魔女の館
「しかし暇だな……」
魔女を待つこと、一時間といったところ。
俺はたまらず呟いた。
「なんか今できるような事ねぇのかな」
シュウトがフッと馬鹿にするような笑いを漏らす。
「なんだ? やんのか?」
「暇なら本でも読んでりゃいいじゃねぇか。持って来てんだろ?」
「……あー、それ有りだな」
バッグを開く。
そういや中身を見るのは初めてだな。
どれどれ。昆虫図鑑、蜘蛛図鑑……毒虫図鑑。それに、校庭の虫図鑑。校庭の概念、理解できるのか?
あとこれは何だ? あぁ、漫画か。内容は――。
「なぁ、誰か火魔法使えるか?」
「どうしたんじゃ急に」
「いや、ゾーニングを少々」
「???」
流石に伝わらんか。
伝える気も無かったけど。
「いや実は――」
口を開いたまま、固まる。
原因は、視界の端にチラついた怪物。
俺がそちらを見る頃には、その怪物は人の形に収まっていた。
「あは。異世界の本、だよね? 気になって。飛んできちゃった」
――魔女だ。
「ああ……実験の途中にすまんな」
動揺を無理やり押し殺し、笑みを浮かべる。
「別に。構わない、よ? 私達にとって、そこまで。重要な実験じゃなかった」
そりゃ結構な事だ。
俺は例の漫画を何とか手元に隠そうとしながら、バッグを渡そうとした。
「おい。ワシらの顔はもう忘れたか」
スルーグさんの殺意を隠そうともしない声音。
だがそれを受けても、魔女の表情に変化は無かった。
ただ、少し首を傾げただけ。
「タカは。魔物、好き?」
「え? まぁ、好きかな。種類によるけど」
嫌いならゲームなんてやらないし。
「じゃあ、その子達、あげようか?」
殺意の爆発、というものを初めて体感した。
五人、全員が怒り狂っている事は、背後を見て確認するまでも無かった。
「そういうのじゃねぇ。あの五人に対して敬意の無い発言をするな」
こいつに敬意が存在するとは思えない。
だが、俺がここで少しでも噛み付いておくしか、後ろの五人を宥める方法が思いつかなかった。
「敬意。あは。そっか、その子達。タカの、推しなんだ、ね?」
「は?」
「ごめん、ね? 気が付けなくて」
「…………ああ、うん。次から気をつけてくれ」
推しって表現の意味が分からないが、あの五人の怒りを買うような発言を控えてくれるなら何でもいい。
「じゃあ、本、貰うね」
「構わないが、少し提案があってな」
魔女がバッグを受け取りながら、首を傾げた。
「何?」
「鍵開けダニについてだ」
「あー。どう、だった? ちゃんと進歩。してた?」
進歩、か。
雑にばら撒いただけだったのか?
いずれにせよ、言う事は変わり無いが。
「平等じゃなくないか」
「……?」
魔女の様子が変わる。
表面上は、ほぼ変化は無いが……下手な事を言えば俺の頭と胴体がパージする事は間違いない。
「ダニは、結界破りをするだけか?」
「そうだね」
「おいおい。それじゃ……他種族と戦う手段が全く無いじゃないか」
魔女が俺の顔にぐいと近付く。
俺の息が跳ね返ってくるほどの近距離。
「人間と、他が争う舞台を整えるだけ。最早、ダニである必要すら無い。……平等じゃないよな? 一切、攻撃能力が無いなんて」
これは延命で、時間差で、もっとおぞましい事が起きる。
それでも、やるしかない。
「……ダニに。攻撃、能力」
延命した隙に、こいつを殺す準備をする。
絶対に殺す。
殺される前に、殺してやる。
「お前の推しってやつがどれかは知らないが、一つの種を舞台整備として使い潰すのは俺は納得できんな」
「舞台、整備。使い潰す……」
魔女が、ゆっくりと下がっていく。
そして、頭を抱えた。
「…………」
「あのダニ、回収してくれ。悪いがあんたの理想には不適な存在だ」
「わかっ、た……」
よし。
よしッ!
