28.***同情***
麗しく貴き身分に生まれた姫君だった亡骸へ一礼し、真桜は踵を返した。振り返った先で、アカリが導きを願うように手を組んでいる。見送る2人の視線に護られて、哀れな魂は地上を離れた。
呪詛の原因だった彼女は、すでに狂い始めていたのだろう。藤之宮の手を取ったとき、姫が秘めた狂気じみた執着が伝わった。姫はとうに息絶えていたのだ。
遺骸の動力となった感情は、激しい恋情と男の不実を呪うものだけ。ただただ恋焦がれた存在の迎えを待つために、寿命が尽きた身体を維持した。女房あたりは気付いてたかも知れない。彼女の黒髪が抜けるのも、その肌が乾燥して枝のように細るのも、命の灯火が絶えたが故。
呪いと恋情が狂気に力を与えた結果、国や都を滅ぼしかけた。
大切な女主人が死んだことを認めたくなかったのか。それとも成仏するまで付き合うつもりだったのか。女房の考えはわからない。だが――。
見送った魂に安堵の息をついた真桜が姫に視線を戻せば、両手を合わせてこちらへ頭を下げる白髪交じりの女房の姿があった。亡くなった事実に慌てふためく様子はなく、彼女は落ち着いている。
枝のように細い指をそっと胸の上に組ませ、美しい衣を上掛けにして姫を護るように包み込んだ。その目は穏やかで、涙はない。
幼い頃から見守ってきたのだろう。母親と呼べる年齢の女房は、ただ無言で姫の亡骸の前に座り続ける。抜け落ちた黒髪をまとめて作った髢(付け毛)をつけた姫の手を上から撫でていた。
純粋であるが故に男の言葉を信じ、純粋だったから諦められなかった。騙されたかも知れないと疑うことすら己に禁じた姫は、夏から不実な男を待ち続けたのだ。
「真桜」
同情するな。淡々とした低い声に、真桜は頷いた。分かっている。同情したからって、もっと早く知っていたって、真桜に出来ることは同じだ。呪詛の源である姫の命を断ち切るだけ。だから同情しても意味はない。
彼女を哀れみはしても、その残された想いに引き摺られるわけにいかないのだ。同情するほど偉くなったわけでもあるまい。
無言で屋敷を後にする。この後は朽ちる運命にある屋敷は、ただ静かだった。庭の木々が亡き主人を見送るようにざわめく。そう感じることすら、真桜の思い込みに過ぎなかった。
冷たい手を取った左手を見つめる。体温のない身体を脱ぎ捨てた彼女の手は、温かかった気がした。ぎゅっと握り締めた拳にアカリの手が重ねられる。振り返った門は閉ざされ、屋敷はしんと沈黙を纏っていた。




