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仕事ができないダメ人間

作者: 現実逃避

※この文章は一部事実とは異なります※





私は仕事ができないダメ人間。




「どうしてやらないの?」

「なんで出来ないの?」

「聞いたらそう言い切ったよね?」

「どうして嘘つくの?」

嘘とは何を指してそう言うのか。問われても私はその答えを持ち合わせてない。



仕事に誇りを持っている者はキラキラとした忙しく輝いた日々を送っているに違いない。そのための努力もきっと惜しまないだろう。

しかし、全ての人間がその通りかと問われれば答えは「NO」だ。努力の仕方が足りない。言い訳ばかりしている。果たしてそれは「悪」だろうか。

努力することは素敵なことだと思う。だが、人間千差万別。よく働く者もいれば、よくサボる者もいる。



努力しようにも「そうじゃない」「なんでそんな効率が悪いことしてるの」とそんな言葉を聞いた時今までのモチベーションで努力し続けられる人間がどれだけいるだろうか。

我を通そうとすれば「勝手にすれば!好きにすれば!」と、意見を求めれば「自分で考えて!」と、出来る人を見てよいと思ったことを真似すれば「真似しないで!」と言われた時。

果たして何をすれば正解なのか考え、理解し、行動出来る人間がこの世にどれほどいるだろうか。努力し続けられる人間がどれほどいるだろう。



自分が出来てないことに対して指摘を受ける。「はい、すみません。以後気をつけます」と答える。相手が似たような事が出来ていなかったので指摘をする。「はい。…はぁー」と溜息。

手伝いを求められずにいれば「手伝ってて声かけて」と、声をかければ「それくらい自分でやって」と答えが返ってくる。



複数人でしてしている仕事。自分が担当した箇所か覚えてないが、まるで自分の失敗かのように言われる。

以前、担当してない箇所だとはっきり覚えてた事柄に対して「担当していない」と答えたら、「そんなはずはない」と否定された事がある。しかし、今回はもしかしたら自分のミスかもしれない。「ちゃんと確認したのか?」と問われ、「した」と答える。「本当に?!」と口調キツく言われ、自信満々に「はい!」と言える人間はどれほどいるだろう。確認しても確認漏れということもある。見間違えることもある。…もしかしたら、自身の失敗では?と思い「出来てなかったかも」と言えば「聞いたらそう言い切ったよね?」「どうして嘘つくの?なんでミスするの?」



何故嘘と言い切れる?



人間の記憶などあやふやだ。ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが発見した「忘却曲線」によれば、人間は20分後には42%、1時間後には56%、1日後には74%、1週間後には77%覚えた事を忘れてしまうとされている。ならば1ヶ月前の事をどこまで覚えている?

叱責されていると感じた時に自身の記憶をどこまで信用できるか?それ以上何も答えられないと大きな溜息。




自分の仕事への甘さがあるのも事実。




相手は優秀だ。努力出来る人だ。尊敬するに値する人だ。だが、すぐに頭に血が昇る人だ。

気に入らない事、思い通りにいかない事があるとイライラ。物を叩きつけるように大きな音が鳴るような形でテーブルに置く。固定電話の受話器を投げるように置く。ペンをカチカチカチカチ………。「私イライラしてます」が体現している。自分の所為ではないと分かっていても身体が強張る。見て見ぬふりをする。

そんな自分を見てイライラしている。

責めているような強い口調でキツく言う。

そんな人に「不機嫌そうだったら直すように声をかけて」と言われ、「今不機嫌になってる。直して」と声をかけられるだろうか…。答えは否。



手を出しても、出さなくても何か言われるなら波風立てず言われた事以上のことは何もしない。そのような結論に辿り着いたとしても責められらないのではないか?

そのような環境下に居続けた人間が本心を出せなくなっても仕方がないのではないか?

成長を止めてしまったとしても、努力を諦めてしまったとしても仕方ないのではないか?



「何も意見言わないけど考えてるの?」

「どうして何も言わないの?」

「努力したの?」



言ったところで何が変わる。自身で考えた事を否定されて、非難され、口数少なくなることの何が悪い。



人を責めるのは簡単だ。お前が間違っている、私が正しいと言うだけだから。

「それじゃ駄目」「でも、こうだよね」「だって出来ないでしょ」とアドバイスのようで否定していることもある。

だからこそ、時には「うん、うん」と話を聞くだけという行為も必要なのではないか。

アドバイスも「それもいいね。こういうやり方もあるけどどうかな?」と提案し、相手の思考の幅を広げる事も大切なのではないだろうか。



人それぞれペースがある、出来ること出来ないことがある。自分が当たり前に出来ることを他人が出来るとは限らない。覚えるのに時間がかかる、メモをとっても忘れてしまうことだってある。他人を変えることは出来ない。自分を変えることも難しい。それでも迷惑を掛けまい、自分が出来ることを最低しよう。出来ないなら、出来ないなりに任された仕事を黙々としよう。




そんな想いを相手は知らない。




そして、今日もイライラ。聞こえていなかった為挨拶が疎かになってしまった。「挨拶(返事)ぐらいしろ」と言われ、直す。が、相手は挨拶(返事)をしない。「相手の顔を見ろ」と言う。が、相手は顔を見ない。「お客に馴れ馴れしくするな、正しい敬語を使え」と言う。が、相手は馴れ馴れしい。タメ口。「業務に関係ない話はするな」と言う。が、相手はする。

挙げ句の果てには、お客にも口調キツく対応。

クレームが入ることもある。

始末書を書くが、口調に対しての改善点は一切記入なし。案内の仕方が問題だったと。




何故それが一番の問題だと気がつかない?




自分の事は棚に上げて、出来ない私を標的に今日も今日とてイライラ。





だから私は今日も

「仕事ができないダメ人間」





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