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第2話 詰所

 学院都市クゼース。『天姫』と『魔女』と呼ばれる2人が協力して作り上げた教育都市だ。人類唯一の学び舎であり、魔獣や魔法、剣の扱いなどについて幅広く教育を行っている。


 ティークを訪ねて来たリーリルという女性は、自らをそこの教師だと名乗った。剣を専門とした戦闘教官であり、5年後に再会の約束を交わした人物でもある。


「よし……じゃあロラーン、またあとでね。開拓者に見つかったらうまく逃げるんだよ」


 理知的な瞳でティークを見つめ、頷きを返すロラーン。2日かけてここまで運んでくれたロラーンを労り、背中を撫でるティーク。満足そうに目を細めるロラーンだったが、すぐに翼を広げて走り、飛び立つ。


 腹部の羽毛が空色になっている【千影の怪鳥(ロックラック)】にとって、もっとも危険な場所は地上だ。彼らは空こそが本来の住処であり、地上に降り立つことは滅多にない。みるみる高度を上げていくロラーンを見送り、ティークはクゼースに向き直った。


 学院都市クゼースは、外から見ると奇妙な街だった。壁が存在せず、簡易な柵の内側に畑が広がっている。このあたりの魔獣を狩り尽くしたからこそ、木を組み合わせただけの柵でいいのだろう。


 そこからさらに奥に視線をやると、バラバラと民家が並んでおり、そのさらに奥に石垣の存在が確認できる。本来の学院都市としての領地は、あの石垣の内側である。


「じゃあ、行こうかアーズ。計画通り、石垣前で1回解散ね」


 わかってる、と言わんばかりに尾で肩を叩かれるティーク。軽くせき込み、ティークは歩き始めた。農園を抜け、石垣にたどり着く。周囲を見渡して、他の人の視線がないことを確認する。


「……よし。いいよ、アーズ」


 首からするすると服の内側を滑り下りたアーズは、そのまま地面に降りて掘り進んでいく。アーズは【地に潜む大蛇(アボヤーズ)】と呼ばれる魔獣の幼体だ。彼らは大地に潜み、振動で獲物や外敵を感知して襲い掛かる。土堀りならお手の物である。


「じゃあ、中で合流ね」


 長い間をともに過ごしたアーズは、ティークの歩調や歩幅を熟知しており、姿を見ずとも振動で追跡できる。アーズがはぐれないようにゆっくり歩きながら、ティークは羽織ったマントを見る。少しサイズが大きいそのマントは、リーリルから受け取ったものだ。


(リーリルさんはこれを見せればいいって言ってたけど……)


 やがて、石垣の切れ間が見えてきた。槍を持った兵士が数人と、10人程度の集団が立っている。ティークと同じくらいの子供と、親の家族組のようだ。大人しく列の最後尾に並び、順番が来るのを待つ。


「……1人か?」


 自分の順番が来た瞬間に訝し気な視線を向けられたティークは焦った。


「えっ、はい」

(やばい……アーズのことがバレたのか?)


「だいぶ根性があるな。学院入学希望で、1人で旅してくるやつなんて最近はいなかったが……なかなかやるじゃないか!」


 バシバシと背中を叩かれるティーク。背中と心が痛い。


(ごめんなさいほんとはロラーンに運んでもらいました……! あっ痛い痛い!)


「ロズさん、その辺にしておいたほうが。痛がってますよ」

「ん、ああすまんな。で、学院都市に入るなら銅貨4枚だぜ、えーと……」

「あ、俺はティークといいます。で、リーリルさんから、これを見せればいいって……」


 ティークは不安を押し隠してマントを脱いで渡す。一緒にいたのは短い期間だったとはいえ、リーリルという女性は人を騙すようなことをする人ではない。それでも最後に出会ってから5年の歳月が過ぎている。不測の事態もあり得る。


