゃいましても、坊ちゃまを一人にするわけには」
「鈴木、坊ちゃまと呼ぶな」
「失礼しました。ですが旦那様も行雲様を一人にするのには反対をしております」
鈴木は焦りながら口早に言葉を紡いでいる。折れるわけにはいかないためがんばっているようだ。しかし行雲の眼には迷いもなく、自分の考えを折る気も、曲げる気もまったくない。それよりも鈴木を複雑骨折させんばかりの勢いだ。
「一人で大丈夫だといっている。今まで他人の助けなどなくてもやれていた」
「し、しかし」
「しかしも案山子もない。明確な理由を言ってみろ」
行雲は折れるつもりも折れるわけもないという意思が伝わっているのか、鈴木も折れないように抵抗している。そのためずっとこの繰り返しをしている。鈴木は冷や汗をかき、行雲はため息をつく。そんな膠着状態を壊したのは部屋に響くノックの音だった。
「入れ」
「失礼いたします」
入ってきたのは家内帽を被り、黒の服に白のエプロンを着た老婆だった。困り果てている鈴木を一瞥すると落胆するように息を吐いた。長年勤めているのか貫禄があり、物怖じせずに行雲の眼真っ直ぐみている。
「貝瀬かどうした」
「行雲様にお聞きしたいことがございます」
「なんだ」
「行雲様は何故ここをきらうのですか?」
「そんなものは決まっているだろ。ここの暮らしがつまらないからだ。過能院家にいたのでは俺は腐ってしまう」
今さら話の振り出しに戻され、苛つきを露わにさせる。そんな怒声にもビクともしない貝瀬は口を開く。
「過能院家の環境はご不満ですか? 他の家庭など比べ物にならないほど裕福な暮らし。身の周りの世話などを行う私ども使用人、後継者として保障された人生、どこにご不満があるのですか?」
「俺は自分の力のみで生きていきたいのだ!! 過能院の名で周りは媚びへつらい、親の七光などと揶揄される。何をやろうにもお前たちの眼や変な運によって達成感など皆無だ。そのせいで俺の人生は壁や坂がない常に真っ平らだ! こんなつまらない人生など認められるか」
行雲の言葉はため込んだものを吐きだすように勢いだけは凄まじい。鈴木によってそうとう溜められていたからだ。
「そうですか……では一人になって、何になるのですか」
「……こんな生活よりはましになるだろう」
「それで行雲様は変われるというのですか? 今までどんなに新しいことも簡単にやってのける才能と女神に愛されているのがごとく付きまとう幸運に」
「それは……」
痛いところを突かれ、勢いが瞬く間に無くなってしまった行雲の言葉はなく、何かを言おうと口を開くが何もでないまま閉じる。
「甘えているのは行雲様自身です。一人になる程度で変われると希望的な観測はおやめください。そもそも過能院家の影響力はどこへ行こうと関わってくるものです。そこでわたくしの考えですが――」
変わらない姿勢でしゃべる貝瀬をしり目に、考えを改めるという可能性を見出した鈴木が安堵するかのように胸を撫で下ろした。ただ行雲は諦めてはいない。
「しかし……」
「案山子もありますよ。最後までお聞きを、わたくしは意見があるのです。それは足手まといを用意するのがよろしいかと」
「足手まといだと?」
行雲は疑問を浮かべる。そして何を余計なことをと慌てる鈴木を置いて話は続いた。
「はい、一人の力では変わらないのであれば変えさせる存在を用意すればいいのです。能力の劣るものと行動をともにすることで、周りの者への理解など得るものも多いでしょう」
「おお、良い考えだ」
「さっそくその人物を探すのが良いでしょう」
「ああ、そうするか」
先ほどまで折れかけていた行雲は、より強固な考えを持って意気揚々と出て行った。そんな姿を見て逆に鈴木は怒りを露わして足早に動き出す。
「あのままなら行雲様の意見を通さずにいけたはずです、何を余計なことをなぜするのですか!」
「あのまま意見を潰しても、また何か行動しようとするでしょう」
「しかし」
「あなたには案山子はないのですよ。行雲様もおっしゃっていたのでしょう?」
「……盗み聞きでもしていたのですか」
苦虫を噛み潰したかのように眉間にしわを寄せる。まったく表情を表さなかった貝瀬は少し笑ったように見えた。
「予測がつくだけですよ。どうせならばああやって意見をそらして誘導すれば良いだけの話です」
「まさか、人物のリサーチに」
「手は回してあります。出てくる情報の人物は過能院家の息がかかった者のみです。これで行雲様の行動の把握と安全の確保は行えるでしょう」
「うまくいくでしょうか」
「行雲様は意外と単純ですので大丈夫でしょう」
鈴木は執事として一〇年以上勤めているが、貝瀬はメイド長の任期を何十年も務めている。また過能院家当主に直接反論できる存在として恐れてもいる。
「あなたも使用人の地位は高いのですから誘導くらい行えないといけませんよ」
そういうと鉄仮面のメイド長は部屋を後にした。そしてメイド長には到底かなわないと思わされた鈴木はため息を吐くばかりだった。