第3話 現状
「おいおい、学院長さん」
扉を勢いよく入ってきた女性に、呆れたように首を横に振るガゼジア。続いて、目を細くして怒りの気配を纏う。
「お茶の『匂い』じゃねぇ。『香り』だ」
「どっちでもいいわよそんなの」
こだわりを一瞬で切って捨てられたガゼジア。機敏な動作で歩み寄ってきた女性は、乱雑に椅子に腰かけ、勢いよくカップを傾けた。
「あっつ!?」
「ははは、馬鹿め! お茶の祟りだ!!」
「このクソ筋肉ダルマめ……!」
淹れたてじゃないの、早過ぎたわ、と小声でぼやき、女性はカップをテーブルに戻した。薄緑色の髪を腰まで伸ばした女性だ。シンプルな服装とは裏腹に、腰に下げた大き目のポーチからは様々なアクセサリーが覗いている。
「自己紹介させてちょうだい。私の名前はベネルフィ。2代目の学院長よ」
「ははは。お前みたいな奴が『ベネルフィ』になるとは思わなかったけどな」
「うるさいわよ、筋肉ダルマ」
鋭い目つきでガゼジアを睨んだ後、カップを持ち上げて息を吹きかける女性。強気な印象が強い女性だったが、そうしていると無邪気な少女のようにも見える。不思議な女性だった。
「で、あなたがリーリルのマントを持ってきたっていう子ね。いったいどういうことなのか、イチから説明してもらおうかしら?」
足を組み、『ベネルフィ』を名乗った女性はティークを見据えた。ティークは知らないが、『ベネルフィ』とは学院を創設した女性の名前だ。そのこともあり、学院の名前は『ベネルフィ学院』になるはずだったのだが、本人がそのことを嫌がり、学院の学院長は代々『ベネルフィ』という名前を継ぐことになった。
当代最高の『魔女』の証。それこそが、『ベネルフィ』の意味である。
「えぇと、俺は開拓村ガームの生き残りなんですけど……村が滅んだあと、リーリルさんに会いまして、これとマントを預かりました。困ったことがあれば、学院都市クゼースを頼りなさい、と」
ティークは腰から鞘ごと短剣を外し、テーブルの上に置いた。
「……ガームの……いえ、それは今はいいでしょう。この短剣、確認してもいいかしら?」
「はい」
ベネルフィは短剣を手に取り、真剣な目で見つめる。そして、鞘に刻まれた刻印を撫でた。交差する杖と剣、中央に掲げられた宝玉――学院の刻印である。マントにも同じ刺繍が施されていたことから、ベネルフィはこの少年は嘘をついていない、と判断した。
この刻印が施された物を持つのは、主席卒業生か、学院教師のみ。失くせば厳重注意を受けるので、『あったかいから』とか『切れ味がいいから』とかの理由で持ち歩いていたのはリーリルだけだ。
「……リーリルにこれを託されたのはいつ?」
「5年前です」
頭痛を抑えるように、額を揉みこむベネルフィ。
「確かに5年くらい前に、あの子はマントと短剣を失くしたって言ってたわ……というか、あなたのことを話に聞いているわ。不思議な力のこともね」
ティークの顔が緊張でこわばる。
「『もし私に何かあれば』、なんて言ってたけど。まさか本当に何かあるとはね……というわけで、この子の面倒は私が見るわ。いいわね、筋肉ダルマ」
「お前がそれでいいならいいぞ」
ガゼジアの返答を聞いたベネルフィは立ち上がり、ティークの手を引く。警戒しながらも、ティークは逆らわずに立ち上がった。
(俺の力を知っている……? だけど、それにしては警戒心が薄い……とりあえず嫌な感じはしないからいいか)
ティークは森で生き延びた経験から、敵となる生物は本能で嗅ぎ分けることができるようになった。毒草や毒虫からは、なんとなく『嫌な気配』を感じ取れるのだ。とりあえず、今手を引く女性からは悪意は感じなかった。
「……そういえば、あなたの意見を聞いてなかったわね。どうする、ティークくん?」
「え……俺の名前……?」
「リーリルから聞いてるわよ、名前と力のことは。多少剣の手ほどきをしたこともね」
(あれが多少……?)
