第2章:頂点へ/決して止まらない (パート 4)
パート4
その日は彼が望んだ以上に多くの出来事に満ちていた。そして確固たる信念の欠如という真実は、生傷に塩を塗り込むように彼の魂を焼いた。普段は周囲の意見を無視していた。そうでなければとっくに髪を黒く染め直していたはずだ。あるいは縄に首を吊っていただろう。
だがなぜか、マコトの言葉が頭から離れない。どんなに努力してもだ。それがまた、彼をひときわ情けなくさせた。彼女の言葉だけが、これほど強く脳裏に焼き付いているのだから。
「ちくしょう、なんで頭から離れないんだ?このままじゃ頭痛がする。気を紛らわさなきゃ」
平日なら誰もいないアパートにようやく足を踏み入れたミナトは、ふらりと台所へ向かった。冷蔵庫を開けて中が空っぽだと確認した瞬間、今夜の予定が決まった。
頼りになる台所の相棒、ピンクのエプロンを手に、ミナトは料理を始めた。普段通りだ。だってアヤ姉姉がコンロに立ったら、良くて味気ない料理、悪くて自家製クラーレ毒になるんだから。だからコンロの前は彼だけの特権だった。
「計算ミスしたかも。でもどこだ?」 コンロと四つの鍋が並ぶ食卓を見つめながら、ミナトは自問した。大隊分も作るつもりはなかったが、耳にした言葉から気をそらそうと、つい作りすぎてしまったようだ。
「ジャンバラヤにパエリア、ビリヤニ、ラウラウ。ちょっとやりすぎたな」ミナトはため息をつき、エプロンを放り投げた。夜10時を回っても、アヤ姉姉はまだ帰ってこない。普段、彼女が酒を飲みたい時は、家で飲むか同僚と飲むかのどちらかだ。だがその場合、必ず彼に知らせてくる。
「嫌な予感がする」とミナトは呟いた。すると、タイミングを合わせたかのように、彼の携帯が鳴った。画面には、久しく会っていない酒の相棒からの着信が表示されている。
「アヤ姉姉、今何時だと思ってるんだ?家で飲めばいいだろ」電話に出るとそう言い放ったが、受話器の向こうからは聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「すみません、ナミカゼミナトさんでしょうか?」
「ああ。君は…」
「申し訳ございません。病院からお電話しております。数時間前、地光綾さんが入院されました。状態が安定次第、ご連絡することといたしました」
一瞬、彼は凍りついた。無表情な仮面さえも崩れ、素人の目にも明らかな驚きが浮かんだ。毎日顔を合わせるツナでさえ、ここ数ヶ月見たことのないほどの珍事だった。
「住所を教えてくれ」
文字通り20分後、全速力で駆けつけたミナトは受付に飛び込み、患者との面会を申し出た後、病室へと急いだ。
彼の焦りには理由があった。結局のところ、彼女以外にミナトが家族と呼べる者は誰もいなかった。彼女に対してだけ、ミナトは感情を露わにすることができた。恐怖、驚き。喜び以外の全てを。
ようやく病室前に着くと、彼は不安げにドアをノックした。待つ毎秒が永遠のように感じられ、神経はすでに張り詰めていた。張り詰めたギターの弦のように、過剰な緊張でいつ切れてもおかしくない状態だった。
一瞬でも気を緩めれば、恐怖が醜い顔をのぞかせようと飛び出してきそうだ。
ようやく「どうぞ」という返事が聞こえると、彼はすぐに中へ入った。彼女はベッドの上に、カーテンの向こう側に座っていた。その横には医師が立っており、見たところ彼女の顔の包帯を交換しているところだった。
「これで完了です。順調にいけば傷跡も残りませんが、今は安静にしてください。そしてアルコールは厳禁です」
「ああ、わかった。我慢するよ。どうもありがとう」
医師は患者とミナトを二人きりにすると、病室を後にし、ドアをしっかりと閉めた。
「すごく痛いの?」ミナトは不安げに尋ねた。普段は冷たく無表情な仮面は、すっかり消えていた。
「いや。軟膏と鎮痛剤で十分だ。顔が少し痺れてるけど、そのうち治まるさ。スタローンみたいな気分だよ」
「そうか」ミナトは静かに呟いた。アヤ姉姉がカーテンを動かしたがらないのには、布越しにもわかる理由があった。
彼女の顔全体が包帯で覆われ、二日酔いの後の普段の姿とは違い、まさにミイラのように見えた。
ベッドの横の椅子に座り、ミナトは腕を組んだ。何から話せばいいのかわからなかった。何しろ感情が高ぶっていたのだ。怒り、緊張、不安。全てが同時に押し寄せてくる。波のように。そして感情表現となると、彼ほど下手な者はいない。
「どうしてこんなことに?お前が俺に戦いを教えたんだぞ。小僧に殴られて病院送りだなんて信じられねえ」
