向いている
人に向いている仕事を見つけてやるのは、いいことだと思っていた。
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村瀬を教室長に推したのは、私だ。
二年前の十二月だった。エリアの会議で、南教室の教室長が異動になると聞いて、私はその場で村瀬の名前を出した。
「まだ二十八ですけど、向いてると思います」
誰も反対しなかった。
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村瀬は数学の講師だった。
授業がうまい、というのとは少し違う。生徒が帰らない。
授業が終わっても、五、六人が教室に残っている。質問をしているわけでもない。ただ残っている。村瀬はそのあいだ、机を拭いたり、板書を消したりしながら、たまに何か言う。
私は一度、その様子を見て、これは才能だと思った。
あとで一人の生徒に、なぜ残るのかと聞いたことがある。中三の男子だった。
その子は少し考えて、こう言った。
「なんか、帰れって言われないんで」
私はそれを、いい話として本部の研修で紹介した。村瀬がその場にいたかどうかは覚えていない。
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数字も良かった。
村瀬の担当していたクラスは、退塾がほとんどなかった。年度の途中でやめる子が、他の講師のクラスの三分の一だった。
私はその数字を会議で出した。
「村瀬に任せれば、南は上がります」
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村瀬に話したのは、その週の金曜だった。
教室が閉まったあと、二人で残った。私は缶コーヒーを二本買って、一本を渡した。
「南の教室長、やってみないか」
村瀬は、少し黙った。
それから、こう言った。
「授業だけやっていたいんですけど」
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私は笑った。
謙遜だと思ったからだ。
「みんな最初はそう言うよ。俺もそうだった」
「そうですか」
「やってみたら分かる。教室を持つと、見えるものが違うから」
村瀬は「はい」と言った。
その「はい」を、私は承諾だと受け取った。
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翌年の四月から、村瀬は南教室の教室長になった。
辞令を渡したとき、村瀬は普通の顔をしていた。嬉しそうでもないし、嫌そうでもない。私はそれを、緊張しているのだと思った。
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教室長になると、管理監督者という扱いになる。
うちの会社はそうなっている。労働基準法の四十一条の二号に、管理監督者には労働時間や休日の規定を適用しない、という条文がある。だから時間外の割増賃金は出ない。
代わりに役職手当がつく。月に四万円だ。
私は村瀬にそう説明した。
「残業代はなくなるけど、手当がつくから。トータルでは上がるよ」
村瀬は「はい」と言った。
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実際には、上がらなかったと思う。
教室長は遅い。生徒が帰るのが二十一時半で、そこから片づけと報告と、翌日の準備がある。二十三時を回ることも珍しくない。
講師のときは、それが全部残業代になっていた。
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ただし、深夜の割増だけは出る。
管理監督者でも、二十二時から翌朝五時までの深夜労働には割増賃金を払わなければならない。労働基準法の三十七条に、そう書いてある。時間外と休日は除外されるが、深夜だけは残る。
だから村瀬の給与明細には、深夜割増の欄だけ、毎月数字が入るようになった。
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村瀬が一度だけ、そのことを言った。
六月ごろだったと思う。事務所ですれ違ったときに、こう言った。
「深夜手当だけは出るんですね」
私は笑って答えた。
「そうなんだよ。あれだけはね」
村瀬も笑った。だから私は、笑い話だと思った。
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いま考えると、あれは笑い話ではなかった。
深夜割増の欄に数字が入るというのは、二十二時を過ぎて働いた、という記録だ。
毎月それが増えていくというのは、そういうことだ。
明細は本人にしか届かない。私は見ていない。
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村瀬の授業は、四月に三コマから一コマに減った。
教室長は授業を持たないのが基本だ。持っても一コマ。あとの時間は、保護者面談と、体験授業の対応と、退塾防止の電話と、本部への報告に使う。
私はそれを、当たり前のこととして説明した。
「授業はもう卒業だよ」
村瀬は、うなずいた。
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教室長の一日を、正確に書く。
十三時に出て、まず前日の報告書を出す。生徒数、問い合わせ件数、体験の申込、退塾の申出。数字が動いていれば理由を書く欄がある。
十四時から十六時は電話だ。欠席した生徒の家に確認の電話をかける。三か月以上休みが続いている家には、退塾防止の電話をかける。
十六時から二十一時半が授業時間帯で、村瀬はそのうち一コマだけ教える。残りの時間は、面談か、体験授業の対応か、講師のシフト調整をしている。
二十一時半に生徒が帰る。それから片づけをして、翌日の準備をして、報告を書く。
村瀬が得意だったことは、この中に一時間半しかない。
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夏に、南教室の数字が落ちた。
退塾が増えた。前年の同じ時期の、倍近くになった。
私は村瀬を呼んで、原因を聞いた。
村瀬は資料を用意していた。学年ごとの退塾者数と、理由の内訳と、面談の記録。よくできた資料だった。
「対策は考えてます」
「うん。頼むよ」
私は、そう言って帰した。
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このとき、私は一度も、なぜ落ちたのかを自分で考えなかった。
村瀬のクラスは退塾が少なかった。だから村瀬に教室を任せた。
任せた結果、村瀬は授業から外れた。
外れたら、村瀬のクラスはなくなる。
書けば、当たり前のことだ。
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秋に、全社でストレスチェックがあった。
五十人以上の事業場では年に一回やることになっている。うちは本部と教室を合わせて対象になる。
私のところには、案内のメールが来た。実施日と、回答用のURLと、注意事項が書いてあった。
私はそれを、各教室長に転送した。
「回してください」とだけ書いて送った。
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結果は、私のところには来なかった。
来ないのが正しい。ストレスチェックの個人結果は、本人の同意がなければ事業者に知らせてはいけないことになっている。
誰が高ストレスだったのかを、私は知らない。いまも知らない。
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高ストレスと判定された人は、申し出れば医師の面接指導を受けられる。
