再び異界の地を踏む
ガンゴン。
荒々しいノックの音が響き、目を覚ます。
少し重い瞼を何度も開閉して眠気の残滓をとばすと、俺は口を開いた。
「はいはい、はよ入れ」
「タカ、そろそろ出発」
え?
慌てて飛び起きる。
「い、いやいや。一日は休みだって言ってたじゃんか」
「? 一日中寝てたじゃん」
嘘だろ。
「疲れが出たか……」
「まぁちょうど良かったんじゃない? 流石に疲れは取れたでしょ?」
「……うーん」
試しに肩をぐるぐると回してみる。
ふむ。軽いな。
「目の疲れも取れてる」
「あう!」
俺が先ほどまで枕にしていたバンシーが自信気に胸を張る。
「マッサージが何かしてくれてたのか?」
「あーう」
せやぞ、みたいな表情を浮かべるバンシー。
なるほど。そういや前も似たような事あったな。
「ありがとな」
「あうあう!」
バンシーはいい子だなぁ。
普段の労いもかねてしっかりと頭を撫でてやる。
「タカ」
「ん?」
モータルに名前を呼ばれ振り返る。
「見てこれ。ケモミミ高速出し入れ」
「やめろ」
怖いわ。
「……てか引っ込められるのか」
「うん。だってベースは人狼だし。完全な獣にもなれるよ」
「それはそれで使えそうな形態だな」
そうか、そうか。
あのスプラッタな作戦は聖女だけでいいわけだ。
「安心した。じゃあさっさと行くか」
「うん」
モータルがケモミミを高速でしゅんしゅんさせながら俺についてくる。
それ気に入ったの?
歯磨きやら簡易的な食事やらを済ませ、砂漠の女王の部屋の扉の前までたどりついた。
ノック無しで扉を開く。
「随分とぐっすり寝ていたそうじゃないか」
部屋に入るなり、包帯でぐるぐる巻きになった聖女が声をかけてきた。
「おうよ。健康になっちまったぜ。そっちは随分と不健康な様子だな?」
「健康になったか。それは素晴らしい」
後半の皮肉をガン無視された。
そんな会話をしている間に、砂漠の女王がこちらに荷物を渡してきた。
「どうぞ」
「お、ありがてぇ。中身は?」
「以前異世界に行った際に着ていた服。それをそれなりにボロボロにしておきました。これに着替えたら出発です。覚悟は良いですわよね?」
「当然」
せっせと服を着替える。
すると、ズボンを履く時にじゃらりと音がした。
「……あっ」
「どうしました?」
以前、キプロスの屋敷から盗んだタグだ。
ゲーム内じゃインベントリやらワープに使えたアイテムだが……。
「ひょっとして使えるように調節してくれた?」
ズボンごと渡したから勝手にやってくれてるのでは、とは思ってたが。
そんな期待を込めた問い。
「はあ? そんなめちゃくちゃに魔術回路が鋳潰されたアイテムが修繕できるとでも?」
それはあっさりと切り捨てられた。
「鋳潰された? ……なんで?」
「転移関連のアイテムのようでしたし、聖樹教の方々の熱心な宗教活動の一つでは?」
宗教活動か。
「聖樹教ってのは?」
「横に聖女がいるのですから、そちらに尋ねるのが的確かと」
そういやそうだった。こいつ聖女だったわ。
「レオノラ。移動中に解説頼む」
「ん? ああ、構わないぞ」
服に完全に袖を通し終える。
「よし、転移よろしく」
レオノラがふっと笑いを堪えるような表情になる。
表情の理由を問う間もなく、転移特有の不快感が俺を襲った。
「……うぇっぷ」
慣れたかと思うとまた趣向の違う不快感が襲ってくる。
最悪だ。
「さて、街までは30キロといったところか。歩くぞ」
「は? 30キロ?」
慌ててレオノラを見るが、平然とした表情だ。
おいおいおい、嘘だろ。
「なんだその顔は。そのぐらいでバテるはずもあるまいに」
そりゃ今となっちゃそうだけどよ。
「心理的にバテるっての」
「今回に限っては街の目の前に転移というわけにもいくまい」
いや理屈は分かるんだけどよ、もうちょっとこう、何とかなんなかったかなぁ?
