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例えそれが自分が助かる唯一の道であったとしても

  

  

  

  

  

  

 夜半から降り出した雨の音が、次第に大きくなって屋根を打つ。秋は一雨ごとに冬に近づいていくので、この雨がやむ頃にはまた一段と冷え込みが厳しくなるのだろう。

 マナカはごわごわとした掛布に包まれながらぼんやりとその雨音を聞いていた。聞きたくは無かったが、雨音に紛れて階下で父と母の諍う声も聞こえる。

 もう、マナカの前で取り繕うのをやめたのかマナカが居ても居なくても変わらず二人は問答を繰り返していた。これだけあからさまな様子にマナカが気づいてないとでも思っているのだろうか。それとも、わざとその様に振舞って気付かせたいのだろうか。

 ただ、自分が確かにここに居るという実感だけが損なわれていった。


 家族にとって自分は何だったのだろう。村の年寄り組に押し付けられてやむなく育てて居たのだろうか。

 それなら何故、とマナカはやりきれなくなる。

 それなら何故そのように扱ってくれなかったのだろう。アキとお前とでは違うと日頃から言ってくれれば良かったのに。愚かな私でも分かるように言ってくれればこんなに惨めな気持ちにならずに済んだものを。


 少なくともこれまでは、父は私に優しく時には甘やかすなと母に諌められる程で。

 少なくともこれまでは、母は手伝いをする度に頭を撫でてよく出来たお姉ちゃんだと褒めてくれて。

 少なくともこれまでは、畑仕事に精を出す父と働き者の母は私の自慢の両親で。

 それがなんでこんな事になってしまったのだろうと、取り留めなく、マナカはぼんやりした頭で考えていた。


 もしも自分が両親の本当の子供であったなら、何か変わったのだろうか。四人で額を付き合わせ嘆き哀しんだ後は、せめて最後の日まで精一杯優しくし合える道があったのだろうか。


 お姉ちゃんの代わりに私が行くとアキは泣いて縋ってくれただろうか。

 あと一年あれば成人だったのにと、母は嘆いてくれただろうか。

 私の嫁入り姿を見たかったと父は涙を流してくれただろうか。


 マナカは胸に巣くった黒い塊を吐き出す様に深く深くため息を吐いた。今夜は冷えるのか手足がとても冷たくなっている。マナカはぎゅうと丸くなって手で膝を抱え込んだ。

 ふと思い出したくないのに、毎日毎日呪詛のように戸越しに聞かされる言葉達が頭の中にぐるぐると回る。

 アキの身代わりに差し出される私が、如何にして村人達の目を誤魔化すのか、アキをどの様に隠しておくか、露見する前に三人でどの様にして逃げたらよいか、衣装はどうか、口上はなんとするべきか、態度からどの様に疑われるか、仲の良い友人はなんとするべきか、その中のどれ一つにも私の生きる未来は無かった。三人の中で私は既に死んでいるのだ。


 それでもまだ、面と向かってアキの代わりにお前が死ねとは言われていない。


 マナカは別のことを考えるべきだと自分に言い聞かせ、家族以外に親しい人達のことを思った。

 チエブを分けて貰った次の日からリシンには会えていない。若衆入りしたリシンは去年までとは違い、マナカと一緒に遊んでくれることがめっきりと減っていた。若衆同士の集まりや振り分けられる仕事があるのか、これまで会えたところを探してもリシンがいる事は殆どない。川にも毎朝行っているがあれからリシンが漁をしている姿を見かける事は出来なかった。

 最後に会った朝が遠い昔のことの様に感じる。マナカを嫁に貰うのだと笑い、うやむやに口付けまでしてさっさと居なくなってしまった。最初の頃は思い出しては赤面していたが、リシンに会えなくなり、この家の中で過ごしていくうちに段々とあれは夢だったんじゃないか、と思うようになってきて、今では遠い過去の幻のように儚い思い出となっていた。


 リシンは私が居なくなったらどう思うだろうか。


 父も母もリシンとオババの事を心配していた。既に足腰の弱っているオババは兎も角、リシンを誤魔化す事は出来ないのではないかと。でもこんなに会えないんじゃ冬の間中だってやり過ごす事が出来そうだ。


 マナカは自嘲する笑みを浮かべては雨音に耳を傾ける。最後に二人に会えるだろうか。だが、会って何を話せるだろうか。


 この身代わりが露見すればマナカ達家族は良くて村八分、悪くて私刑だ。そして、恐らく見せしめに父は殺されるだろう。母は後家になり女衆に入って色々な仕事を手伝わされる筈だ。

 マナカとアキのどちらが残っていても村の中で一番条件の悪い男と夫婦にされ、一生風当たり強く生きて行かなくてはならない。たしか六年前に村から逃げようとした家族はそういった末路で、二年前に残った娘さんがひっそりと嫁ぎ先で首を括って死んでいたと言っていた。六年前といえば狒々神様に供犠を捧げる年だから、もしかしたら矢に選ばれた家族だったのかもしれない。本当に逃げられると、そう思っていたのだろうか。


 村の掟を破れば村に居場所が無くなる。ところが居場所が無くても村の色んな内情を知ってしまった大人達が外に逃げるの事は更に難しい。山に囲まれたこの村から出る方法は多くないから、遠くに逃げる前に若衆や年寄り組の山狩りにあって殺される。そうして村を守っているのだと他ならぬ父が言っていたのだ。


 かといって、自分だけ助かる道もまた、マナカには選べそうになかった。年寄り組の誰かに身代わりにされそうになっている事を訴えれば、おそらくマナカの命だけは助かるだろう。

 ただ、それは自分以外の家族の命を狒々神様ではなく年寄り組に差し出す行為だ。三人を犠牲にして今後も村の中でのうのうと生きていけるだろうか。それは狒々神様の供物の一つになるより難しい事のように感じた。


 リシンやオババに頼る事も出来ない。こんな事に巻き込んで二人を危険な目に遭わせたくない。一番の危惧は、村人に誤解され罪の連座に名を連ねる事だった。

 優しい人達だから、きっとマナカを救うために力になってくれるだろう。しかし、その為には掟を破ろうとしている父と母を説得するか年寄り組に訴えるしか道はない。そうすれば両親は助かったとしてもアキは確実に死ぬ。物心ついた時から一緒に居て、一緒に泣いて、一緒に笑ったアキが死ぬ。そんな未来をマナカは選べなかった。


 例えそれが自分が助かる唯一の道であったとしても。


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