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幻の山脈

作者: 清原信幸

 奈良県のある小さな病院の一室、全開にした窓から爽やかな風が入る。

 消えゆく命を見送るため、二つの家族が寄り添っていた。

「おじいちゃん、しっかりしてね!」

「おじいちゃん、がんばって!」

 寄り添う孫娘の肩を優しく包み、父親が言う

「三咲、いいんだよ、おじいちゃんは今、痛くも苦しくもないんだよ」

「苦しくないの?」

「苦しくなんかないよ、おじいちゃんはね、たぶん三咲やお父さんの生まれる前、おじいちゃんの一番幸せだった頃のことを思い出しているんだよ」

「思い出してるの? あ、笑ったよ?」

「ね、苦しそうではないでしょ? 笑顔で見送ってあげようね」


 ”プゥッファ~ン!” ”シュー、プォ!”

 騒々しく行き交う列車を背にして彼はそばを食べていた、東山修二18歳・岡山は広島寄りの山間の村、山野木部落出身である。山野木から伯備線で岡山、そこから山陽本線で京都まで行くのだが、途中乗り換えの姫路駅で、ホームの一角にある駅そばを食べているのである。

 修二は画家を目指していた、小学生の習字の時間に描いた水墨の絵がきっかけで、その頃から画家を目指すようになったのである。ただ、長男である修二は家督を継ぐと言う使命もあり、人生を自由に生きることが出来ない重苦しさもどことなく感じていた。兄弟は3つ違いの妹が一人いるだけだ。

 そばを食べ終わり汁も飲み干す、山野木からここまで5時間、お腹も空いていたのでとても美味しいと感じた、もうそろそろ乗り換えの時間である。

 始発ではあるが結構乗客は多そうだ、ホームの一番前に並び列車を待った、ほどなく列車が入ってきてドアを開け乗り込むのであるが、一つ前の車両に黄色い服の子供がサッと乗り込むのが見えた。

「えっ?」

 何を思ったか、修二は座席に荷物を置くと、直ぐに前の車両に黄色い服の子供を探しに走った。 だが、どこにもそれらしい子は居ない。

「すみません、黄色い服の子供を見ませんでしたか?」

「黄色い服の? 見てないねぇ」

「すみません、黄色い服の男の子なんですが……」

「いや? 大体子供が一人で乗ったりしないよ」

 誰に聞いても知らないのである、修二は内心焦りを感じた。

 

「お父さん、また苦しそうだよ?」

「うん、大丈夫だよ、おじいちゃんには思い出が途切れる事が苦しいコトなんだ、だから静かに見守ってあげようね?」

「いいなぁ~おじいちゃん、いっぱい思い出があるんだね」


 修二が小学校5年生の時だった、夕方家の近くの遊び場でみんなと遊んでいると、遊び場の入り口でポツンとと立って見ている少年が居た、白い帽子に黄色い上着、茶色のクツである、修二は気が付いたが、みんなは縄跳びに夢中で気が付かない、少年はいつまで経ってもポツンと立ったままなので修二が呼ぶ。

「おーい、遊ぶならこっちへ来いよ」

 少年は黙ったままだ、修二が近寄って手を引いてみんなの所に連れてきた。

「名前、なんていうの?」

「今井三郎」

「三郎? 風の又三郎みたいだね」

 皆が笑ってすぐにあだ名が決まった。

「又三郎はどこからきたの?」

「山のむこうのおばあちゃん家」

「山の向こうに家なんかある?」

「もうええやん、修ちゃんも又ちゃんも遊ぼうよ!」

 で、暗くなるまで遊んだ、帰る時間だからと自主的に帰る者、母親が呼びに来る者、みんなは一人ずつ抜けて行った、修二と三郎だけが残り、修二もすっかり暗くなったので、三郎を残し帰って行った、遊び場の入り口で振り返ると、三郎は来た時と同じ、ポツンとこちらを見て立っていた。

 次の日、登校の途中で珍しいモノを見た。

「おお~っ、スッゲェー!見ろや、修二、あれや、あれや!」

「お~、スッゲェーなぁ~」

「なあ? おれが言った通りやろ、あれが幻の山脈や、オヤジの言った通りや」

 自慢に言うのは6年生の達夫である、彼は父親から聞かされていた、風が強く雲が多い日に遠くに高い山脈が現れる時がある、それは直ぐに消えたり、数日間続いたりまちまちだが、必ず不思議な事が起こるんだと。

「あの山が岩流山で、向こうが吉良井山、その上だよなあ……」

「はやく学校行って、先生にも見てもらおうな」

「ああ、だが学校からはあれは見られんものなぁ」

「そうやねぇ、学校からは前の山が邪魔で見られんわ」

 山野木小学校、全校生徒35人である、修二の部落からは達夫がリーダーで6人が揃って登校する、今週は学校で飼っているニワトリとウサギの餌当番である、適当に世話を済ませ、校庭で少し遊び、各々教室に入った、修二の5年生は4人しかいない、広い教室に普段は机が4つ、真横に並んでいるのだが、今日は前に3席、後ろに2席の5つ並んでいた。

