表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

最終章:非売品の肖像

 洗練されたギャラリーの空気は、ひんやりと澄んでいた。

 私は震える手で杖を握り、数々の風景画を通り過ぎていく。どれも素晴らしい絵だったけれど、私の視線はある一点に吸い寄せられた。


 そこには、今回の展示で最も大きな、けれどどこか孤独な一枚が置かれていた。

 燃えるような紅葉。その赤の中に浮かび上がる、一人の少女の姿。


「……っ」


 声にならない悲鳴が漏れた。

 それは、四十年前の私。嵐山で、彼が最後に私の瞳に焼き付けたはずの、あの瞬間の私だった。

 若さゆえの無垢な微笑み、少しだけ心細そうな眉の寄せ方。それは、描いた者だけが知っている、愛おしさの極みのような筆致で描かれていた。


 絵の横にあるプレートには、ただ一言、こう記されていた。


 ――『非売品』。


 膝の力が抜けた。

 私は周囲の目も憚らず、その絵の前で泣き崩れた。

 生きていた。死んだことにしていたのは、私の方だった。彼は生きて、この長い長い年月、私を想い続けていた。売ることもできず、他人に渡すこともできず、ただ暗闇の中で、私との記憶だけを鮮やかに塗り重ねて。


「お客様、大丈夫ですか?」

 係員の声が遠くに聞こえる。私は嗚咽を抑えられず、ただ自分の肖像画に手を伸ばした。


「先生……肖像画の前で、ご婦人が泣き崩れておられます」


 係員の言葉に、僕はアトリエを兼ねた控室から立ち上がった。

 足の震えは、後遺症のせいか、それとも予感のせいか。

 僕はゆっくりと会場へ向かった。そして、その絵の前にうずくまる、小さな背中を見た。


 白髪が混じり、丸くなった背中。けれど、その震える肩のラインを、僕は一瞬で見分けることができた。


「……紬」


 僕が絞り出すようにその名を呼ぶと、彼女はゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらを振り向いた。

 四十年という歳月が刻んだ皺の奥に、僕が描き続けたあの瞳があった。


「……蓮くん……なのね……?」


 僕は一歩、また一歩と、重い足取りで彼女に近づいた。

 二人の間に流れる空気が、一気に四十年前の、あの消毒液の匂いがする病室へと逆流していく。


「遅くなって、ごめん」


「嘘つき。……私の中で、あなたはもう……」


 言いかけた彼女の言葉を、僕は抱擁で遮った。

 彼女の体は、僕が覚えているよりもずっと小さく、けれどあの夜の蓮の部屋で抱きしめた時と同じ、懐かしくて切ない体温に満ちていた。


 僕たちは、言葉にならない嗚咽を漏らしながら、お互いの存在を確かめ合った。  ギャラリーの窓からは、あの時と同じ、夕刻の琥珀色の光が差し込んでいる。


「蓮くん……その絵……どうして非売品なの?」


 彼女が僕の胸に顔を埋めたまま、掠れた声で尋ねた。

 僕は彼女の細くなった肩をより強く抱きしめ、耳元で囁いた。


「これだけは、他人の手に渡せなかったんだ。……この絵が売れる時は、僕の魂が消える時だから」


 彼女は顔を上げ、涙に濡れた瞳で僕を見つめた。

 そして、震える指先で、そっと僕の鼻の頭に触れた。


 ――『会いたかった』。


 それは、二人しか知らない、世界で最も美しい暗号。


「私もよ。……私も、ずっと会いたかった」


 四十年の時を経て、ようやく重なり合った二人の影。

 壁に掛けられた肖像画の中の彼女は、再会を果たした二人の姿を、永遠に変わらぬ微笑みで見守っていた。  

 映画の幕が下りるように、会場の明かりがゆっくりと、温かな金色の光の中に溶けていった。



この作品はAI40%、筆者60%で書きました。

原案100%筆者。

指摘や感想とか頂ければ励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