0−3 砲雷長、父親、パパ
現場にいる誰しも、この状況を理解出来ていない。だが、海上自衛隊は一人一人が専門分野をやれば良いだけで、他の事は考えなくて良い。だから、頭がパンクしそうな現状でも、状況に対処出来ているのだ。
部外者である鏡花は、当然ながら全く何も理解出来ない。然し、彼女は父の姿に釘付けであった。何をやっているか分らないが、初めて見た父の仕事をする姿に、この状況を差し置いて見惚れて居た。
「回避運動始め。第2せんそ〜く。おも〜か〜じ」
ここで漸く、航海指揮官は航海長に移った。が、砲雷長は戦闘時にはとても重要な配置となる。攻撃指揮官だ。
「間も無く、舵戻します。それで、少しは動き易くなると思います!」
航海長が、興奮で大きくなった声で皆に伝えた。
「魚雷、変らず自艦に向う」
まるで、下手な戦争映画の役者になったみたいだ。この場にいる曹士の一人が、ふと冷静になりそ思った。
艦橋乃至艦内が、しんと静まり返る。船体が波を押し退ける事で発生する唸声の様な振動の存在が、より際立った。この儘、フレームの一本や二本が折れてしまうのではないかと不安になってしまう。
「間も無く触雷!」
艦橋伝令の叫びを合図として、船体下部から爆発音が響いて来た。重心が前に移ると同時に、重力があまり感じられなくなった。そこかしこから、金属を叩いたかの様な音が連続して聞こえる。薄暗い洞窟に潜む、未知の生物の呻き声と聞き間違える程の不気味な音も聞こえて来る。被雷の衝撃で、船体に弱点が生まれ、軋み、水が流れ込んで来ているというのが素人の鏡花ですら分るものだ。
「第2機械室、浸水! 加えて、4甲板に繋る防水ハッチから、エアーが漏れ出ている!」
「現場指揮官は到着しているのか」
「分りません。混乱していて情報が……。そもそも、操縦室から応答がありません!」
質問した艦長を始め、艦橋に残らざるを得なかった各級指揮官等は絶句してしまった。
「応急班は何してるんだ」
「防水区画浸水対処の途中経過報告を最後に、連絡が取れません。恐らく、現場指揮官も……」
「応急班が全滅……?」
「この儘終れるか! 短魚雷発射用意! 目標補足次第発射!」
絶望色が広がる中、砲雷長はそれを払拭しようと、闘争心を駆立てた。攻撃指揮官たる砲雷長が出来る事は攻撃だ。そして、復帰不可能なこの艦が取れる行動も、攻撃のみだ。
「短魚雷、全部発射用意。目標、敵潜水艦」
水雷長が艦内放送で達した。
「短魚雷発射用意……ってぇ! 短魚雷発射。短魚雷、全部発射。再装填の要無し」
これで、出来る事は全てやった。Vertical Launch Anti Submarine Rocketも撃てるものなら撃っていたが、生憎と搭載していない。
「砲雷長。もう終りだ」
短魚雷を撃ち終るのを、艦長は待っていた。
「総員離艦」
反論する者は何処にも居なかった。被雷し、応急班も居なくなり、即応弾も無くなった。この艦に残りたいと思う者は、殆どいなくなった。
「総員離艦」
艦長の号令は、直様艦内に行き届く。浸水も歯止めが効かなくなったのか、艦は段段右に傾斜していった。
「鏡花、手を離すんじゃないぞ」
娘が直ぐ傍に居た父の行動は早かった。これを皮切りに、艦橋から人が捌けていく。
鉄帽と救命胴衣を着ている父は、自分の装着していたカポックを鏡花に着けさせた。その後、無理矢理手を引き艦橋を後にした。狭い通路、急な昇降梯を駆ける。父はそんな中でも、どうすれば頭をぶつけないか、どうすれば足を滑らせずに降りれるかを熟知しているから問題無いが、鏡花はそれを知らない上に父に引っ張られている為に、時折新たに痣を作りそうになる場面があった。今回は、幸いにもヒヤリハットで済んだ。