ガッツポーズをしたいのを堪えつつ、俺はスルーグさんの方を向こうとし――。
視界が、触手で埋め尽くされた。
「タカっ!」
モータルの叫びが聞こえる。
咄嗟に叫ぶ。
「来るなッ!」
触手に無理やり、魔女の方を向かされる。
「なんだ。人に怒られたのがそんなに悔しかったかよ?」
「違う。逆。私は、嬉しい」
じゅるじゅると不快な音を立てながら魔女が近付いてくる。
「今までにも。協力者は、居た。でも――私達の理想に。助言を、したのは。貴方が初めて」
魔女の息が荒く、熱い。
「すごい。すごい、すごい。貴方は――」
――特別。
直後、経験した事のない痛みが、胸に走った。
「う、ガ、ぁ……ッ!?」
声が出ない。
……いや違う、音が消えた。
俺の叫び声で、鼓膜が破れたんだ。
「じゃあ。もっと、話を。しよう?」
気付けば、俺は魔女とテーブル越しに向き合っていた。
「……さ、さっきのは何だ」
「ごめん、ね? 痛かった?」
痛いなんて安っぽい言葉で語れる物じゃない。
ふざけるな。
「スルーグさん達は。モータルはどこだ」
「別の部屋」
「無事なんだろうな」
「うん? だって。タカの推し、だし。大切に。してる、よ? お茶でも。飲んでると、思う」
安心していいか、微妙なところだが……一旦置いておくしかない。
聞きたい事が山ほどある。
「……俺はどれぐらい意識を飛ばしてた?」
「え? 気絶はしてないよ?」
嘘をつくんじゃねぇ。
何が起きたかはさっぱり思い出せないが、時間の経過が感じ取れないほど耄碌しちゃいない。
「気絶じゃないなら、なんで記憶がないんだ」
「あは。私達が、蓋をしてあげたんだ、よ? 壊れちゃってたから」
蓋? 記憶に?
「あんまり。思い出そうと、しない方が。良い、よ?」
「……」
クソ、そういう事かよ。
化け物が。絶対に殺してやる。
「そこまでして俺に何をしたかったんだ」
「えへ。私達の、理想を。手伝うなら――少し、足りなかった、から。足してあげた」
「俺を強くしたのか?」
「あと、この館での。権限を、少しだけ。譲渡しちゃった」
えへっと笑みを浮かべる魔女。
ひゅ~、殺してぇ~。
「魔法。使える、よね?」
魔法?
そう考えた瞬間、情報が濁流のごとく押し寄せた。
頭痛で息を切らしながら、出てきた言葉を口にする。
『盾――よ――』
自分の声とは思えない音。
そして、肌の裏で何かが蠢く感覚。
それを経て、俺の前に、半透明な盾が出現した。
「どう?」
最悪の気分だ。
明らかに俺の力じゃない。
俺の裏側に居る何かが勝手に魔法を行使している。
「……取り除く事は可能か?」
「えー。せっかく、やったのに」
魔女が不満そうな表情を浮かべた。
「少しだけ。試してみて。気に入るかも、よ?」
「試してやるが、もし気に入らなかったら、次会った時に外してもらうぞ。いいな?」
「うん」
魔女が素直に頷く。
良かった。
「じゃあ、さ。異世界の本。色々、気になった事が、ある。聞いていい?」
「いいぞ」
俺の知識で答えられるが微妙だけどな。
そうやって身構えていると、魔女が一冊の本を取り出した。
「この本。一番、不思議だった。何、これ?」
それは――例の漫画だった。
スペルマンは帰ったら一回ぶん殴ろう。そう思いながら、脳をフル回転する。
暫くして、俺はやっと言葉を絞り出した。
「生殖行為の、二次創作……的な……?」