 適当に座り、不思議に思っていると、先生が見慣れない子を連れて教室に入って来た、一同が起立・礼をした後で先生が言う。

「おはようございます、今日からみなさんに新しいお友達が出来ます」

「今井三郎くんです」

 一応の説明がある、彼は両親が亡くなり、一時的に祖母の家に引き取られているとのこと、仲良くしなさいとのことである。

 席は修二と三郎が後ろ、三郎には教材が無かったので、机をくっつけて修二の教材を共有した、それからは何をするにも二人で1つ、当然仲が良くなった。

 ある日の習字の時間である、習字は5年と6年が一緒に習っていた、6年生が前で、5年生は後ろの席である。黒板に其々のお手本が掛けられ、それを見て書くのだが、修二と三郎は絵を描いて遊んでいた。

 時間になり、先生が書き上がったものを回収するのだが、修二達の机の脇に水墨画を見つけそれも回収したのである。

 習字は一点ずつ黒板に張り出し、良い点と悪い点の評価を行う、修二たちの書は掲げられず、代わりに水墨画が掲げられた。良い評価だった、修二は今朝見た幻の山を力強く太いタッチで描いていた、三郎は逆にその山脈の上、空から見た自分たちの村を繊細に描いていたのである。

 先生はべた褒めだった、特に三郎の視点は誰も見たことのない上空からの絵である、まるで自分が鳥になって空を飛んでいるかのような錯覚に陥る動きさえ感じたのである。

 先生は、書と絵についても語ってくれた、絵とは元々意思を伝えたり、後世に残す手段だったのである、その証拠は人類が言葉を持たない時代から壁画を描いたりしていたものによる、やがて伝達方式が書に変わると、絵は手段ではなく、芸術的なモノとなった、言葉で言い現せないモノになったのである。

 その中でも水墨画とは、黒一色いや、黒と白だけで表現できる素晴らしいモノだと語ってくれたのである。

 修二は叱られると覚悟していたが、先生の情熱的な語りに感動を覚えたのだ、三郎は無表情で目をパチパチさせ可愛らしかった。

 ただ、6年生は良く思っていなかっただろう……。

 ある日の下校時、修二と三郎は他の部落の6年生4人に呼ばれた、いつもと違う道を4人に囲まれ無言で歩いた、川沿いの橋の下でそれは始まった。

 いつもは修二とも仲の良い6年生であるがこの日の彼らは目つきが悪かった。

「三郎、おまえ生意気なんと違うか? おれらに挨拶もしたこと無いやないか」

「いさおくん、許してよ、謝るよ」

「修二は黙っとけ! 喋ったら同じ目に合せるぞ!」

「……」

「三郎、おれと一対一や、文句はないやろ」

 6年生が何に怒っていたのか分からないまま、三郎はコテンパーにやられた、勿論手出しはしていない、一方的に叩かれ、蹴られ、川に投げ込まれていた、着ていたいつもの黄色い服が、噴き出した鼻血で赤く染まっていた。

「よし、もういいやろう、今日はこれくらいで許したるわ!」

 修二が駆け寄ろうとすると

「修二! お前はどっちの味方なんや! そんなやつほっとけ!」

 修二は6年生に逆らうと自分がやられるのが恐く、三郎に寄り添えなかった、一人でずぶ濡れになりながら、道ではなく川の中をヨロヨロと歩いて帰る彼を涙で見送った。 (又やん、ゆるしてくれ……)


 翌日、学校に三郎は現れなかった、先生は欠席とだけ伝え理由は告げなかった、次の日も欠席だった、三日目の朝、登校時に達夫が言った。

「あれ、今日は山脈がねえぞ?」

 何日か天気が悪く、近くの岩流山や吉良井山も見えていない日が続いていたが、今日はその二つの山が見える、その向こうの幻の山脈が消えているのである。

学校で教室に入ると、机は以前の様に横に4席並んでいた。

「おはようございます、みなさんの友達の今井三郎くんは昨日急に親戚の方が引き取られに来て、京都に引っ越して行きました……」

 後の言葉は耳に入らなかった、あの三郎の後姿が最後の姿かと思うと涙があふれて止まらなかった。


「あれ? おじいちゃん、泣いてるみたい」

「思い出の中ではね、本当に悲しかったことも大切なものの一つなんだよ、その一つ一つが重なっておじいちゃんの人生が出来たんだよ」

「おじいちゃんの人生?」

「そうだよ、やり残したことはないか、振り返っているのかも知れないね?」

「ふう~ん」


 京都東山地区祇園町の外れに修二は住み込みで就職をした、竹細工を扱う店である、仕事は単純で毎日竹を割り、ヒゴを作る、たまには嵯峨野に竹の切り出しにも行った、仕事は嫌いではなかったが、休日がいつも待ち遠しかった、それは大好きな絵の勉強が出来るからである。

