待合室の闇
日常の会話が、闇の入口になる。
金田松吉は、月に一度の病院通いを欠かさなかった。
血圧測定、血液検査、レントゲン撮影、そして診察。すべてを終えて処方箋を受け取り、薬局へと向かうまでの道のりは、
老人にとって面倒きわまりない儀式だった。
しかしその繰り返しが、病院に顔見知りを増やしていった。医師も看護師も、患者同士も、互いに名前で呼び合う間柄になっていた。
「ああ、金田さん、今日も元気かい。」
待合室のベンチで、隣に座った金蔵が声をかけてきた。
「おう、金蔵さんか。元気ならこんなところに来んよ。」
松吉が苦笑すると、金蔵は喉の奥で笑った。
「せっかく息子夫婦のために家を建てたのに、たった一年で出て行きおったわい。」
「今の若いもんは、そんなもんじゃろうよ。」
松吉はため息をつき、声を少し落とした。
「そういば、ゴールドが値上がりしとるそうじゃな。うちのも全部集めて売ったら、一億超えたでよ。」
金蔵が目を細めてうなずく。
「わしんちも売ったが、とんでもない金額になったわ。驚いたわい。」
松吉は小さく笑いながら続けた。
「最近、危ない連中がうろついとるから、息子のために建てた家にわざわざ電気をつけっぱなしにしとるんじゃ。
独り暮らしの老人だとばれんようにのう。はっはっは。」
その会話は、待合室の隅で本を読んでいた私にもはっきりと聞こえた。
金田松吉という名は、さっき看護師が何度も呼んでいたので覚えていた。耳の遠い彼は、問診票の住所や名前を自分で大声で復唱しながら記入していた。
あの様子では、誰にでも個人情報が筒抜けだ。危ないな、と思った。
その夜、テレビのニュースが流れた。
「――金田松吉さん(78)が、自宅で強盗に襲われ、多数の金地金が奪われるという事件が発生しました――」
アナウンサーの声が、松吉の名前を繰り返し連呼した。画面に映し出されたのは、昼間病院で見かけた、あの老人の顔だった。
私は思わず息を呑んだ。病院の待合室で交わされた、たった一回の軽率な会話。
それが、闇に溶け込むような影を呼び寄せたのかもしれない。
松吉の笑い声が、まだ耳の奥に残っていた――
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