EPISODE8 〝決意の始まり〟
*登場人物
綾瀬楓斗・・・ 大学3年生 / 芸術学部・映像専攻
小野夏海・・・ 大学3年生 / 教育学部・保育専攻
どれだけ走っただろうか。
とにかく胸の奥がきしむように痛くて
頭の中はずっと彼女の笑顔を繰り返してた。
「あと一回で決めよう」
「これでよかったかな?」
「ありがと、綾瀬くん」
全部ちゃんと聞いてたのに。
全部ちゃんとわかってたはずなのに。
それでも俺は──
“本当の意味では気づいてなかった”のかもしれない。
病院の受付で名前を伝えると
看護師さんが少しだけ困ったような顔をした。
女性「……ご家族以外の方には
詳細はお伝えできませんが今は安静にされています。
意識はありますよ」
それだけで
心の底に溜まっていた不安が少し和らいだ。
でも“会わせてもらえない”という現実も
変わらずそこにあった。
静かな待合室。
少し冷えたソファに腰掛けて
俺はスマホを握ったまま俯いた。
どこかで期待をしていた。
「大丈夫だよ」って笑ってくれるんじゃないかって。
でも──
“現実”はそう甘くはなかった。
もうすぐ卒業制作の提出期限が迫ってる。
俺たちの作品はまだ“完成していない”
最後のシーンが撮れてない。
それはただの映像じゃなくて──
彼女の“今”を象徴する大事なワンカットだった。
もし──
このまま彼女の体調が戻らなかったら?
もし──
もう一度だけでも撮影できる時間が訪れなかったら?
そう考えた瞬間
涙が出るとか、悔しいとか、そういうのじゃなくて。
ただただ
“何もできない自分”が情けなくて仕方なかった。
ポケットの中で小さく震えるスマホ。
画面には教授からのメッセージ。
「卒業制作、最終提出は来週頭まで。
企画変更がある場合は
明日までに再提出してください」
時計を見る。
あの時よりたった数時間しか経っていないのに
全部が変わってしまった気がしていた。
でも心の中で小さく囁く声があった。
「このまま終わってしまっていいのか」
「お前の夢は、そこまでだったのか?」
…違う。
俺は──
彼女に“映像の中で生きててほしい”って願った。
なら“形”は変わっても
その想いを最後までやりきるのが俺の責任だ。
俺はスマホを取り出し教授への返信を打ち込んだ。
《キャストの体調不良により
ラストシーンの構成を変更します。
ラストは映像でなく彼女のメッセージを使います。
どうしてもこの作品は今の彼女を
記録して終わりたいです。》
送信ボタンを押したあと
画面がゆっくりと暗くなった。
俺の中にあった“作品を完成させること”への執着は
きっとこの瞬間に少しだけ姿を変えた。
それは──
彼女と出会って得た
“夢を残すという意味”そのものだった。
いつか彼女が
自分の夢に幕を引かなきゃいけない日が来ても
その”一秒前”まで残された光を
ちゃんと残しておきたい。
それが、俺にとっての
本当の卒業制作──
そう思った。