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EPISODE5 〝この夢が終わる前に〟

*登場人物

綾瀬楓斗・・・ 大学3年生 / 芸術学部・映像専攻

小野夏海・・・ 大学3年生 / 教育学部・保育専攻


次の撮影は

夕暮れの帰り道のシーン。


大学から駅までの一本道を

二人で並んで歩くだけのシンプルなカット。


だけど、このシーンには意味がある。

──“登場人物たちが

心の距離を近づけていく場面”──


それは、まるで今の俺たちそのままやった。


夏海「綾瀬くん…??

撮影のあとってさ…いつも疲れない?」


楓斗「俺は全然平気だよ??

むしろ編集の方が体力削れるかも笑」


夏海「そっかぁ…

私も今日はもう少しだけ頑張れそう!!」


彼女の横顔がオレンジ色に染まる。

それがまるで“フィルムの一枚”みたいで──

俺はシャッターを押すように心に焼きつけた。


でもその時

彼女の足がふらついた。


とっさに手を伸ばした。


楓斗「大丈夫!?」


夏海「ごめん…ちょっと目が回っちゃって」


そう言って笑ったけど、

明らかに、息が乱れていた。


 


俺はもう

目を逸らすことができなかった。


 


ベンチに腰を下ろして、水を渡す。

彼女は少しずつ呼吸を整えていた。


 


楓斗「ねぇ…小野さん──」


言いかけた言葉を、彼女が遮る。


夏海「ごめんね。

…本当はね、隠してることがあるの」


楓斗「……うん」


夏海「でも今はまだ言えないの。

言ったら…この時間が終わっちゃいそうで、怖い」


彼女の声が震えた。


夏海「わがままかもしれないけど…

もう少しだけ、私に夢を見させてくれないかな」


 


俺は、何も言えなかった。


だけど、その言葉がすべてだった。


 


彼女は今、“演じて”いるんじゃない。

“夢を生きて”いるんだ。


 


楓斗「……分かった。

その代わり、俺もわがまま言っていい?」


夏海「……なに?」


楓斗「次の撮影、ロケ地変えて

海にしようと思ってる。

最後のシーンの前段階にするつもりで」


夏海「…海? なんで?」


楓斗「なんとなく

……君には海が似合うと思っただけ」


照れ隠しみたいに笑うと

彼女もふっと吹き出した。


夏海「……それ褒め言葉として受け取るね」


笑い合ったその時間が

俺たちにとって“本当の演技”よりもリアルだった。


夏海side


海が見える丘の上。

風が強くて、髪が頬を何度も打った。


それでも私はカメラの前に立っていた。

“このシーンが終わったらまた少し夢に近づける”

そう思っていたから。


 


──空を見上げる。

──誰かの名前を呼ぶ。

──そして、笑う。


それだけのはずだった。


だけど。


 


夏海「はぁっ……」


胸の奥にズシッとした重みがのしかかってきた。

肩で息をして、膝がかくんと折れた。


視界がぐらりと揺れる。


次の瞬間、誰かの腕が支えてくれていた。


楓斗「小野さん!! しっかりして!」


私は彼の声に返事ができなかった。

でも、その声に少しだけ安心していた。


意識が遠のく瞬間に思った。


──やっぱり私は

“本当のこと”を言わないといけない。


このままじゃ、誰の夢も守れない。


 

──病院のベッドの上。


点滴の針が腕に刺さっていて

病室には白いカーテンと、消毒液の匂い。


現実だった。


あのふわふわした“夢の時間”が

一気に引き戻される。


目を開けるとベッドの横に…綾瀬くんがいた。


目が合った瞬間、私は思わず息をのんだ。


夏海「……ごめん。」


それだけで精一杯だった。


でも彼は、怒らなかった。

責めることも、問い詰めることもなかった。


 


楓斗「……それだけで十分。」


 


たったそれだけの言葉で、

私は涙をこらえきれなくなった。


夏海「こんな私じゃ……きっと迷惑だよね…??」


そう呟いた声は、情けないくらい小さかった。


でも──



楓斗「そんなこと言わないで??