「……このマントの刺繍……間違いなく学院教師の証だ。おい、お前はこれ持って学院に行け。そのマントがあれば誰かくるだろ」


 マントを調べていた兵士――ロズは、後ろを振り返って待機していた兵士に命令した。言われた男は、困惑した表情で佇む。


「とっとと行け。それとも俺に『リーリル』って名前の意味まで説明させる気か?」


 ロズがマントを投げて渡すと、兵士は何かに気づいたように表情を変え、慌てて踵を返した。そのまま門の内側に走って行く。


「……安心しろ。あのマントは後で必ず返す。それよりも、事情を聞きたい。悪いようにはしないから、一緒に来てくれるか?」


 それは要望に見えた脅迫に近かった。この状況でティークが断れるはずもなく。


「……はい」


 頷き、ロズの後ろについて歩き出す。ロズの目配せに反応した兵士がもう1人、ティークの後ろについた。


(まるで逃がさないようにしてるみたいだな……)


 ティークはよろめいたふりをして、軽くつま先で地面を叩く。あらかじめ決めてある符丁だ。これで地下を掘り進むアーズにも、異常事態であることが伝わった。


(いざというときは頼むよ、アーズ)


 ティークはいつでも動けるように警戒しながら、ロズの後ろをついて歩いた。3人分の足音が、冷たい石で作られた廊下に反響する。


(石畳か……マズったかも……)


 いくら【地に潜む大蛇(アボヤーズ)】であるアーズでも、石は簡単には砕けない。これだけ敷き詰められているとなおさらだ。密かに覚悟を決めたティークだったが、そんな思いに気づくこともなく、3人は1つの木の扉の前にたどり着いた。


「団長! ロズです、入りますよ!」

「おう」


 ノックもなしに扉を開けると、そこには机にヒジをついた男の姿があった。


「どうした、ロズ。お前はこの時間入学希望者たちの受け入れ業務があるはずだが。まさかまたサボリか? そうやって面倒な仕事から逃げるからいつまで経っても出世が――」

「ちょ、ちょっと待ってください団長。サボリじゃないです。この子を連れてきたんです」


 筋肉を蓄えた大男がまくしたてるが、ロズは慌ててその言葉を遮った。そして、背中を押されたティークが前に進み、団長と呼ばれた大男の前に立つ。

 大男は無精ひげを撫でつけながらティークを観察し、感心したように目を細める。


「……ほう。1人でクゼースまで旅してきたのか。なかなか根性があるじゃないか。どうだ、学院じゃなくてウチに入るっていうのは?」


 ティークが急な展開に目を白黒させていると、見かねたロズが助け舟を出した。


「団長、いくら人手不足だからって見境なしに勧誘するのはやめてください。この子が、リーリルさんのマントを持ってきたんです」


 リーリル――その名前が出た瞬間、団長と呼ばれた男の目が鋭くなった。さして珍しくもないその名前が、彼らの態度を急変させる。その様子は『リーリル』という名前が持っている影響力の強さを感じさせた。


「……俺の名前はガゼジア。学院都市クゼースの防衛隊隊長だ。それで聞きたいんだが、君が知っているリーリルという人はどういう人かな?」


 問われたティークは少し迷いながら、言葉を返す。


「……えぇと、茶髪で、剣が強くて、わりとおっちょこちょいで……」

「ふむ」

「よく、『私は普通だよ!』って言ってました」

「私たちが知っているリーリル殿で間違いなさそうだな。マントはどうして君に?」

「俺はもう、身よりがなかったので。困ったときは学院都市に来い、これを見せれば大丈夫だから、と……」

「……あの人は本当に……いったい何枚のマントを失くすのか。クノ様も若干呆れていたが、そういう事情があったのか」


 深く頷き、納得した様子を見せるガゼジアだったが、あいにくティークには何もわかっていない。恐る恐る右手を上げる。


「あ、あの……それで、リーリルさんはどこに?」


 問われたガゼジアは腕を組み、考え込むように目を閉じた。それは言うかどうかを悩んでいるようにも見えたが……結局のところ、隠し通すことは不可能だと判断したようだった。



「リーリル。学院都市クゼース最強の剣の使い手にして、戦闘指導教官である彼女ならば――2年前から生死不明の行方不明状態だ」



 ティークがよろめく。彼女だけを頼りに学院都市まで来たのだ、無理もない。その様子を、ガゼジアとロズは冷静に観察していた。リーリル失踪事件には謎が多い。もしこの子供が関係者ならば、と思ったのだが、その様子を見る限りそういうことはなさそうだ。