結果の通知から一か月以内に申し出ることになっている。申し出があれば、会社は一か月以内に医師の面接を用意しなければならない。
申し出なければ、何も起きない。
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申し出なかったことを理由に、不利益な取り扱いをしてはいけない、とも決まっている。
高ストレスだったことを理由にしてもいけない。面接を受けたことを理由にしてもいけない。
全部、本人を守るための決まりだ。
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この決まりは、よくできていると思う。
結果を会社に見せるかどうかを本人が決められる。面接を受けるかどうかも本人が決められる。どちらを選んでも不利益にならない。
全部、本人が決められる。
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村瀬は、申し出なかった。
それを私が知ったのは、村瀬が辞めたあとだ。人事の担当者が、記録がない、という言い方でそう教えてくれた。高ストレスだったかどうかは、その人も言わなかった。言えないからだ。
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十一月に、村瀬が痩せた。
顔つきが変わった、と言ったほうが近い。頬のあたりが削れて、目だけが大きく見えるようになった。
私は言った。
「痩せたな。大丈夫か」
「大丈夫です」
「無理するなよ」
「はい」
私は、それで終わりにした。
大丈夫です、と言われたら、それ以上は聞けない。聞くのは失礼だと思っていた。
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いま思えば、私は聞かない理由を探していただけだ。
聞いて、大丈夫ではないと言われたら、私は何かをしなければならない。
何をすればいいのか、私は知らなかった。
知らないことを、私は聞かないことで隠した。
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十二月に、私は村瀬と二人で年末の報告をまとめた。
夜の十一時を過ぎていた。村瀬が電卓を叩きながら、独り言のように言った。
「佐々木さんも、教室長のとき、こんな感じでしたか」
「こんな感じだったよ」
「そうですか」
「三年やったら慣れた」
村瀬は「三年ですか」と言った。
私はそれを、励ましたつもりで言った。三年やれば慣れる、というのは、私にとっては事実だったからだ。
村瀬にとっては、あと二年ある、という意味だったのだと思う。
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村瀬が退職を申し出たのは、一月だった。
三月いっぱいで、と言われた。理由は「一身上の都合」だった。
私は引き止めた。二回話をした。二回とも、村瀬は同じ言い方をした。
「よくしていただいたので、申し訳ないです」
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最後の日、村瀬は事務所に挨拶に来た。
紙袋を持っていた。菓子折りが入っていた。
「ありがとうございました」
村瀬はそう言って、頭を下げた。
顔は、悪くなかった。辞めると決めてからのほうが、少し戻っていた。
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「なんかあったら連絡しろよ」
私はそう言った。
「はい」
村瀬は笑った。
その笑い方が、生徒に囲まれていたころと同じだったので、私は少し安心した。
安心した、と思ったことを、私は今も覚えている。
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四月から、南教室には本部から人が来た。
数字は戻っていない。
南はいま、エリアの三教室のうち、いちばん小さい。
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辞めたあとで、私は南教室の勤怠記録を見た。
管理監督者には労働時間の規定が適用されないので、教室長の勤怠は、出退勤の打刻が残っているだけで、上限の管理はされていない。
村瀬の退勤時刻を、四月から順に見ていった。
四月は二十二時台が多かった。七月から二十三時台になった。十一月には、日付が変わっている日が七日あった。
全部、記録に残っていた。
誰も見ていなかっただけだ。
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私は、自分が悪いとは思っていない。
推薦は制度に沿っていた。管理監督者の扱いも会社の規定どおりだ。深夜割増は払っている。ストレスチェックも法律どおりに実施した。結果を見なかったのは、見てはいけないからだ。
村瀬は辞めるとき、私に礼を言った。
どこにも、責められる場所がない。
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責められる場所がないというのは、こういうことだ。
私は二年間、一度もこの件について誰かに叱られていない。会議でも言われていない。
だから私は、いつでもこの件を思い出せる。
思い出しても、何も終わらない。
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村瀬から一度だけ連絡が来た。この夏だ。
短いメッセージだった。
——お世話になりました。いま、別の塾で講師をしています。授業だけやらせてもらっています。
私は「よかった」と返した。
返してから、しばらく携帯を持っていた。
よかった、というのは、本当だった。本当だったから、余計に、どこにも持っていきようがなかった。
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先週、エリアの会議があった。
東教室の教室長が異動になる。後任を決めなければならない。
私は、若い講師の名前を出した。
英語の子だ。二十七で、授業のあと生徒が帰らない。担当クラスの退塾が少ない。
「向いてると思います」
誰も反対しなかった。
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金曜の夜、教室が閉まったあとに、私はその子と二人で残った。
缶コーヒーを二本買って、一本を渡した。
話をすると、その子はしばらく黙って、それから、こう言った。
「授業だけやっていたいんですけど」
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私は、笑った。
笑ってから、自分が笑ったことに気づいた。
気づいたが、次に言う言葉を、私はもう知っていた。
「みんな最初はそう言うよ。俺もそうだった」
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その子は「はい」と言った。
私はその「はい」を、承諾として受け取ることにした。
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家に帰って、私は自分の給与明細を出した。
深夜割増の欄がある。
私が教室長になったのは、二十年前だ。それからずっと、その欄には数字が入っている。
私は、慣れた。
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慣れたということを、私はずっと、向いていた、と呼んできた。