俺は今の君をちゃんと見てるから。」

 


その言葉が、夢の中よりも優しかった。


楓斗side


彼女が倒れてから数日後。


本人から撮影の続きがしたいと連絡があった。

正直本調子では無いだろうし

もうしばらく撮影は中断する気でいたが

彼女のやる気と熱意に押され

少しずつ再開させることにした。


ロケハンした場所は、静かで観光客も少ない砂浜。

風が強くて、波の音が絶えず耳に届く。



楓斗「…いけそう?」


夏海「うん、大丈夫。今日はちゃんと眠れたし」


そう言った彼女の笑顔には、

ほんの少し“覚悟”が混じっていた。


 


脚本の中で、今日のシーンは──

“主人公が心の整理をつけて

未来に進もうとする場面”




夏海「…この作品、完成したら誰かに見せるの?」


楓斗「うん。教授だけじゃなくて

できればコンペにも出したいと思ってる」


夏海「じゃあ私……映っちゃうんだね」


楓斗「……そうやな。めっちゃ綺麗に。ちゃんと」


その時、夏海の肩がかすかに揺れた。


振り返ったその瞳に、うっすら涙が滲んでいた。


夏海「…綾瀬くんお願いがあるの。

私がこの映画に全部出られなかったとしても

…それでも最後まで完成させてほしい」


楓斗「……どうしてそんなこと言うの?」


夏海「今じゃなくていい。

そのうち分かるかもしれないし

分からないままでもいい。

でもね??…綾瀬くんの夢の邪魔だけはしたくないの」


俺は言葉を詰まらせた。


楓斗「そんなお願いをしなくても

俺は君がこの作品の中心だと思ってるよ」


そう言おうとしたけど、喉が詰まって出なかった。




──防波堤

オレンジの空と波の音に包まれた静かな時間。


ふたり並んで座る背中に

少しだけ空白ができていた。

夏海がぽつりと口を開いた。


夏海「ねえ、綾瀬くん。」


楓斗「ん?」


夏海「……私ね??

…拡張型心筋症っていう病気なんだ」


 


その言葉が落ちた瞬間

海の音だけが、耳の奥で強く響いた。


 


楓斗「……拡張型心筋症?」


夏海「うん。心臓の筋肉が

…うまく働かなくなる病気でね。

普通の人みたいに長時間動いたり

強いストレスを受けたりすると

危なくなることもあるの」


風が吹いた。


言葉の温度とは対照的に

彼女の声はどこまでも穏やかだった。


夏海「だから、もう何度も入退院してて。

大学もずっと通えなかった。

夢も、一度は諦めようって思った。

私ね??子供が好きだから本当は

学校の先生になりたくて。それで教育学部に

進学したけど授業は置いてけぼりだし

周りからの反感も凄くて。だからもう諦めた。」


楓斗は何も言わず、ただ彼女を見つめていた。


夏海「……撮影中に倒れちゃったでしょ??

実はあんな経験初めてじゃないんだ。

でも綾瀬くんが見てくれてたから

“ちゃんと夢の中にいられる気がして”

つい笑って誤魔化しちゃった」


 


夏海「…“上手な嘘”だったでしょ?」


笑って言うその声に

俺は返す言葉が見つからなかった。


でも。


 


楓斗「……俺がこの作品を撮りたいって思ったのは

君の“嘘”じゃなくて、

その奥にある“ほんまの夢”を見たからなんだよ。」


 


夏海は驚いたように目を見開いて

それから静かに…泣いた。


 


涙を拭いながら、小さくつぶやく。


夏海「ありがとう綾瀬くん。

こんな私を…ちゃんと見てくれて」


 


夕日がふたりの背中を照らしていた。


それはきっと

“嘘の終わり”と“本当の物語の始まり”を

そっと教えてくれる光だった。


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