天使 〜side 茅〜
「そんなキツいなら、逃げるのもアリじゃない?」
試すような言い方で、頬杖をついて茅の方を見る和也。
逃げる?他の人と付き合う?
茅のことを、好きだと言ってくれる、奈緒以外の誰かと?
そうしたら、こうやって悩んで傷ついて、一挙一動にどぎまぎして、落ち込んで辛い想いをしなくて済む?
ほんとうに?
茅は考え込んだ。
「ま、無理だろうけどねー」
和也はハッと鼻で笑った。
「どんだけ目で追ってると思ってんの。2年だぜ」
「………」
それが事実なだけに、何も言い返せなかった。
「他の女と付き合ったところで、目で追うし、なおなおと話したら舞い上がるし、付き合ったヤツに申し訳なくて自己嫌悪、まで目に見えるな」
言われたそれをそのまま、容易に想像できてしまって、ちょっと絶望した。
「はあ…」
「それができるくらい器用に生きてたら、今そうなってねぇのよ」
「…おっしゃる通りで…」
茅は、隣に座る男を見た。
見る度連れてる女は違うし、束縛しようものならすぐサヨナラだし、自他共に認める女たらしだ。
「お前、さ」
「あ?」
「それをやってのけてるの、器用すぎ」
もうこうなってくると、そのいい加減ささえも羨ましくなる。
ただ。
ただ、である。
和也はクラスやサークルの手近なところでは、飽くまで友達として仲良くしている。そこだけは、少し信頼しているポイントではある。
「さぁ?オレのは“恋愛”じゃないんじゃん?」
ヘラっと笑う和也は、未だに何を考えているのかよくわからない。
「そういう一途なのってめんどくさいし」
和也がため息まじりにそう呟いたところで、授業が始まった。
◇◆◇
「…和也の野郎…」
知らなければよかった。気づかなければよかったのだ。
紺野の気持ちに。
気づいていなかったから、可愛い後輩の1人として接することができていたのに。
「茅さん!」
茅を見つけると笑顔で駆けてくる紺野。
「あ、うん、紺野、お疲れ」
知らなかったかのように振る舞えもしなければ、簡単に拒否することもできない。
そんな茅の心を知ってか知らずか、紺野は今まで通り、今まで以上に茅に話しかけてきた。
紺野のことは可愛いと思う。
嫌いじゃない。
仲の良い後輩として好きだ。
だから、さりげなく腕に触れられてもあからさまな拒否もできないし、こういうのの上手い躱わし方がわからない。
◇◆◇
バレンタイン。
奈緒からはチョコもらえなかったなあと、期待していた気持ちもありつつ、半ば予想通り、茅はサークルに行った。
「付き合ってください」
その帰り、紺野に引き止められて、告白された。
頬を染めて、まっすぐに言われたけど、茅の心は動かなかった。
「ごめんね、紺野。好きな人がいるから。」
「知ってます。それでもいいです。」
「紺野…」
「あの人のこと忘れるために私を利用してください、って言っても?」
紺野はそう、一歩乗り出した。
「うん。それでも。」
そう言うと、紺野は目を伏せた。
「今みたいに片想いしてるの、案外向いてるみたい」
それは、本心だった。
適当に紺野や誰かと付き合っても、きっとこの気持ちは変わらなくて。
今のこのくらい、勝手に奈緒に振り回されているくらいが、ちょうどいいのかもしれないと思ったのだ。
紺野は猫のような目を大きく見開いてから、クスクスと笑った。
ちょっと、目尻に涙が浮かんでいるようにも見えた。
「そういうとこも、好きでした」
そう言うと、じゃあ、と、踵を返して紺野は校門の方に走って行った。
「はーーー」
吐き出した息は白くなって、寒空に溶けて行った。
「奈緒ちゃんから、チョコ欲しかったなあ」
友チョコでいい。義理でいい。
浮かれて、落ち込んで、またその繰り返しだとしても。
振り回されても、ずっと片思いでも、もういいや。
好きで振り回されているんだし、
諦めて、片想いを満喫しようじゃないか。
どうしようもなく可愛くて、心を掴んで離さない、あの子をただ想って。
スッキリした気持ちで講義棟の前を通りすぎる。
と、ふいに目が合った。
恋焦がれた、くりくりの瞳と。
「あっ」
白いコートを着て、校舎脇のベンチに座っていた。
髪が風に揺れて、白い肌にかかる。
柔らかそうな桜色の唇が可愛らしくて。
天使が地上に舞い降りたのかと思った。