焼け跡
倒れた魔女を見下ろす。
そこには何の生命活動も見受けられない。
死んだ。
その亡骸は、ずいぶんと小さく見えた。
「さて、どうすっかな」
勝利の余韻に浸る暇はなかった。
全身に回った氷。傷口が凍結しているおかげで出血は止まっている。
ただ、止血以前の問題があった。
「こりゃ死ぬな」
後先考えずに所有権を放棄した氷が、本来の目的を思い出したかのように俺の身体を侵食していく。
必死に手綱を握り返そうとは試みているが、かなり際どい。
俺の体力が万全な状態だったなら確実に主導権を取り返せる。その自信がある。
しかし、今は。
「弱気になるな、弱気になるな……」
魔女とあの氷を食らわせてきた魔物のどっちが強い?
魔女に勝ててこれに勝てない道理は……ダメだ、自分で自分を納得させられない。
俺だけで魔女に勝ったわけじゃない。最後の一撃を無理やり通したのが俺ってだけだ。
何か、説得材料がいる。
俺がこの氷の主導権を取り戻せると思えるだけの、そして、世界にそれを納得させるための説得材料が。
「原初の炎、だったか?」
遠くの床に、微かに光るものが見える。
GMか、シュウトか。
誰かの燃え残り。
魔力よりも純粋な状態。
具体的にどういう物なのかはさっぱり分からない。
「炎なら、氷も溶かせるだろ……!」
油断すれば床にへばりつきそうな全身凍傷の身体を引きずってその炎へ近付く。
「これは……クソ、どうすりゃいいんだ」
炎という割には、温かさを感じない。
今にも消えそうなその光を前に、少しの間思考を巡らせる。
これをどうする?
腕にかける?
そもそも手で掬えるようなものなのか?
「……」
いや、掬うための手はもう両方無いんだったな。
散々に迷い、俺は。
その場で膝をつき、その残滓を直接口で啜った。
その物質は、喉元をするりと通り抜けて。
じわじわ血管を通じて流れていくような感覚をもたらした後。
突如として爆発した。
「ぉ、ああああッ……!」
いや、正確には爆発するような、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。
うずくまることはおろか、指の先すら動かせなくなるほどの苦痛。
「はぁッ、はぁッ」
だが良い影響もある。
全身の侵食を目指していた氷が、この外敵に抵抗し始めた。
狙い通りではあった、その外敵の危険性を除けば。
「あぁ、クソッ! 俺の、ものだろうがッ! さっさと従えッ!」
魂に刻んだ法で、外敵を縛りにいく。
だが、伸ばした糸がことごとく焼却される。そんな感覚を覚える。
苦痛にのたうちながら、手を考える。
先に氷の主導権を取り戻すべきだ。
全身に回った炎はもう回収できないが、中心部に溜まり場みてぇなのができてる。
こいつを氷で囲んで蓋をする。
気づけば自分を中心に血溜まりができている。
さっさと取り込まないと出血死しかねない。
氷からの抵抗を感じるが、炎にあてられ弱ったのかかなり薄い。
俺は容易く主導権を握り直せた。
熱い。意識が飛び飛びになってくる。
原初の炎は、魔力より純粋。なら、魔力にも変換できるはず。
「お前は、俺の……物だ……」
血管に巡る炎を無理やり俺のレッテル貼りのために使う。
魔力が枯渇したかと思えば即座にフルチャージされるような、ちぐはぐな感覚が襲い掛かり、もはや自分がどこに立っているかも分からなくなってきた。
自意識が不安定になる。
俺が何なのか分からなくなってきた。
全身を巡る氷と、刻んだ呪いと。
それを操作している自分との意識がバラバラになっていく。
俺は。俺は――、
「おい、それ以上近付くな」
その声で、ふと我に返った。