「……ショックを受けるのもわかる。このあと、学院の関係者がここに来る。今の反応を見れば君が何も知らないことはわかる、決して悪いようにはしない。少しの間、ここで待っていてくれるか?」


 ティークはロズの言葉に頷く。詳しい話が聞きたかった。


「ロズ、どういうことだ?」

「この子が持ってきたマントを持たせて、ケリドの奴を学院に向かわせてます。そのうち誰かしら来るかと思います」

「なるほどな、お前も仕事するときはするんだな。ああ、そうだ。ラーキュリ、いるか?」


 ガゼジアの呼びかけに応じ、奥の扉が開いた。そこから顔だけを覗かせた少女が、伏し目がちに声を出す。


「お、お呼びでしょうか、ガゼジア隊長……?」


 ラーキュリと呼ばれた少女は、黒髪に瞳を隠したまま、おどおどと訊ねた。


「椅子を3つ持ってきてくれ。ああ、あとお茶を4人分だ」

「は、はい。わかりました……」


 陰気な雰囲気を纏う少女は、扉の奥に消え、やがて椅子を1つ持ってくる。


「ど、どうぞ……」

「ありがとう……?」


 目を逸らしたまま椅子を勧めるラーキュリに、ティークは戸惑いながらも椅子に座る。そのあとロズ用に椅子を持ってきて、さらに扉の奥で湯を沸かせる音がする。


「いやぁ、楽しみですな団長のお茶!」

「前々から言っているが『団長』ではなく『隊長』だ。団長だったのは昔の話なのだから、改めろ」

「こればっかりは癖なんでね。なかなか抜けないんですわ」

「俺にとってのお茶のようなものか」

「そうっすね。ティーク、団長のお茶は美味いぞ。なにせ給金が入るとまず茶葉を買いに行く筋金入りだからな」

「お茶とは……?」


 首を傾げるティーク。話の流れから、食べ物か飲み物であることはわかるのだが。


「ああ、そうか。お茶ってーのは、なんていうんだ。草を煮出したものっつーか」

「馬鹿者。お茶とはな、芳醇な香りと深みのある味わいが特徴の飲み物だ。茶葉にお湯を注ぎ、濾した物。美味いぞ」


 このとき、ティークの脳内にあったのは、お湯の中に大量の葉が沈んでいる様子だったが。


「むう。『地獄の時代』が終わってからおよそ30年、か。まだまだ嗜好品の類は高価だからな……」


 『地獄の時代』――その言葉を聞いたロズとティークが顔をしかめる。1人はあの時代をおぼろげながら知っている者として、もう1人は噂でしか聞いたことのない者として。


 かつて、『不死の魔王』と呼ばれる存在がいた。彼は魔獣を操り、魔人を従え、人類を攻めたてたとされている。その攻勢は苛烈を極め、3年に満たない期間で人類は最北端の街――ギベルに追い込まれた。


 途中で『勇者』が敗北するなどの出来事もあったが、最終的に魔王は滅ぼされた。代償に、人類は『女神カロシル』、『女神ベレシス』を失い、『祝福(ギフテッド)』と呼ばれる加護も失った。


「俺とロズもまだ子供だったからなぁ、あんまり覚えちゃいないが。ああ、あとで『魔王の怒り』でも見に行くか? 観光名所になってるからな」

「あれなぁ……凄まじいよな。たった一撃で大地に溝ができたってんだから……」


 しみじみと呟く2人に、ティークは無言で頷いた。ティーク自身はその時代に生きていないので、伝聞でしか知らないが、まさに名前の通り『地獄の時代』であることは伝わってきた。


「お、お茶の準備ができました……」


 いそいそとお盆を持ってきたラーキュリ。お盆の上では4つの木彫りのカップが湯気を立てていた。


「あれ、4つ……?」

「ああ。ラーキュリ、ご苦労。下がっていいぞ。4つめを飲むやつは、もう来るからな」


 さも当然のように4つのカップを置き、ラーキュリが退出する。言われてみれば、椅子が1つ余っている。ラーキュリが座るわけはない。


「お茶の匂いがするわね!!」


 次の瞬間、ティークの背後の扉がノックもなしに開け放たれた。

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