第6話 未来に向けて
部屋に残された3人は、同時に顔を見合わせた。クノが本棚の隣から椅子を2つ持ってきて、ベネルフィとともに座る。3人は普段ベネルフィが使っている机を囲むように席に着いた。
「さて、と。実際のところを話しましょうか」
目を細めたミリは、威圧感すら放ちながら口を開いた。先ほどのような優しい雰囲気はすでにない。『地獄の時代』の人類を生き延びさせた生きた伝説。膨大な量のデータを記憶し、未来予知に等しいレベルで未来を予測する『予言者』として、人類を導いた者。
『天姫』ミリ。伊達や酔狂で『人類という種族の未来』を背負っていたわけではない。
「魔獣と意思の疎通を行える新世代の魔人。魔人、という言葉の意味を再確認しましょう」
「……魔人とは。人の形をしていながら人ならざるもの……新たな力を宿した人間たちのことです」
ミリの言葉に、クノが答える。『地獄の時代』から魔人という存在は確認されていた。
“語り部”シギーや、“教徒”と呼ばれる男。公にはされていないが、“惨殺鬼”フリートという男もここに分類されている。
女神カロシルがこの世界に存在した時は、『祝福』と呼ばれる女神の加護が人類には存在した。腕力の強化、物質の肥大化、経験値の再分配などその異能は多岐に渡っていたが、女神カロシルと女神ベレシスが消滅した時に『祝福』の全ては失われた。
そういった『祝福』でも、魔法でも、魔術でも、精霊士とも違う、例が少ない希少な異能持ちたち。それが、『魔人』と呼ばれる存在たちだ。
「『地獄の時代』では魔人は種族として認識されていました。額に存在する角で魔法を制御し、強力な身体能力を持つ種族として。ただ、現在では意味合いが変わっています。かつての魔人たちもひっくるめて、『異様な力を持つ人型の生物』は全て魔人と呼称します。もし、同じような能力を持つ人物が複数集まれば、魔獣のように種族名を決めることもあるでしょう」
「……今のところ、正式に魔人認定されているのは3人。“語り部”、“教徒”、“迷宮”。それぞれの能力が異なるため、彼らは違う存在として分類されています」
「ティークくんが……4人目に、なるのか」
ベネルフィの呟きに、クノとミリが頷く。魔獣と心を通わせた存在など、今まで見たことも聞いたこともない。魔獣とは人類の宿敵であり、断ち切れない因縁がそこにはある。
「まだ名前までは決めていませんが、彼が4人目の魔人です。見つけてくれたリーリルちゃんには感謝しかありませんね。ここに来るように誘導してくれたことにも」
「……」
ミリの目が細く絞られる。
「学院長。話した感触はどうでしたか?」
ベネルフィは背筋を伸ばし、背中を伝う冷や汗を自覚した。『天姫』ミリ――魔王の討伐から勇み足で飛び出し、魔獣たちにさんざんに蹴散らされた人類を再びまとめ上げた稀代の支配者。たった1人で人類の内政を取り仕切る、生きた伝説。
「……人間に対して恨みを抱いているようには見えませんでした。そしてガーム村で起きた事件のことを考えれば、魔獣に対して憎しみを抱いていてもよさそうなものですが、それもなく。私が話した感触では、好奇心が強いところはありますが、普通の少年です」
「普通、か」
思わずといった様子で呟いたクノは、苛立ち紛れに舌打ちした。リーリルの弟である以上、その言葉はさんざん聞いた単語なのだろう。ベネルフィの言葉を聞いたミリは、静かに目を閉じて、数秒考えた。
やがて目を開き、まっすぐにベネルフィの目を見つめて口を動かす。
「わかりました。では、経過観察とします。いざというときは対処しますので、見張れとまでは言いませんが気を配る人員を配置してください」
「……了解です」
「リーリルの件は引き続き捜索はしますが、人員はそれほど割けません。クノはああ言いましたが、実際のところどうなんですか?」
ミリが目線で正直に話すよう促すと、クノは静かに答えた。
「あくまで馬鹿姉貴が生きているという仮定の話であれば。もし姉貴が本気で隠れているなら、見つけるのは至難の業だろう。探すだけ無駄だ」
ミリとクノが作り上げた情報網からすり抜け続けるリーリルという女性。抜けているところはあったが、何の理由もなしに生徒たちを放り出すような人物ではないことを、この場の全員が知っている。底抜けに明るく、お人よしで、剣の腕は『地獄の時代』を終わらせた英雄2人からのお墨付きを受けた人物なのだ。
「ん……まあ、そうでしょうね。あなたたち姉弟は本当に優秀すぎるのが困りものです」
「恐縮です」
何かを思い出すように目を閉じるミリと、無表情で軽く頭を下げるクノ。多少、他人の感情の機微を軽視するところのあるクノだが、ミリの後継者として十分以上に力を発揮してくれている。これからも厳しい時代を生き延びならなければならない人類にとって、クノは必要な人材だ。
「リーリルちゃん……いったい、どこで何をしているのかしら」
明るく笑い、自分のことを『普通だ』と言い続けていた彼女のことを思い出し、ミリは小さく溜息をついた。失踪直後こそ移動経路や目撃情報で後を追ったものの、多少の痕跡はあれど姿は見えず。ミリとクノという人類の叡智を持つ2人の追跡をかわし切り、リーリルという女性は姿を消した。