 修二が選んだのは、各神社仏閣の収蔵品の保護をボランティアで行うものである、中でも絵画の模写はその技術だけでなく作者の意図まで感じられるところにハマっていた。そして京都に来たもう一つの目的はあの日別れた又やん、今井三郎と再会するコト、小学5年であれだけの水墨画を書いた者、必ず絵の世界で巡り合えると信じていた。

 修二は絵を習うと共に、独学の中で、一つの大作を仕上げていた。故郷を想いあの幻の山脈を描いた 「郷愁」、構図はあの時の水墨画と一緒である。もしこれを又やんが見たらきっと連絡が取れるはず、それも期待したのである。

 26歳になった修二はこの絵を何とか日展に出展出来ないかと探った、先輩の学芸員に聞くと、日展とは出展料さえ払えば受け付けては貰えるが、展示となると審査員の審査に合格しなければならない、それには実力以上の要素が必要で、普通の者には出来ない、止めておけと教えてくれた。

 実力以外の要素とは勿論賄賂である、若しくは贔屓? とにかく実力だけでは難しいようである、ただ修二は諦めなかった、日展の正義?に掛けたのである。


 日展事務局で作品の仕分けを行っていた一人が、嘗て岡山山野木小学校で書道を教えていた日下部先生である。当然、修二の絵が目に止まった、出展の趣旨もすぐ理解出来た、なんとか展示してやりたいがそれを出来る地位では無かった。

 展示出来る条件とはこうである、まず有力な審査員に絵を見てもらう、その時菓子箱に添えて謝礼を渡すのである、審査員が絵の評価をしてくれて、修正箇所などを教えてくれたら、その指示に従う、謝礼の額によって展示は勿論、入選までいく可能性があるのである。 修二にそれが出来るはずがない、また日下部としてもやらせる訳にはいかない。

 日展当日、修二は東京の会場に来ていた、自分の作品が展示されないのは知っていたが、勉強の為に上京したのである。

 京都で目の肥えた修二に参考になる作品は無かった、先輩の言う通りだと感じた、だがこれも経験でプラスととらえようと……。

 展示場を出てロビーの出入り口で思わず背筋が凍った、修二の絵がかけられていたのである、しかも隣にはあの時の三郎の水墨画も綺麗に表装され掛け軸として展示されていた。

 どうして? 思考が止まっていた、自分の絵よりも三郎の水墨画に目が釘づけになっていた、自分にだけ分かる郷愁の想いがこみ上げて涙が溢れた。

 絵の前で動けずにいると、後ろから静かに声が掛かった。

「修二くん、久しぶりだな?」

「又やん?」

 願いが叶った! 振り向くとそこにいたのは残念ながら三郎では無かった、すっかり歳をとった日下部先生である。

「先生? どうして?」

「修二くん、立派になったね、先生は一つ謝らなければ」

「……」

「実はあの時の君の絵はもう無いんだ、三郎君の絵が素晴らし過ぎてねぇ」

「そうです、私にもはっきり分かります、これは即興で描けるモノではない」

「そうだね、しかし君のこの絵も素晴らしいモノだよ」

 分かっているだけだが、全国の画壇の中にも三郎の名前は無かった、当時の事を調べても、引っ越した先は誰も分かってなかったのである。

 三郎に逢いたいが、もう逢える機会は無いのかも知れない、そう思うと悲しかった、先生に感謝の意を示し、別れを告げた。

 先生の様に芸術に携わる仕事がしたかった、竹細工の仕事が終われば文化財修復の仕事を専門的にしたくなった。


 帰りの上野駅である、行く人も帰る人も流石に多い、広い構内で人の波に押され、流れに逆らいながら自分の行くホームを探していると、一番奥になぜか、あの懐かしい山野木駅のホームがあった、不思議とは思わない、嬉しいのである。

 これで山野木に帰れるんだ、小学校に戻ればきっと三郎に逢える……。

 奥のホームでベンチに座り、しばらく列車を待った、数は少ないがポツリポツリと人が集まってくる、みんな老人だった。

 暫くして音もなく列車が入って来た、(もう行かないとな)珍しくドアは自動で開いた、窓際に腰かけ、合図もなく出発しようとした時、外に白い帽子ときれいな黄色い服を着た少年が立っていた、その手は自分の手を優しく握っているのである。 修二が声にならない声で言った。

「ごめんね、又やん」

 三郎は聞きとり難いのか顔を近付けてきた。

「ごめんね、又やん」

 三郎は微笑んでいた、今まで見たことのない三郎の笑顔で、すべてが許されたと安堵した、修二も微笑んだ、今度こそが永遠の別れだと分かっている。


「おじいちゃん、又やんっていったよ?」 

 父親は何も答えず、誰かがすすり泣きした。

 窓から入る爽やかな風が病室の白いカーテンを大きく揺らし、皆を優しく包んでいた。


                                   完

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