12.***言祓***
白い鳩が舞い降りた。透けるように美しい鳥は優雅に部屋を回り、女性の隣に降り立つ。
直後、北の方である女性ではなく、隣の女房が悲鳴を上げて蹲った。
「だ、誰か……誰かおらぬか」
部屋の主の呼び声に、父君や婿殿が駆けつける。簾越しに異常を感じ取った父君が慌てて叫んだ。
「陰陽師を呼べ!」
走り出す家の者の足音が聞こえる。扇で顔を隠した娘を己の後ろに庇い、取り憑かれたように髪を振り乱して暴れる女房から遠ざかった。
「無事か?」
「はい」
娘と父の会話に、婿殿は呆然と状況を眺めるのみだ。何が起きたのか理解できない。夜更けに叫んで暴れる女房は、普段穏やかな人柄で控えめだった。
調度品の上に倒れこみ、几帳を倒して暴れる彼女は激痛に堪えるように、身を捩って獣の咆哮を上げる。上位貴族の屋敷に勤める女房としての気高さや誇りは微塵も感じられなかった。
彼女がここまで取り乱す何があったのか。
「大臣さま、陰陽師殿がお見えに……」
侍従が必死で主の注意を引く。彼が駆け出した塀の外で、薄絹を纏った公達に出会った。淡い紫の薄絹から覗く赤茶の髪――すぐ陰陽寮の者だと気づいたのは、真桜に一度会っているからだ。
文探しの依頼をした父君に付き添って、最上という陰陽師を見ていた。鬼のごとき赤茶の髪と、忌むべき青紫の目をもつ存在を他に知らない。ましてや妖による騒動が起きている都で、丑の刻をすぎて外出する公達などいないだろう。
「は、早く何とかせよ!」
父君が叫ぶ。後ろで震える姫が婿へ手を伸ばした。咄嗟に駆け寄った婿殿が抱き締める。
袖を引っ張り連れて来られた陰陽師は、状況を理解したのか。袖を振り払って、印を結んだ。複雑な形を作っては解き、流れるように次々と印を変える。長い白い指が最後に両手を組んで動きを止めた。
≪ひふみよななや…ここのたり……ふるえ、ゆらとふるえ≫
耳障りのよい声が、女房の絶叫をかき消すように重なる。印を結んでいた手を解き、人差し指と中指を真っ直ぐに女房へ向けた。
≪解≫
黒い煙が、女房の口や耳から零れだす。
「ひっ……」
悲鳴を上げて腰を抜かした婿に縋りつく姫と、彼らを庇う形で立ちはだかる父君が後ずさった。黒い煙を避けようとする彼らの前に足を踏み出し、真桜は小さな声でアカリに尋ねる。
「……消えた?」
『消えたが、これは最初の呪詛ではない』
予想外の言葉に、真桜の表情が引きつった。