引きつった笑みを浮かべているのを自覚しながら、ティークはベネルフィに返答する。
「ええと、ベネルフィ、さん? よろしくお願いします」
「あら、意外と素直ね。リーリルにも見習ってほしかったくらい」
いざというときはあの森に帰ればいい話だが、とりあえず色々と聞きたいことがある。
「リーリルさんは、どうして行方不明になったんですか?」
「……気になるわよね。これに関しては私たちも分かっていることは多くない。ただ、彼女の自室に意味ありげなメモが残してあったことから、事件に巻き込まれたのではなく、自分の意思で姿を消したと考えているわ」
「自分の意思で……?」
ティークは顔を伏せた。だとするならば、彼女は自分の意思で出ていって、自分の意思で戻ってきていないのだろうか? 自分との約束も忘れて……?
(その程度の存在だったのかな……俺って……)
「大丈夫よ」
「えっ?」
前を歩くベネルフィは、振り返らずにティークに言葉を投げかける。その声色は、厳しくも優しく、後進を育てる者としての矜持を感じさせた。
「あの子は私が選んだ学院教師。生徒との約束を自分の都合で反故にしたりはしない。やむを得ない事情があったのよ」
その言葉からは、ベネルフィからリーリルへの揺るぎない信頼を感じ取れた。ティークは俯き、一瞬でも彼女を疑った自分を責めた。
「あなたの力のことを考えれば、私としてはそばに置いておきたいわね。ただ、わかってると思うけど……」
「はい。この力のことは『他言無用』、ですね」
それは、ティークが過去にリーリルに言われた言葉でもある。
「ええ。正直、『地獄の時代』が終わって、人類は戦力不足よ。魔法や魔術、精霊との交信の研究も大急ぎで進めているけど、現状戦力はいくらあっても足りないわ。そんななかで、あなたのような人間が現れたと知ったら――」
魔獣と心を通わせる力。正確に言うのであれば、魔獣と対話をする力。そんな力がもしバレたら。
「魔人として殺されるか。もしくは、研究材料にされるか。もちろん、そんなことにはさせないけど、嫌な思いをしないようにティークも気を付けて」
「……はい」
ティークは頷き、いつの間にか離れていた距離を詰めた。二人分の足音が石畳に響く。
「で、質問なんだけど。今もその、魔獣はいるの?」
「えぇと、はい。【地に潜む大蛇】の幼体の子がついてきてくれています」
「そう、それならある程度は安心ね。【地に潜む大蛇】の隠密性は私もよく知ってるわ。荒野を開拓するのにだいぶ苦戦させられた魔獣だからね」
冗談めかして、それでいて真剣な声音で告げるベネルフィに、ティークは思わず苦笑した。【地に潜む大蛇】は近くを通りがかった獲物に襲い掛かるが、その予兆を見分けるのは困難だ。微かな息遣いや、地面の反響音を聞き分けられるのであれば別だが、ベネルフィのような魔法主体の人間には対処がしづらい。
「ベネルフィさんのそれは、全部魔獣の素材ですか」
「ん? ああ、コレ?」
ポーチを持ち上げる。そのポーチの外側にはキーホルダーのように加工された魔獣の触媒が大量にぶら下がっていた。牙や毛、爪に角。その種類は多かったが、ティークにとっては慣れ親しんだものだ。
「あんまりいい気はしないかもしれないけど、魔獣の素材は魔法用の触媒として非常に優秀なの。だから私のような魔導士はみんな魔獣の素材を持ち歩いてると思うわ」
「……いえ。わかってました」
ティークは胸元に視線を落とし、拳を握りしめた。そこには陣が刻まれた牙のネックレスがある。
「【双頭の獣王】の牙、【魔反射の亀】の鱗……それにそれは、【乱れ舞う飛竜】の角、ですか」
「……あら、この角までわかるの。素晴らしいわね。見たことがあるの?」
「一度だけ」
空中を舞う荒れ狂う竜の姿を見て、対話を挑む勇気はなかったが。ガズやゼダ、アーズに聞いても、【乱れ舞う飛竜】に対しては怯えるばかりだった。ティークと仲がいい魔獣たちにとって、【乱れ舞う飛竜】は圧倒的に上位の捕食者という認識だったのだ。