ぼんやりとした視界が、段々とはっきりしてくる。
まず目に入ったのは、氷で全身を貫かれた魔物の死体。
熊っぽいがぐちゃぐちゃになりすぎてよく分からない。
次に、周囲の破壊された本棚群。
そして、警戒した様子のレオノラと、他にも見覚えのある顔が多数。
「――」
書斎か、と呟こうとして顔を覆う氷の存在に気付く。
鬱陶しいと思った瞬間に、その氷は仮面のようにストンと落ちていった。
「ッ!? ……やはり、タカか」
「よう、久しぶり」
両方欠損したはずの手を見る。
氷だ。氷でできた手だ。
中を血管が通るように何か温かいものが流れている。
「それは何だ。なぜ、そんな爆弾を心臓付近に抱えている? いや、違うな。お前……心臓が半ば魔力炉になっているぞ」
「……」
なぜ、か。
俺は少し悩んだあと、正直に話すことにした。
「食あたりみたいなもんだな。原初の炎を拾い食いした」
俺はレオノラから助走をつけてぶん殴られた。
ダメか。まぁダメ寄りだよな。
俺がぶん殴られてから少し経ち。
俺達は、改めて魔女の死亡を確認するため、魔女を殺した場所まで移動した。
「ふむ。死んでいる」
「そうか」
魔女の捨て子五人衆が、その亡骸を呆然と眺めている。
まだ現実味がないんだろうな。
俺も正直言って無い。
「魔女のことだからな。まだなんか仕込みがあるかもしれねぇ」
「可能性はゼロではない、が、流石に恩恵切除をやり返されたのは予想外だろう。死亡は確実だ。……しかし原初の炎で術を組むとはな。しかも即席……正気の沙汰ではない、危険すぎる」
「結構危ない橋渡ってたんだな」
「ああ。そしてお前の渡った橋はその比ではない」
レオノラが再度俺に拳骨を落としながら、その辺の瓦礫に腰掛ける。
まぁ俺と命が連結してるからな。そんな奴がとんでもない拾い食いギャンブルをしたとなれば腹も立つだろう。
「さて、銀弾をどうする」
レオノラが唐突にそう発した。
視線は、治療中のドラグ。
一応はあの魔女レプリカのことともとれる言い回しだが、ドラグの方の話であることは確かであった。
「俺は」
ドラグを始末しておくメリットは分かる。
正直、魔女討伐という目的を達成した以上はさっさと砂漠に戻って行方をくらませたい。
だが、ドラグが生き残ったままでは砂漠に手が及ぶ可能性が増える。
俺達は魔女討伐中に死んだ、というカバーストーリーすら組めない。
生存はバレるし、魔女が死んだことも確定し、人手がこちらの捜索へ割けるようになってしまう。
……というのが本格的に魔女討伐作戦を組む前に想定していた事だが。
「……当初の予定から変更したい」
「理由は」
理由……まぁはっきり言って情による部分が大きい。だが、それではレオノラは納得しないだろう。
「予定を決めたときと、状況が違うからだ」
一応の理屈はある。状況が変わった。
ドラグの弁によれば、既に聖樹の国は俺たちが異世界人なのでは、という疑念を持っている。
「ふむ。それはそうだな」
魔女討伐中に行方不明、おそらくは死亡……とはならない。
異世界へ逃亡したことも視野に入れられるだろうし、その場合魔女を殺した確証が相手側にないと妙な冤罪を被りかねない。
「正直、いったん全員で腹割って話してぇよ。どう動いたもんか」
「そうか。よし、ではすぐにでも話し合おう……おい、下がれ。ドラグの治療は私が行う」
レオノラがドラグの方へ歩いていく。
その途中で立ち止まり、よく通る声で言った。
「さぁお前たち、瓦礫から椅子を拾っておけ。ドラグの意識を戻させたら、すぐに会議を始めよう! 我々がこの後どう振る舞うべきか!」
会議か。
あまり良い予感のしない単語だが、まぁやるしかあるまい。