「正直、よくわからん。金曜の夜、普通の労働者みたいに友達と酒を飲んでたら、突然外で大きな音がしたんだ。外に出たら、バカが狂ったように手から酸を噴射しててな」 アヤ姉は、まるで顔が火傷したようには見えないかのように、平静に語った。
「そんな堕落した奴が君に勝てるわけないだろ」ミナトは同じように平静に結論づけた。彼女から何度殴られたか数えるのもとっくに諦めていた。彼女に勝てたのはごく稀だった。つまり、彼女が酔っていない時だけだ。
「無理だよ。すぐに奴の頭を地面に叩きつけたからな。だがその後、奴は何かを自らに注射した。すると特殊能力が新たな次元に達した。もちろん俺は酔拳の達人だ。拳法はより強力だから、二度目は奴の小屋を完全に破壊した。だが奴は俺の顔と体を殴りつけることに成功した」
「ちっ。クソ野郎め」ミナトは呪詛を吐いた。ならず者が注射した何かに彼の注意が引かれた。
今日すでに耳にしたあの血清に違いない。身近な者を助けられなかったという思いが、彼の血を沸騰させた。拳を握りしめすぎて血が出そうだった。
もちろん彼は現実主義者で、別の場所にいた以上物理的に助けられなかったと理解していた。だがその認識は全く慰めにならなかった。
「せめて目に入らなかっただけマシか? そうでなければ失明するぞ」
「大丈夫。数日で元通りになる。それまでは安静にして酒は控える…うっ」最後の言葉は特に切実な響きを帯びていた。「気をつけてね? 馬鹿な真似はするな。タクシーを使った方がいい」
彼女の体調にもかかわらず、真っ先に彼の健康を気遣い、文句を言うことすらためらっていた。激しい痛みに苛まれているのは誰の目にも明らかだった。それでも、自分が何を言おうと、結局はみなとが自分を責めるだろうと知っていたから、彼女は気分が沈んでいた。
「わかった。早く良くなって。もうたくさん用意したんだ。腐って君が何も食べられなくなったら悲しいからな」
「へっ、回復するモチベーションが三倍だ。酒と君の料理は陰と陽みたいなもんだ。それとな、L…」
「Let It Be, な?」
椅子から立ち上がったミナトは、ゆっくりと病室を後にした。綾を最後に見つめ、ドアを閉めた。
夜の街をさまよいながら、彼の思考は完全に乱れ、真琴の言葉が頭の中でますます大きく響き渡った。まるで新たな声が頭の中に生まれたかのようだった。
そんな声はもう十分すぎるほどある。古くからのライバルなど必要ない。イヤホンから流れる大音量の音楽さえ、彼の気を散らすことはできなかった。こうして彼は、再び無表情で街を歩き続けた。足が昨日マコトと戦った場所へと向かうまで。
「一体何を忘れたんだ?」彼は自問した。まるで誰かがそこにいる理由を教えてくれることを期待するかのように。
立ち去ろうとしたその時、突然、あの橋の下に昨日の包帯だらけのフーリガンたちが群がっているのに気づいた。
街には数十ものこうした集団がいた。大半は警察が対処する程度のチンピラだが、全盛期のヤクザ並みに危険な連中も混じっている。
自ら進んで近づき、血清のことを尋ねるという衝動が湧いた。もし抵抗して口を割らなければ、殴り倒せばいい。彼は普段から、こうした社会の屑にはそう対処していた。
橋の下に響くミナトの足音に、二十五人もの集団が一斉に振り返った。全員の目に恐怖の色が浮かんでいる。まるでミナトが遊び半分で殴りに来るのを予期しているかのようだった。ただ一人を除いて。
耳に無数のピアスを貫通させた禿頭の男が、みなとをじっと見つめていた。その上腕二頭筋はみなとの頭より大きく、タンクトップからはち切れんばかりの筋肉が浮き出ている。
「用は?」
「お前が、破れたコンドームの被害者どもの親分か? 聞きたいことがある。このクソみたいな血清を流通させてるのは誰だ? それだけ聞きたい」
見下すようにミナトを見下ろしながら、男は立ち上がった。2メートルを超える巨体が岩のようにミナトを覆い尽くしたが、彼の目に恐怖の色を見出せず、男は問うた。
「なぜ知る必要がある?買いたいのか?」
「俺が脳手術の被害者に見えるか?そんなに馬鹿だと思ってるのか?俺は黒幕を探し出して、潰すつもりだ」 」ミナトは迷いのない口調で答えた。
すると巨漢は拳を全力でミナトの顔面に叩きつけた。頑丈な橋梁構造がカードハウスのように揺れたが、ミナトは微動だにしない。
「分かれよ、小僧」巨漢は傲慢に唸り、拳を引き戻すとミナトが同じ挑発的な眼差しで睨み返しているのを見た。
「頼むから教えてくれ。奴の居場所を教えろ。そうすれば立ち去る」ミナトは感情を排した声で、まるで壊れたレコードのように繰り返した。
