EPISODE9 〝一通の手紙〟
*登場人物
綾瀬楓斗・・・ 大学3年生 / 芸術学部・映像専攻
小野夏海・・・ 大学3年生 / 教育学部・保育専攻
あの日から、俺は何度もスマホを見た。
メッセージを送ってはただただ画面を見つめ続けた。
「無理はしないでね」
「体調、どう?」
「声だけでも…もしよかったら聞かせてほしい」
けど返事は一度も来なかった。
季節は冬の匂いを帯び始めていて
キャンパスの木々は枝だけになっていた。
教授室からのメールで提出期限が正式に決まった。
──あと3日。
最後のシーンはもう撮れない。
そう悟るたび胸の奥にずしりとした痛みが走る。
でも何もしないまま終わらせたくなかった。
夜な夜な編集室にこもって
彼女が笑った瞬間を探した。
カメラが揺れてしまったカットも
声が少し裏返ったテイクも
ひとつひとつを愛おしいと思った。
それでも最後の言葉がなかった。
“物語のエンドロール”が
どうしても見つからなかった。
そして──
提出期限の前日。
俺はほんの小さな音を聞いた。
ポストに何かが落ちた音。
胸騒ぎがした。
慌てて玄関を開けると
そこには一通の封筒があった。
見慣れた文字で俺の名前が書かれている。
震える手で封を切ると
便箋の一枚目に、彼女の文字が並んでいた。
綾瀬くんへ
急に連絡を絶ってごめんなさい。
体調が思うように戻らなくて
どうしても声を届けられませんでした。
本当は最後までカメラの前に立ちたかった。
でもどうやらもうそれは難しいみたいです。
だからせめて私の言葉を残します。
あのときあなたと夢を見た時間は
私の人生で一番輝いていました。
苦しかったはずの毎日が
ちゃんと意味を持った気がします。
綾瀬くんもう一度夢を見せてくれてありがとう。
わがままかもしれないけど
この物語を最後まで
あなたの手で終わらせてください。
また、いつか。
小野 夏海
紙を握る指が震えた。
視界が涙で歪んで文字が滲んだ。
でもその言葉がすべてを照らした。
俺は便箋を胸に当てて深く息を吸った。
楓斗「……ありがとう、夏海」
パソコンを開き編集ソフトを起動する。
映像の最後に
彼女の手紙の文章をテロップとして差し込む。
彼女が本をめくっていた映像の上に
白い文字が静かに浮かぶ。
──そして、俺たちの映画は完成した。
*
卒業制作の上映会当日。
同級生たちの作品を見て自分の番が近づくにつれ
手を震わせながらその時を待っていた。
本来ならば隣には夏海が居たのだろう。
でも…そうはならなかった。
隣には空席が一つ。その椅子を見つめながら
俺は自分の震える手を強く握りしめた。
そしてとうとう自分の番が回ってきた。
司会「続いては綾瀬楓斗くんの作品です
タイトルは〝君とのエンドロールを夢見て〟どうぞ」
紹介後、会場が暗くなりスクリーンが明るくなる。
彼女が笑っていた日々のワンカットが
映し出されていく。
ページをめくる手、窓辺に座る横顔、風に揺れる髪。
そのひとつひとつが
彼女が確かに生きて夢を見ていた証拠だった。
観客のあちこちから
鼻をすする音がかすかに聞こえる。
楓斗はスクリーンの脇に立ち
ひとつひとつの映像にその時の会話や感情が
胸を締めつけてくるのを感じていた。
そしてラスト近く。
画面がふっと暗くなり会場がしんと静まる。
次の瞬間スクリーンに
白い文字がゆっくりと浮かび上がった。
あのときあなたと夢を見た時間は
私の人生で一番輝いていました。
――彼女から届いた手紙だった。
体調を崩し声すら届けられなくなっていた
彼女が最後に託した言葉。
観客たちは息をのむように黙り込む。
スクリーンには
その手紙の文章がひとつひとつ現れていく。
やわらかいけれど胸の奥を締めつける言葉。
楓斗は何度も視界が滲むのをこらえた。
わがままかもしれないけど
この物語を最後まで
あなたの手で終わらせてください。
また、いつか。
小野 夏海
最後の一行が消え画面は真っ黒になる。
ゆっくりとエンドロールが流れ始める。
会場は水を打ったように静まり返った。
俺は耳を澄ませた。
何もないはずなのに
確かに心の奥で聴こえた気がした。
――ありがとう。
そしてスクリーンはゆっくりと暗転する。
映画は、静かに終わった。