説得の代償は
「おい、タカ。客人だ」
本を半分ほど読んだだろうか。
レオノラの声で、思考が現実に引き戻される。
「客人?」
「ああ。入っていいぞ」
そんな言葉と共に扉が開く。
おい。俺は良いって言ってないぞ。
「……どうも」
「んだよ、運び屋か」
キツネ顔の便利な運び屋だ。
ソリュードくん経由で話が入ったのだろうか。
「俺は解雇っつー話だったが」
「おう。それがさぁ、畑がちょっとヤバい状況でよ。お前の力を借りたい」
「……構わないが。お前、魔女の捨て子どもと揉めたってマジか?」
耳が早すぎる。
「どこで知った」
「俺ぁ潜伏魔族だぞ。そのテのネットワークの一つや二つ握ってる」
それにしても巡りが速いな。
そのくらいしなきゃ潜伏なんぞしてられないって事なんだろうが……。
「どのくらいまで伝わってる?」
「回廊の術がフル稼働してたってのと、その後そこに突っ込んでく男がいたとか何とか」
そんなもん、いったい誰が見て……そういや俺がループしてた道には民家もあったな。何故かそこに入っていく発想を浮かべる事すら出来なかった。
おそらく、そこも含めて回廊の術なんだろうな。
「ひょっとしてお前んとこの家にも同じ術式張ってる?」
「ああ。お前は案内付きで来たから効果が無かったがな」
ふむ。
「スルーグは他の潜伏魔族に回廊の施術を売ってるって感じか?」
「お前……悪いが俺は義理を重んじる魔族だ。それ以上は言えん」
その返答は肯定と一緒だろ。
「とにかく、再雇用の件、頼んだぞ」
「頼んだぞって、いつどこに運べばいいんだ」
「場所は知ってるだろ。一週間以内に前回と同じ手順で頼むぜ」
「……はいはい。確かに請け負った。誠心誠意取り組ませてもらうよ」
運び屋が俺に背を向け、部屋を出て行く。
その直前、俺はだめもとで質問をしてみた。
「スルーグの好物とか知らねぇ?」
「……甘味飲料だ」
それだけ言うと運び屋は帰っていった。
ふむ。甘味飲料……果汁ジュースとかでいいんだろうか。
高そうだなぁ。
俺はその日、レオノラから渡された簡易的な食事を済ませ、エリーさんから渡された本を読み切ってから眠りについた。
「……ん」
目蓋が開く。
そこそこ深く眠れたな。
俺は布団から飛び上がるようにして起き、簡易式ラジオ体操を済ませた。
「んー、身体はやんなるくらい健康だな」
精神は、まぁ、うむ。健全ではある。
さて起きたらさっそく行動だ。
大急ぎで洗顔やら何やら朝の準備を済ませ、ギルドへ向かわねば。
朝飯はギルドで食えばいい。
俺は口の中に僅かに残った歯磨き粉を吐き出すと、上着を羽織り、レオノラの研究棟を後にした。
数分ほどでギルドに到着する。
流れるような動作でサンドウィッチを一つ購入。それを齧りながら資料室へ向かった。
「エリーさん」
「ひゃっ!?」
資料室を見渡す。俺とエリーさんだけか。
よし。
「話します、全て」
「えっ……え?」
あの後、一晩考えた。
俺に、まともな説得は無理だ。可能性はゼロではないが、わざわざ不得意な分野で勝負することはない。
では俺が得意な手法は何があるのか。
それは、詭弁を弄しての言いくるめか、相手の情に頼り、つけいってズブズブの関係になる事の二つだ。
俺は俺の得意武器でいく。
つまりは。
「きいてくれますか?」
「……はい」
俺がこの痣を得るまでの正確な過程。それを話す。
相手の情に頼るようなやり方ではあっという間に食い物にされるであろう環境で育ったレオノラが居れば、即座に反対されただろう説得方法。
エリーさんの情に頼る。
完全にこちら側に引き込み、場合によっては俺がつく嘘に協力してもらう。
「ここは誰かに話をきかれたりしますか?」
「きかれないから、選んだんです。鍵もかけられますし」
そう言いながらエリーさんが扉まで歩いていき、カチャリと音を鳴らした。
鍵をかけたのだろう。
「何を、話してくれるんですか?」
「俺の経歴」
「……」
手頃な椅子に座る。
エリーさんが隣の椅子に座った。
近くない? できたら机挟んで対面の席とかに座って欲しかったんだけど。
「まずは、モータルが死にかけた話からしましょうか」
「はい」
じっとこちらを覗き込む瞳。
それに少し恐怖を抱きつつも、俺は続けた。
「モータルは、呪いをかけられた。魔女の作った古の大狼による呪いだ」
エリーさんは無言だ。
レスポンスがないと手ごたえを掴みづらいな。
「エリーさんは知ってますか?」
「ええ、呪われた者は強大な力を得て、破滅し、最終的に狼に食われるという言い伝えをきいた事があります」
「実際やってるのは魔力の暴走と膨張だけらしいがな。本題に戻ろう。とにかく、モータルは死にかけた。そこで俺は……魔女に治すよう直談判しに行った」
エリーさんが息をのむ。
「直、談判……?」
「ああ。そして魔女から取引を持ちかけられ、俺は了承した」
エリーさんが身を乗り出す。
瞳の中に映った自分を見ながら、俺は続ける。
「モータルの治療費は、魔王の首一個分って契約だ」
「ッ!? そ、それじゃあ助けられずにあんな姿に」
ああ、普通はそう思うよな。
「いや。モータルは長期間呪いに侵されすぎた。そのせいで治療するには生命力が足りなかったんだ。だから――仲間の人狼の生命力を使わせてもらった」
エリーさんの動きが止まる。
瞳だけが揺れている。
「そ、それは。仲間? 人狼って過去に滅んだ種族じゃ? というか、魔族が仲間……」
「そう。俺達は、聖女も含めて魔族側だ。しかも、魔王を裏切って殺した魔族なんていう、両陣営から板挟みの最低な立ち位置にいる。だが全てはモータルの治療のためだ、後悔はない」
そして、もう一つ付け加える。
「いずれ魔女も殺す。アレは、遠くない未来、確実に仲間に再び危害を加える」
エリーさんの身体はとっくに椅子から離れ、半分俺にもたれかかっている。
「タカ、さん」
「なんでしょう」
「なんで、わたしにそれをはなしたんですか?」
上ずったような声でそう問うてくるエリーさん。
決まっている。
「エリーさん。貴方を、仲間になれる人物と見込んでの事ですよ」
「……私も、救ってくれますか」
俺の手にエリーさんが手を重ねて、ぐっと強く握った。
鱗のような物が接触し、軽く血が出る。
「救いましょう。仲間のためなら」
「あ、ああ……」
エリーさんの目をじっと見据える。
それは恐ろしく、深かった。
想像以上の熱量だ。
借りを返す程度の軽い物が、どんどんと巨大になっていく。
もはや俺にすら止められない。