第5話:美食外交
魔王ゼノスが「寧々の試食係(自称・最高顧問)」として王宮に住み着いてから一週間。
王都の平和は、かつてないほど盤石なものになっていた。
何しろ、魔王がエプロン姿で厨房のジャガイモの皮を剥き、騎士団長がその横で獲れたての魔獣肉を解体しているのだ。これに喧嘩を売る愚か者は世界に一人もいない。
しかし、この平穏を破る「招待状」が届く。
差出人は、美食の国として名高い隣国・ガルダル王国の女王だった。
「『伝説の聖女が作る、魔王をも泣かせた料理を我が国の晩餐会で披露してほしい』……か。露骨な引き抜き工作だな」
アルフレッドは眉間に皺を寄せ、招待状を握りつぶさんばかりの勢いで読み上げた。
「いいじゃないですか、アルフレッドさん! 隣国には『虹色の岩塩』や『空飛ぶ巨大魚』があるって聞きましたよ。新しいレシピのチャンスです!」
「……寧々、君は少し無防備すぎる。相手の狙いは君の魔力だぞ」
「そんなの、美味しいものを一緒に食べればみんな仲良しですよ!」
寧々の屈託のない笑顔に、アルフレッドはため息をつく。そして隣で「おにぎり」を頬張る魔王に視線を向けた。
「おい、ゼノス。貴様はどうする」
「ふん、我も行くに決まっているだろう。寧々の料理の味見ができるのは、この世で我と……まあ、百歩譲って貴様だけだ」
こうして、聖女・騎士団長・魔王という、あまりにも規格外すぎる一行の「美食外交旅行」が幕を開けた。
ガルダル王国に到着した一行を待っていたのは、煌びやかな宮廷料理人たちと、彼らが誇る「至高のフルコース」だった。
「……これが、我が国の誇る『氷晶鳥のジュレ』です。田舎の聖女様には、少々刺激が強すぎるかもしれませんが」
女王の傍らに立つ筆頭料理人が、自信満々に寧々へ皿を差し出す。 確かに美しい。
だが、寧々の目には見えていた。その料理には「食べる人への愛情」ではなく、「自分の技術を誇示する傲慢な魔力」が混じっていることに。
「……うん、綺麗ですね。でも、この鳥さん、冷たすぎて震えてます」
「何を馬鹿な——」
寧々がそっと皿に指を触れる。 次の瞬間、ジュレから眩い光が溢れ出した。寧々の『聖なる加熱』が、料理に眠っていた素材本来の「生命の力」を強制的に呼び覚ましたのだ。
冷たかったジュレは瞬時に適温へと変わり、さらに素材の旨味が爆発。食堂全体に、氷の国とは思えないほど温かで芳醇な香りが充満した。
「なっ……魔力だけで、料理の構造を書き換えただと!?」
「本当の『美味しい』は、素材の声を聴くことですよ」
寧々はそう言うと、持参した自分のリュックから大きな「土鍋」を取り出した。
「お返しに、私の料理も食べてください。題して、『世界平和の寄せ鍋〜魔王の涙を添えて〜です!」
寧々が鍋に注いだのは、魔王が自ら狩ってきた幻の霊獣の肉と、アルフレッドが夜を徹して採取した伝説の香草。 そこに寧々の「無限の魔力」が注ぎ込まれ、鍋の中で小宇宙が形成される。
一口食べた女王は、その場に崩れ落ちた。
「ああ……。私は今まで何を競っていたのかしら。この一口で、長年の政争によるストレスが……胃の痛みが消えていく……っ!」
女王だけでない。冷徹だった隣国の騎士たちも、互いに鍋を突き合い、涙を流しながら笑い合っている。 寧々の料理は、単なる食事ではなく、食べた者の「心の壁」を物理的に粉壊する最強の精神浄化魔法だった。
「……寧々。君はやはり、恐ろしい女性だ」
宴の喧騒から少し離れたバルコニーで、アルフレッドが寧々に声をかけた。
「あ、アルフレッドさん。隣国の魚、すっごく脂が乗ってましたよ! 帰りに市場で買って帰りましょうね」
「……ああ。だが、その前に」
アルフレッドは、寧々の肩を引き寄せ、耳元で低く囁いた。
「これ以上、君の料理でファンを増やすのは勘弁してくれ。魔王だけでも手に余るのに、女王まで君を欲しがりだした。……私は、君が作った料理を、誰よりも先に、一番近くで食べていたいんだ」
「それって……」
「……独占契約の申し出だ。騎士団長としてではなく、一人の男としてのな」
アルフレッドの指が、寧々の頬を優しく撫でる。 月明かりの下、二人の距離がゼロになろうとしたその時——。
「おい! この鍋、最後の一切れは我がもらうぞ! 騎士団長、貴様の分はないからな!」
背後の広間から、魔王ゼノスの空気を読まない大声が響いた。
「……ゼノス。貴様、あとで表へ出ろ。今度は浄化魔法なしで叩き伏せてやる」
「ふん、寧々の手料理でパワーアップした我に勝てると思うなよ!」
「あはは! 二人とも仲良しですね。あ、シメの雑炊も作りますから、喧嘩しないでください!」
恋愛の甘いムードはまたしても「食欲」に上書きされてしまったが、寧々の周りには、今日も笑顔と美味しい匂いが溢れていた。
しかし、この時。 美食外交の成功を影から苦々しく見つめる、謎の組織——「世界から味覚を奪い、民を管理しようとする『無味教団』」の影が動き出そうとしていた。
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