恐怖心
ピンクのバラの石鹸を、両手で持ってみる。
ほのかにバラのいい香りがする。
好き、なんだと思う。
話していると楽しいし、居心地いいし、胸の辺りが温かくなる。
たまにくれるメールは意外に絵文字もなくて短いけど、誤字も可愛くて思わずゆっくり何度も読んでしまう。
もらったハンドクリームは、大事に大事に、少しずつ使っている。
ただの友達なら、そんなことしない。
初詣のあれ以来、少し、茅との距離を感じる。
たまに、紺野といるところを見かけるが、決定的な言葉を聞きたくなくて、知らないフリをした。
水曜の授業もいつも通り並んで受けるし、会話も特に変わりないように、思う。
だけど、どこかぎこちない。
壁を作っているのは、茅なのか、はたまた、奈緒か。
◇◆◇
「奈緒、茅にもチョコ渡すの?」
バレンタイン前日、刻んだチョコレートを湯煎している奈緒の部屋で、スマホをいじりながら雅美が訊いた。
「どうなの?」
「………今年は、友チョコだけ…で…」
「茅も友達だね?」
「ううう」
奈緒は温めた生クリームをチョコに流し込んで混ぜることに集中するフリをした。
「もうそろそろいいんじゃない?」
「な、なにが。」
「茅を彼氏にしてあげても」
「………」
答えが出てるなら、早く応えた方がいい。いい、のに。
紺野は?付き合うの?
もう奈緒のことはどうでもよくなったんじゃない?
奈緒といると疲れる?
それが頭をよぎってしまう。
気になるけど、恐怖心が先に来てしまう。
奈緒は無言で、溶けたチョコをトレイに流し込む。
ゆっくり広がっていくチョコレートを、眺める。
トレイを冷蔵庫に入れ、ボウルを洗ったら、雅美の隣に座った。
「茅のこと、好きでしょ?」
「…うん。好き」
初めて口にした。
なのに、言葉にしたそれは、妙にしっくりきた。
「そっかー」
顔が赤くなる。
それをからかうこともなく、嬉しそうに笑う。
「奈緒は何で止まってるの?」
雅美は奈緒を見て、のんびり訊いた。
「…こんなに待たせて、呆れてないかなって」
「ふむふむ」
「もう、わたしのことはいいや、友達のままでいいって、思ってるんじゃないかなって」
「なるほどね」
うんうんと頷いて、雅美はコップに口をつける。
「その、どう思われてるかわからない中、茅は奈緒に告白してくれたってことね」
「あ」
思い出した。
隼人と雅美の迎えに行ったときに、茅は雅美のことを好きだと思い込んでいたから。
「茅は、奈緒に気持ちを返してもらえると思って告白したんじゃないと思うなぁ」
誤解してほしくないと、哀しそうな目をして。
「ただ伝えたいって、思ってくれたってこと…?」
「そうだねぇ」
応えられると思ってなかったのだと思う。
今は可能性がゼロじゃないだけで十分だと、笑って言えるくらい。
黙って考え込む奈緒を見て、雅美は奈緒の言葉を待つ。
「茅くんは…」
「うん」
もうひとつ、気になっていたことを口にする。
「わたしといない方が、茅くんらしいんじゃないかなって」
「ほう」
「わたしといるとき…は、みんなといるときの茅くんと違う…し…」
「なーるほど?」
「…って、紺野さんにも言われて…」
ああ、と、合点がいったようで、雅美は頷いた。
「好きな子の前で、カッコつけたいだけでしょ」
なんてこともなく、雅美は言った。
「そりゃ、紺野ちゃんとか茅を好きな人にしたら、面白くないでしょうよー」
「紺野さん…“とか”…」
「茅が奈緒のこと好きなのは周りがみんな知ってるから、あんま表立っては言わないけど。可愛い顔してるし交友関係広いし、モテるんじゃない?」
やはり、やはりそうなのか。
そういう面を知るほど、なぜ奈緒のことを好いてくれているのか、不思議になる。
「早いとこ告白しちゃいなよー」
「ううう」
「チョコ渡してさ」
「も、もう他人事だと思って!雅美こそどうなの?」
「私は週末会うので告白してきまーす!」
「ええ!そうなの!」
「そうなのよん」
雅美はクッションを抱きしめて足をパタパタさせた。
「ふふふ、嬉しいなぁ」
「な、なにが」
「奈緒の恋バナ聞けるのが。今まで聞いてもらうばっかりだったもんね」
「そうだね」
「これからいろいろ奈緒の話も聞けるね」
話すこと、あるだろうか。
こんなにじっくり奈緒と仲良くなってくれた茅とですら、応えられもせず、こんな有様なのに。
楽しそうな雅美を他所に、奈緒はなんとなく、気分が沈んだ。