30.***凝霧***
「残った問題は、黄泉比良坂と鬼門か?」
儀式が終わった途端にへたりこんだ真桜の髪を指先で弄びながら、アカリが小首を傾げる。人形を纏った光神の眷属は夜空を見上げた。
呪詛の根源たる姫を送り、彼女の執着の要因となった男を落とした。黄泉の洞穴は闇の神王たる父親の領域で、鬼門は鬼である天若の管轄だ。どちらが先か、考えるまでもなかった。
「そうだな……まず、寝てから動こう」
眠い目を擦りながら呟き、真桜はふらふらと立ち上がる。華守流が顔を顰めて腕を掴み、ひょいっと肩に担いだ。荷物と同等の扱いだが、文句を言う気力もない。すでに眠りかけている主人をよそに、式神達は慣れた様子で帰宅の準備を整えた。
足元に陣を展開した華炎が華守流とアカリの手を取る。そうして姿を消した彼らは気付かなかった。屋敷の塀の影で、悲鳴を押さえながら覗き見ていた存在を――。
黒い刀として閂の役目を果たす黒葉の意識は、ぼんやりと漂っていた。主人である真桜に命じられたのは、鬼門を封じる役目だ。元は神気の塊が意思を得た存在なので、身体という概念は存在しなかった。
漂う意識が凝った神気は、漆黒の霧の形で門を包み込む。現在の鬼門は黒葉の領域であり、並みの神族では破れない結界に近い空間になっていた。
≪我が眷属たる闇の霧よ、顕現せよ≫
鍵となる言霊に、拡散した意識が急速に鮮明になる。呼ばれるまま、己の形を思い出して作り出した。
この人形は主人の母であった巫女が思い浮かべた青年の姿だ。亡き兄がこのような姿をしていたのだと、懐かしそうに彼女は笑った。
闇の神王の妻となった巫女によって与えられた形で現れた黒葉へ、主人であり巫女の息子である真桜が手を伸ばす。素直に手を取って跪き、彼の左手を己の額に押し当てた。
「ご苦労さん、黒葉。問題はなかったか?」
『はい、問題はありません』
「門が、じゃなくて…お前が、だぞ?」
しっかり釘を刺されてしまった。確かに返答は鬼門に対してのものだった。ニュアンスで気付かれたらしいが、心配そうな主人に口元が緩む。巫女と同じく彼も心配が過ぎるのだ。人ではなく、神でもなく、者でもない私に対し、彼らは人に対するような気遣いを見せた。
以前は意味が分からなかったが、最近は心地よさを思える。だから口うるさいほど、真桜を心配するようになったのだ。観察した主人はどうやら睡眠をとったばかりのようで、顔色が明るかった。
『どちらも問題ありませんよ』
だから重ねて否定しておく。ほっとした様子で真桜が大きく息を吐き、仮の閂が外れたことで開きかけた鬼門へ向き直った。




