日曜日
僕は目を覚ましたが、眠りについてから30分も経っていなかった。外からは野次が聞こえてくる。治安維持のロボットを振り切って僕らを糾弾している。それが嫌で、僕はまた布にくるまった。
夕方になり、流石の空腹にリビングに降りるとそこにはマウスがいた。彼はいつになく不気味な笑みを浮かべていた。
「おい、屋上行くぜ」
「屋上?なんで」
「いいから来い」
彼に連れられるまま、僕は屋上に歩いていった。屋上へ行くのは、この家の内見以来だ。屋上への扉を開けると、そこは壁のないスタジオのようだった。音楽をやる設備が整っている。
「ゲリラライブをやるぞ」
「何でだよ。今この状況を考えた?」
それは僕が言うべきことじゃない。
「俺なりに考えたんだよ。まず、俺はんなことやってねえんだから、ウジウジしなくていい」
「確かに」
「あと、俺らのジャズなら、あいつらも感動させれるだろ」
「でも、反省してないとかってまた批判されるよ」
彼はまたいつものニヤニヤした微笑みを浮かべた。悪魔の微笑だ。
「『だから何?』だろ」
「いいね、確かにそうだ」
ピアノが置いてあった。グランドピアノじゃなくて、アップライトピアノだ。蓋をあける。調律はしっかりしていて、ほこりも目立たない。いつも整備してくれていたのだろう。
僕は座ると、鍵盤に指を乗せた。マウスも同様に準備をする。長くため息をつく。朝日が降り注ぎ、僕の頭の影が向かいの家を覆った。二人の視線があう。
「始めよう」
題目は『So What』だ。
デモ隊はやはり怒っている。何が音楽だ、反省しろ、とかなんとか叫ぶのが聞こえた。頭の中でまだ先ほどのso whatが流れている。
「おい、そういえばニュース見たか?」
「なんの?」
「ノワールさん、デモ隊に道塞がれて交通渋滞に捕まったって。会場に行けないから、もしかしたら中止になるかもだとよ」
「最悪じゃないか」
そうだ、最悪だ。マウスは言う。「でもマフラー、お前なら助けられる」
マウスはそういうと僕の背中を押した。背中越しにマウスがノワールさんはまだ自宅にいるらしいぞ、と言うのが聞こえる。僕はふわりと家の後ろに着地した。
僕は走っている。月明かりが建物の間をすり抜けて僕の顔を照らしていた。そして僕は考えていた。このままではおそらく、ノワールさんのライブの時間に間に合わない。彼女が悲しむのは絶対に見たくなかった。
走っていると、小さな通りに出た。全体的にオレンジがかっている。何となく奇妙だ。視界の左端に何か明るいものが写り始める。車だ。ゆっくりと走っている。僕の前を横切ったとき、その車の中が見えた。誰も人が乗っていない。アドレナリンでふやけた脳は思い出した。確か火曜日のニュースだ。
「先日、S研究所から自立型走行ロボットが逃走しました。ロボットは依然見つかっておらず、」
そうか、これがおそらくそのロボットだ。この車は乗った人にとって最もいいこととが起こる場所に連れていってくれる。この車に乗ればもしかしたらノワールさんのところに行けるだろう。僕にとって最もいいこととは、全てにおいてノワールさんに会えることだからだ。
しかし、すでに自動走行型ロボットは離れていっている。僕の足では追いつけるかどうか分からない。悩んでいたとき、僕の右腕から声が聞こえた。
「|the time is now, go!《今がその時だ、行け!》」
スマートウォッチだ。訳がわからないまま、僕は車を追って走った。奇跡だ。おそらくすごい確率だ。文が成立している。というか、「その時」とはどの時だ。すると、返事をするように僕の記憶は現れた。今度は月曜日の星座占いだ。
「きかいを逃さないのが重要です!」
あの時は「機会を」だと思っていたが、まさか「機械を」だとは思いもよらなかった。そもそもこの自動走行型ロボットを機械と呼ぶには少し違和感がないか。しかも星座占いで言うには無理矢理ではないか。
そう思ったが、全部どうでも良くなった。ただ面白かった。奇跡が重なりすぎている。何が人生最悪の一週間だ、嘘つきめ。
僕は走り続けて、ついに車に追いついた。前に出ると、事故防止のための自動停止システムが働いた。自動走行型ロボットに乗り込むと、中は意外と普通の車らしかった。
「運転を開始します」
合成音声が流れる。車体が浮いた。高速で世界を駆け抜けていく。
「目的地は、カレン・ノワール」
高級マンションの屋上に、ノワールさんはいた、どうやら月を眺めているらしい。この車が近づくと、好奇の目を向けた。なりふり構っていられない。僕は急いでドアを開けた。
「え、マフラーくん?」
ノワールさんの美しい声が僕の名前を口にする。僕は頷いた。
「何でここに?」
「ライブ、行かなきゃ」
「でももう間に合わないよ」
ネットワークがデモとノワールさんのライブで混沌になっているらしく、大元のサーバが落ちかけているらしい。航空車の自動運転がうまく作用せず、地上の交通も今は破綻している。
「この車なら君を会場まで送れる」
「これ、自動走行型ロボット?」
「そう」
ノワールさんは面白いのか、静かに笑った。
「君はいつも私の危機を救ってくれる」
僕の存在がノワールさんにそう認知されていることが衝撃だった。恥ずかしさを紛らわすため、そそくさと車に再度乗り込んだ。しかし非情な合成音声は告げる。
「燃料不足です。燃料を補充してください」
それはそうか。この一週間この車は走り続けていた。僕は頭を抱えた。しかし今、僕は冴えている。この屋上から見下ろすと、会場が見えた。この距離なら行けるかもしれない。
「ねえノワールさん、僕にしっかり捕まって」
僕はノワールさんを抱き抱えた。そして僕はまた思い出す。水曜日のエデンさんが最後に言っていたことだ。天使の語源、僕は気になってあの後調べたんだった。
天使とは元々は宗教用語で、何やら背中に翼が生えていて、頭に光る輪を浮かべているらしい。僕は驚いた。それって、僕のことじゃないか。
僕は屋上から飛び立った。ノワールさんも混乱しているみたいだ。それでも彼女は楽しそうに笑っていた。翼をはためかせ、一直線に会場に向かう。僕のスマートウォッチはまた叫んだ。
「Fly me to the moon!」
また奇跡だ。とにかく気分は最高で、ずっと浮いた心地だった。実際浮いている。ノワールさんはまた笑うと、高らかに言った。
「月まで私と付き合って!」
いい駄洒落だ。




