29.***糾縄***
「これで終わりではあるまい」
アカリの指摘に真桜は目を見開き、肩を竦める。
「そうだな、世は循環する輪であり――禍福は糾える縄の如し、か」
災いも幸いも表裏一体の世界で、片方のみが損をするのはおかしい。真桜は結った髪を解いた。赤茶の髪はこの国では鬼よ妖よと嫌われる。人外の証を解放し、数回息を整えた。
真桜の周囲の風が逆巻き、水に遊ぶように髪が舞い上がる。
「華炎、華守流」
名を呼べば、2人は顕現する。主の力の一部を借りて、人形を纏った2人の式神がゆったりと膝を折った。配下の礼を取る彼らに、真桜は青紫の瞳を向ける。
闇を濃くして紫紺に染まる瞳が瞬いた。口元は緩やかに弧を描き、その表情は人とかけ離れたものとなる。麗しいとも怖ろしいとも表現しがたい、複数の感情を呼び起こした。
「咎持ちを送る。供をせよ」
「ならば、我もそなたの供となろう」
闇の神族が行う咎送りの儀に、光の眷属であるアカリが付き従う。それは光と闇の双方が、現世に不要と判断した咎持ちの排除だった。人の輪廻からはずれ、人ならざるモノとして彷徨い、己の罪をすべて禊ぐまで消滅すら許されない。
――生きた人間が堕とされる闇、深く長い贖罪を意味した。
≪ひふみよ、いつむ、ななやの、ここのたり……満りて足りぬ、生きて往けぬ。不実は負實となり、彼の者、贖いきれず。我は咎を棘として与えよう――誘え、冥府の扉よ≫
華炎が火を灯し、華守流が火を護る。その火を受け継いだアカリが、手の中で揺らぐ火を夜空へ翳す。火は瞬く間に大きくなり、都を包んだ。陽炎に似た火は、現世に冥府を重ねるためのもの。
生ぬるい風が都を駆け抜けた。人々の記憶を浚い、ある男の存在を攫う。最初からその者が、この世に存在しなかったかのように。まるでその者など、今生に不要だと告げるように。
冥府の風は、一人の男と彼に関する人々の認識そのものを消し去った。
「……導かねば」
攫った魂が迷う。左手の人差し指を立てると、ほんのりと暗い火が灯った。死者を導く闇の火は、今にも消えそうな蝋燭のように揺らめく。
≪ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり≫
区切って数え、魂を呼び寄せる。それは姫を口説いてその気にさせ、条件のいい女に乗り換えて捨てた極悪非道な男の魂であり、同時に姫がどこまでも欲した存在でもあった。
「お前は償わなければならない」
冥府の風に運ばれた魂に声をかけ、真桜は長い髪を揺らしながら右手で音を鳴らす。咎持ちを冥府の闇へ送る儀式は、人々に知られることなく……ひっそりと行われた。




