守るとはなんだろう
小説を書いている途中で、「守るとは何か?」を考える機会があった。
登場人物が“守りの魔法陣”を作る場面に差しかかったとき、ふと、手が止まってしまった。
物語の中で考えるなら、いくらでも“すごい守り方”は思いつく。
たとえば、絶対に破られないバリア。
危険を察知したら安全な場所にワープさせる仕組み。
誰かの悪意を色で知らせるセンサー。
あるいは、進むべきでない道に壁を築くような魔法——。
アイデアだけなら、いくらでも出てくる。
でも、私の中で何かが引っかかった。
……それって本当に、「守る」ってことになるのだろうか?
守るって、なんだろう?
ただ相手を傷つけないこと?
何かから遠ざけること?
壊さないように包むこと?
相手が一生傷つかないように守りたい——
大切な人がいる人なら、きっと誰しもが一度はそう思ったことがあるはずだ。
たとえば、怪我をしそうな小石をすべて取り除いて、平らで歩きやすい道をつくってあげる。
それが「守る」ということなのかもしれない。
でも、ふと思う。
それって本当に「守っている」と言えるのだろうか?
もしかしたら、本人は別の道を歩きたいと思っているかもしれない。
それなのに、私が「この道がいい」と信じて、無意識に誘導してしまっているとしたら……
それはもう「守り」ではなく、もしかすると“呪い”のようなものになってしまうのではないか。
では、「守る」という言葉の本質とは、なんなのだろう。
人によってその答えはきっと違うけれど——
それは、
その人が“ありのまま”でいられるように、そっと支えること。
その人自身を信じて、見守って、
やがて自分の意思で選んでいけるように、静かに余白を差し出すこと。
——そして、守ることが“呪い”になってしまわないように、
自分の想いをそっと見つめ直すこと。
そんな静かなまなざしもまた、“守る”ということなのかもしれない。