そんな傲慢な態度に巨漢はさらに激昂した。再び拳を振り上げた瞬間、彼は突然動きを止めた。いや、少年の目に宿る決意を見て憐れんだからではない。ただ一つ、確かめておきたかったのだ。
「小僧、お前の能力は生まれつきか?」
「自分でも確信はないが、そう思う。なぜ聞く?」
「ならここでぶっ飛ばしてやる。お前の若くて最大主義な頭に叩き込んでやる。ここにいる連中は皆、能力なしで生まれた。ただ違うというだけで、それぞれの人生で多くの苦しみを味わってきた。
お前みたいな者より、はるかに取るに足らない苦しみだ。だからこそ我々は集い、自ら進んでこの血清を使う。屈辱に耐えるつもりはない、もう一方の頬を差し出すつもりもない。奴らが我々を潰そうとするなら、我々も加害者を潰してやる。虫けらのように。」
「どこで見つけたんだ?」
「ただ楽しみたいだけのために殴られる者もいる。だから何だ? 我々はそれを我慢しろというのか? 今こそ自分たちのために立ち上がる。だから互いを守るのだ」大男の拳がバネのように内側に反った。明らかにミナトの頭を地面に叩きつけようとしている。他のいじめっ子たちの視線すら、彼が一線を越えていることに気づかせなかった。
ついに最大出力に達した巨漢は、全力を込めてミナトの顔面を殴りつけた。いつもの一撃の後、橋の基礎を揺るがすほどの反動が返ってきた。梁の一部が軋み、今にも頭上に崩れ落ちそうな音を立てた。それでも、鼻と口角から血を流しながら、ミナトは微動だにせず立ち尽くしていた。
血をにじませた拳をぎゅっと握りしめ、あと少しで手の骨が折れると感じた。通常、怒りは最も強い感情として爆発するものだ。だがそれは、忍耐の杯が溢れかえる時だけである。
殴られながら情報を聞かされても、彼は一言も発しなかっただろう。文句も言わずに打撃を受け入れたはずだ。だが正義や大義名分などという戯言には我慢がならなかった。何よりこの組織の連中が能力を無意味に浪費する姿をこの目で見てきた。だから彼らに同情する気など微塵も起きなかった。
だが彼はその器を壊すことができた。
ミナトの拳は巨漢の顔を紙のように押し潰し、鼻を頭蓋骨に押し込んだ。一撃で禿げ頭のチンピラを地面に叩きつけると、ミナトはチンピラの耳から針を引き抜き、巨漢の頭部で最も脆弱な部分――こめかみを蹴り上げた。何度も何度も、ミナトはサッカーボールのように首領の頭を蹴り続け、頭蓋骨が徐々にひび割れ、崩れ落ちそうになるのを感じた。橋のコンクリート土台に叩きつけ、飽きたら耳をつかんで針を瞳から数ミリの眼球に押し当てる。
「お前のタールネズミどもなんてどうでもいい。お前の信条も思想も正義も哲学もクソ食らえだ。期待外れで申し訳ないな」 その冷たい声は、彼の不安定な精神状態をさらに浮き彫りにしていた。
「今日、俺にとって大切な奴がひどく傷つけられた。隠そうとしてたが、俺がバカじゃない。燃えるような痛みに声を詰まらせるのを聞いた。このクソみたいな噂を広めた野郎どもの居場所を吐くまで、お前を叩きのめしてやる。信じてくれ、針と手だけで十分すぎるほど手段はある。だから吐け。さもなくば、お前の短い人生で最も悲惨な日になるぞ。」
その決意の重みを強調するかのように、ミナトは目から針を抜くと肘関節に突き刺した。呻き声を上げ泣きじゃくる健康な男の神経を、可能な限りの痛みを伴うように正確に刺激する。かつての威勢はどこへやら。
「言うぞ!言うから、どうか殴らないでくれ!もう十分だ!」
最後に一蹴りすると、ミナトは針を乱暴に男の耳へ突き刺した。
「よく聞いている」ミナトは呟き、血を吐きながら男の頭へ唾を吐いた。落ち着いた口調ではあったが、怒りの叫びが寸前の状態であることは誰の目にも明らかだった。
「廃ビルで取引するのが好きらしい。でも渋谷で運試しした方がいい。興味ある奴を路地裏に誘い込むんだ!」鋭い視線に、大男は地面に丸まり、両手で顔を覆った。ベルトで叩かれたばかりの子供のように。「知らない!誓って、それだけだ!」
「ほら? そんなに難しくないだろ」
波人は嘲笑を帯びたような平然とした口調でそう言うと、その場を離れた。ギャングの連中は、まるで飢えた獣に追い詰められたかのように、彼を容易く引き裂きそうな存在として避けながら。
マコトの言葉が頭の中で反響し、次第に薄れていき、やがて完全に消え去った。戦う特別な理由などなかった。救世主コンプレックスもなかった。誰かに何かを証明したいという欲求もなかった。彼は英雄でも救世主でもなく、ただ弱さを抱えた一人の男だった。
しかし、最も大切な者を守りたいという想いは、それだけで十分だった。そのために、彼は躊躇なく命を賭すだろう。