特にロラーンの怯えようは凄まじかった。同じ空を飛ぶ者としての恐怖感があるのだろう。
「もう鑑定者として生きていけそうね、ティークくんは。まあ、やりたくないでしょうけど」
「……そうですね」
互いに仕方のないことと理解しているとはいえ、魔獣の素材を見ると心がざわめく。人類も魔獣も、生き残るために戦っている。自分とガズたちとの関係が異常なのであって、この地に生きる人類は魔獣たちを敵とみなしているのだ。
「ティークくんは魔術の研究か、精霊の研究の方が向いてるかもね」
「魔……術? 精霊?」
詰所から出た2人は、見張りの兵士に声をかけてから歩き出す。ベネルフィはこの学院都市の最高責任者でもある、簡単に通り抜けることができた。
「じゃあ、学院長から直々の講義をしてあげるわ……っと、その前に」
ティークは初めて見る『都市』の雰囲気に圧倒された。学院都市クゼースはなにもかもが作りかけだったガーム村とは違い、洗練された『完成品』のオーラを纏っていた。
「ようこそ、学院都市クゼースへ!」
踏みならされた土の道路、左右に並ぶ店の数々。道を歩く者は若い者が多く、私服の者もいれば学院の制服を着ている者もいる。家族連れも何組かおり、ちょうどティークと同い年くらいの子供が両親とともに歩いている。ティークが知っているのは、クゼースの他には開拓村ガームくらいだが、比較するまでもない。クゼースの方が活気がある。
「今の時期は入学希望者が集まってくるのよ。『天姫』様と初代学院長の遺言に従って、学院の授業料は国が賄ってるしね。人類を導き、存続させるために、適切な教育と研究は必須ってこと」
道を歩きながら、ベネルフィはティークに解説をする。滅亡寸前まで追い詰められた人類だったが、その営みは完全に消えたわけではなかった。最優先で対策しなければいけなかったのは――
「食料と魔獣。この2つの問題をカバーするために、学院は生まれたわ。効率的な土地の活用、魔獣への対策、魔法の運用。全人類の知の集合、それがこの学院よ。とはいっても、『地獄の時代』で失われた技術や知識も少なくなかったけどね」
反面、復活を遂げたものもある。霊脈に沿って姿を現す、『精霊』と呼ばれる存在たち。かつては『カロシル教』の存在により黙殺されていた彼らと交信できる者たちが徐々に増えてきた。場所によっては強力な力を発揮する『精霊術士』は、今は欠かせない戦力でもある。
「そして新技術、『魔術』の発見。これに関しては魔術の一族に詳しい話を聞いた方が良いと思うけど。彼らは、『マギレイス』を名乗っているわ。研究自体はずっと昔から続いていたらしいんだけど、魔法や失われた『祝福』の影に隠れて、日の目を見ることはなかった。それが『天姫』様たちによって見つかって、今は学院の予算で研究を行っているわ」
「『マギレイス』……?」
疑問の声を上げたティークに、ベネルフィは苦笑した。
「まあ偏屈な人が多いけどね、マギレイス一族は。例えば、ティーク君だったらティーク=マギレイスって名乗ることになるから、会えばすぐにわかるわ。滅多に会うことはないだろうと思うけど、一応覚えておいてちょうだい」
「ベネルフィさん……学院長は、どうして俺に精霊と魔術の研究を勧めたんですか?」
問えば、ベネルフィは少し考え込むようにして空を見上げた。
「まあ、一番大きい理由は『魔獣の素材を扱うことが少ないから』、かな。魔法は触媒に魔獣の素材を使う以上、練習にも実践にも魔獣の素材を使うわ。あなたの力を考えるとね」
「……なる、ほど」
空を見上げるベネルフィとは対照的に、ティークは地面を見つめる。『魔獣と対話する力』。対話できるからと言って、敵対しないわけではない。暮らしていた森では、ティークの話に耳を貸さずに襲い掛かってくる魔獣もいた。ガズとゼダのように、戦ったあとに分かり合えた魔獣もいた。
「……ちょっと、考えてみます」
魔獣と心を通わせる人間が、魔獣と敵対している人間社会でどう生きていくのか。
ティークは思う。
(難しいことはよくわからないなー……)
まだ、考える時間はいくらでもあった。