そんなぼやきをしながら、どんどん遠ざかるレオノラとモータルの背を慌てて追いかけた。
「つうか聖樹教について教えろよ」
「ああ」
レオノラが顎に手を置き何やら考え込む。
「マイナーなのか? 俺がギルドの資料室で色々漁った時には何の記述もなかったぞ」
俺がそう言うとレオノラが包帯越しにも分かるほどに口の端を上げた。
「まさか。マイナーどころか国教だとも」
「じゃあなんで資料室に聖書なりなんなりが一冊もねぇんだ」
「ギルドの資料室だろ? あの場所の本は全て合成皮か何かで作られていたはずだ。そのような素材に教えを記すなぞ、打ち首モノだ」
……なるほど?
「めんどくせぇ戒律だな。よく国教になるまで布教できたもんだ」
「ああ、それは順番が逆だ。まず宗教があり、次に国ができた。聖樹の事はどこまで知ってる?」
「あー、っと。ギフト等の恩恵を与えてくれる高密度の魔力を内包した巨大な木、だっけか」
「かなり宗教色を排除した説明だな。部分的にでも良いから紙を使えば良いものを……」
「紙? 聖樹教だから木から作られた物にしか記しちゃならないって感じか?」
そこでレオノラが深くため息をつく。
「そうだ。そして宗教絡みともなると自然と……高価になる。さっきはああ言ったが、主題として扱うわけでもないなら、紙は使わず宗教色を削ってお目こぼしを狙うのが当然か」
紙が高価、か。
そこで後方のモータルが言葉を発した。
「じゃあ俺らの世界に腐るほどある本とかうまく売っぱらえたら一気に大金持ちって事?」
「それは、そうだが……よほどうまくやらねば異教徒と見なされて粛清されるぞ?」
「そっか。残念」
ふむ。資金は欲しいがお偉いさんに目をつけられちゃ元も子もないわな。
今じゃケツ拭くぐらいしか用途のない紙が食料やら何やらに化けるなら願ってもない事だったのだが……。
「あっ」
「どうした?」
「いや、俺さ、今度魔女にプレゼントとして俺らの世界の図鑑を渡す予定だったんだが。やめた方が良いよな?」
ガッツリ紙だもんアレ。
俺が必死に代用品の候補を考えていると、それを遮るようにしてレオノラが豪快に笑い声をあげた。
「わはははははははッ! 何とも皮肉のきいたジョークだ! ……タカ。魔族や魔女が何故恐れられているか知っているか?」
レオノラに問われ、少しの間考える。
……思いつかない。
多分答えではないんだろうな、と思いつつ口を開いた。
「人間より強いから?」
「それもあるが、最も恐ろしいのは……聖樹への敬意が微塵も無い事だ。聖樹を、優秀な魔術の媒体としか見ていない」
なるほど。って事はだ。
「お前等がやってたのって宗教戦争だったのか」
「その側面は大きいな。まぁ私に聖樹への敬意があったかと言うと……まぁ、無いわけではないが……魔族にかなり近い思想だろう」
聖女の癖に? やっぱやべぇなコイツ。
ギフト貰ってなかったらどうするつもりだったんだ。
「とにかく、紙の本を持って行ったところで魔女は怒ったりしない。魔女や魔族にとって木材は単なる資源でしかないからな」
「……ひょっとしてむしろ喜ばれたり?」
「ありえる話だ」
ひゅう~。最悪なんですけど~。
というか異世界の人間マジでめんどくさいな。
魔族の方が俺達に近い文化や思想だったとは思わなかった。
「今更後悔したか?」
レオノラが口の端を歪めつつ問うてくる。
何を、とはきくまでもない。魔王殺しだろう。
アレで魔族との共闘の道は完全に途絶えた。
だが――。
「――するワケねぇだろ? 馬鹿な事きくんじゃねぇよ」
答えを既に出し終えた問いだ。
今更後出しで何を出されようとそこは揺らがない。