漸く、1甲板暴露部に着いた。第1、第2煙突に挟まれた中部甲板には、多くの自衛官と民間人が屯していた。通常の護衛艦と言えど、甲板から海面を覗くと思いの外、高く感じる。そうして民間人が尻込みするから、自衛官も逃げるに逃げれないのだ。
「待ってられないな。鏡花。少しここに居てくれ」
そう言うと、彼は何処からともなく斧を持って来た。1メートル以上の大きな物だ。それを彼はその儘振り下ろした。斧で破壊したのは、スタンションだ。離艦用に開けられた所が人で埋まっているのならば、新たに開ければ良い。
そして、いつになく強引に鏡花を半歩も踏み出せば海に落ちる程の際どい所に立たせた。急にそうされたものだから、鏡花は混乱と恐怖で支配された。
「パパ、無理だよ!」
「良いか。手は広げずに、左手はお腹に、右手は鼻を塞ぐんだ」
「ねぇ! 落ちる! 死んじゃうよ」
「最後は勇気だ。と言っても、海に向かってジャンプすれば良いだけだ。足はバタつかせるなよ」
鏡花の叫びをわざと無視し、彼は離艦時の飛込みの説明を進める。
「ほんとに! ほんとに落ちるよ!」
「鏡花!」
普段、説教はしても怒鳴る事はしなかった父が初めて怒鳴ったのを見て、鏡花は何も言えなくなった。初めて、父に恐怖を抱いた。
「ごめん」
泣きそうに眉間に皺を寄せた父は、娘を押し出した。恐怖で手が出せずにいた鏡花は、足だけで甲板に留まろうとしていたが当然堪える事は出来ない。落ちていく最中、鏡花は力の限り叫んでいた。
海水に落ちると、抵抗を極力無くした姿勢の為、少し深い所まで潜ってしまう。叫んでいた鏡花は、その儘海水を一口飲んでしまった。慌て踠くも、それに関係無くカポックのお蔭で顔は空気に触れた。誤嚥した分を全て吐き切る勢いで、何回も咳をする。その間、鏡花の目は父を捉えようとしていた。滲む視界から見える父は、カポックを着ていないし取りに行こうともしていない。自分の無事を確かめ、安堵した表情を浮かべているように見える。
「パパ」
鏡花が力いっぱい叫んだのと同時に、まるでそれが引金かの様に、前から二番目の煙突の元が爆発した。
鏡花は以前、我が物顔で父に艦内を案内された時、そこに魚雷庫がある事を教えてもらったのを思い出した。その時、整備か何かは分らないが、偶然魚雷庫の扉の南京錠が外された儘で、砲雷長権限と他には内緒と云う条件下の元開けて見せてくれた。丁度庫内は影となり最初こそは見えなかったが、父が電灯を点け見えなかった魚雷が唐突に現れ、鏡花は不意に胸が踊った。甲板上に展示されている黄色い魚雷とは違う、くすんだ真鍮の様な色を反射する弾頭は誰の目にも記憶として残るだろう。
その爆発で、さっき迄都会の歩道宜しく賑わいを演出していた人達が吹き飛ばされた。おもちゃの兵隊を幼児が蹴飛ばす様に、手にしたら重い筈の人が簡単に宙を舞う。それで、鏡花は父を見失った。
「パパ! やだ! パパ!」
鏡花が無意味に父を呼ぶ間に、艦はみるみる崩れて行く。先ず、既に被雷した格納庫付近は折れ、飛行甲板だけ海水に浸っていた。先程爆発した第2煙突付近は、船体が折れかけており、そこが丁度艦の中央である事から艦が弧を描いている。
そこからは、早かった。5分と経たない内に、艦らしい姿は無くなった。それを鏡花は、逃げる事もせずにずっと見つめていた。
読んでくださりありがとうございました。
自衛隊作品を他で書いている影響か、プロローグであるはずのこれが長くなってしまいました……。