「馬鹿姉貴はどうせまたなんか思い込みでやる必要のないことをしてますよ。私が学院に入学した時もクラス全員で押しかけて盛大に誕生日パーティーを開催したあげく、クラスの人たちは私の顔も名前もわからず、顔が似てた違う男子が祝われるとかいう事件を起こした女ですよ」
「まだ根に持ってたんですか、それ……」
ベネルフィは古い記憶を引っ張り出して笑う。奔放で明るい姉、リーリルと、冷静で知的な弟クノを象徴する事件だった。もちろん、リーリルはこっぴどく教師に叱られ、2人の教師に混じってクノも説教する側に回っていたのだから始末に負えない。
「……しかし、魔獣と意思疎通ができる人間、ですか」
ベネルフィは思案するように天井を見上げる。
「新しい時代、ですよ。学院長」
「ミリ様は、魔獣に何か思うことはないんですか」
ベネルフィの問いかけに、ミリは一瞬だけ目を見開いた。だがすぐに、表情を取り繕う。
「……すべては予測のもとに起きたこと。彼は納得していましたし、彼女も理解してくれました。結果がどうであれ、私たちは常に未来を目指しています」
そっと右手を撫でるミリ。銀と金のブレスレットが擦れ、軽やかな音が鳴る。それが形見であることを知っている2人は、無言で顔を伏せた。
人類と魔獣の戦いは、多くの犠牲を生み出してきた。
『地獄の時代』を生き抜いた英雄、『天姫』ミリ。その戦友も、親友も。
「クノ。そして、2代目の『ベネルフィ』」
ミリから名を呼ばれた2人は、思わず背筋を伸ばす。
「現状を受け入れなさい。まだ若い2人には難しいかもしれないけれど、私たちは『最善』を目指すことを許されないこともある。ただ、私が生きている間はその責を私が背負いましょう。貴方たちは、『やりたいこと』と『やるべきこと』を間違えないように」
「……わかりました」
「了解、しました」
3人は、同時にティークが出ていった扉を見た。まるで、ティークを通じて未来を見通そうとしているかのように。
† † † †
「やあティーク、偶然だな!」
「いや、先輩絶対待ち伏せしてましたよね」
男子寮に戻ったティークの正面には、3つの人影があった。1つは男子寮の寮長であるズーザのもの。そしてもう1つは、先ほどすれ違った魔獣科の先輩、チェガのものだ。最後の1つは、茶髪を短く切りそろえた少女。ぼんやりと空中を眺めているが、どことなく面影がチェガに似ている。
「まあそうとも言うけどな! 俺がここでティークを待つって言ったら、こいつらが――」
「ズーザ寮長と呼べ」
「はい。ズーザ寮長とこいつが――」
「初めまして。私はマーシャです」
「あっはい。どうも」
チェガの言葉を遮って手を差し出してきた少女に反応し、ティークも咄嗟に彼女の手を握り返した。
「俺に喋らせろ!!」
その間に割り込んできたチェガによって、すぐに離すことになったが。
「お前が訳アリって聞いてよぉ……その訳までは知らないけどよぉ……俺の、なんつーの? 先輩魂っていうかよ。兄貴肌というかな? そういう部分が疼くんだよ。マーシャの仕事先見つけたのも俺だしな!」
「えっ、そうなんですか」
「マーシャです。2年生です。よろしく」
「あっはい。よろしくお願いします」
「マーシャ、ちょっと静かにしててもらっていいかな?」
「チェガの妹です。学院出てすぐのパン屋で働いてます。ぜひどうぞ」
「あっ、どうも」
「マーシャ、ちょっと静かにしててもらっていいかな!? お兄ちゃん、わりと頑張ってるから今!」
必死に会話の主導権を握ろうとするチェガをしり目に、チェガの妹を名乗ったマーシャはマイペースに口を開く。マーシャは茫洋とした瞳でティークを眺めると、ぺこりと頭を下げた。
「兄が迷惑をかけると思いますが、諦めの気持ちで付き合ってやってください」
「はぁ……」
曖昧な返事をしたティークに気を悪くした様子も見せず、マーシャは軽く右手を上げると歩き始めた。ティークが何をするのかと見守っていると、そのまま女子寮の方角に歩いていった。どうやら帰ったらしい。妙にひょこひょこと、跳ねるように歩いていったは、癖なのだろうか。
「んんっ!」
わざとらしい咳払いをしたチェガに、ティークが向き直る。後ろで笑いを堪えているズーザを努めて無視し、チェガは口を開いた。
「というわけで、ティーク。お前に短期労働訓練先を紹介してやろう!」
「で、本音は?」
「人が足りないから連れてこいって言われてて――ってズーザ寮長は黙っててください!」
こらえきれずに爆笑し始めたズーザ寮長は、何度かティークの肩を叩いた。
「不安に思うかもしれんが、こいつにしてはだいぶまともな提案だ。何をするにしても、お金は必要になる。受けておいていいと思うぞ?」
ティークが腰に携えたナイフを軽くたたき、ズーザは笑う。その様子から自分がやろうとしていることを勘付かれたことに気づいたティークは、僅かに目を見開いた。
(この人……気づいて……?)
「そう、例えば――人探しとかな。」
ニッ、と笑ったズーザは笑いながら男子寮の中に戻っていく。ティークは思わず真意を聞きそうになったが、その前にチェガが目を輝かせながら割り込んできた。
「お前に頼みたいのは、そう! 魔獣探索隊の案内係だ!!」
聞き覚えのない単語を聞き、自信ありげに腕を組むチェガの前で、ティークは首を傾げるのだった。