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虚無への黙祷(R)  作者: 芝田 弦也
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3曲

 丁度靴を履き替え終えて、通路の方に歩こうとした所を急いで呼び止めた。

『あの。昨日は、助けてくれてありがとうございました』

 歩みを止めたあと、怪訝そうに後ろを振り返って私の顔を凝視してくる視線が痛い。

 何か言ってくれればいいのに、黙っているから沈黙が気まずいけど耐えるしかない。

『ぁぁ。昨日の人』

 マスクのせいで、声がくぐもって聞こえる。

『無事に帰れたんだ?』

『無事? なんのこと?』

 円がいつの間にかに私の後ろに引っ付いて、聞こえてきた言葉をオウムの様に囁き返す。

 小さく耳打ちする様に、ボソッと呟いてきた。

『無事って、だから何があったの?』

 円の言葉を遮る様に、右手を円の顔にあてる様にして黙ってと意思表示をすれば、意図を汲んでくれたのか、口を閉ざしてくれた様だ。

『今日もここに来れる位には、無事です』

『ふぅん』

 容姿を見れば聞くまでもない回答だからか、それとも社交辞令みたいな挨拶で訊いただけなのかあまりにも素っ気ない対応。気にかける様な間柄でもないのは重々承知しているけどさ。

『あの、昨日のキノコって、ほんとに何なんですか?』

 後ろから、肘で横っ腹をつつかれるけど無視することに決め込んだ。

『知らないよ。春だから意思を持ち始めたんじゃないの?』

 会話はお終いと態度で示す様に、投げやりに吐き捨てて踵を返そうとしているから、勇気を振り絞って一石を投じてみたんだ。

『じゃぁ、なんで都合よくあんなの持っていたんですか?』

『あんなのって?』

『スプレー缶です』

『お花畑? いま戦時中だよ? 護身でもってもおかしくないだろ』

 ゴーグル越しでも分かる、揺らぎのない芯の強そうな双眸が再び射るように注がれたので、負けじと見つめ返してやった。

『だとしても!』

 私が次の言葉を言い切る前に、後ろから人の名前を呼ぶ声で会話が途切れさせられた。

『薫ぅー! 今日は来てんだなー! また変な格好して』

 呼び声に応じる様に彼の目元が相好を崩して、気を許した様な緊張感の孕んでいない声音で応じている。

『毒ばら撒かられた終わりだぞ? 手遅れになる前にお前もつけた方がいいって』

『相変わらず大袈裟なんだからお前は』

 初めから私は存在していなかったかの様にかき消して、お互いに小競り合いをしながら教室の方へと消えていく。

 脇腹を小突かれる痛みで、直ぐ側に円がいたことを思い返して後ろを振り返ってみたら、今度は眉根が垂れ下がって心配そうな面持ちで佇んでいた。

『あんな個性的な人と知り合いなの?』 

『うん。あんななりしてるけど、昨日助けてくれたから』

 既に姿が消えてしまった方を見遣りながら、昨日のことを思い返していた。

 彼というか先輩が居なければ、あのあとどうなっていたのか想像するだけで身がすくむ思い。

 怖気で全身の肌が粟立つ感じを覚えていたけど、時間が経てば治るだろうきっと。

 円は思案顔で、ただ頷いただけだった。

『そっか』

 視線を床に落としたまま、何かもの言いたげな円。

 彼女の目に入っているのは、床に落ちている土埃や葉っぱではないはず。

 顔を上げたかと思ったら、改めて訊いてくれた。昨日のことを。

『もう一度、昨日何があったか教えてよ』


 私は授業が始まるまでの間、昨日の出来事をつまびらかに話をした。

 話込んでいく内に円の顔は忙しく色んな表情に変わり、感受性豊かなんだろうなと思わせた。

 だからといって、話を理解したかはまた別の話。

 日常の中に構築されていない未知の世界を体験するでもなく、言葉で説明されるだけでは理解の範疇を超えてしまう様で、完全には信じきれてはいないよう。

 でもいいんだ。聞くという姿勢を見せてくれただけでも心を開いてくれた事の証だから。

 四時間目の授業が終わり、今まで教鞭をとっていた先生が教室から出て行くのと同時に、担任の長岡がふらりとやってきては教壇から私達の方を眺めている。これから昼食の時間だと言うのに、何を始める気なの?

 きょろきょろと辺りを見回して、一点を見つめている長岡。

 手招きと同時に、一人の男子生徒の名を呼ぶ。

『芳樹ー! 昼食う前にこっちこーい!』

 長岡の顔を見ると頬の辺りが少し引きつっているのか、強張りができていたのが印象的で、心なしか声音が緊張していたように感じたけど、声を掛けられた当の本人は、そんな素振りに気づいた様子もなく、キョトンとした顔で長岡と向き合っている。

『せんせーい! めし奢ってくれるんですかー!』

『いいから、黙ってついてこい』

『牛丼特盛でいいんで。じゃないと行かないっすよー』

『いいからこい』

 芳樹はへらへらと無邪気に笑い飛ばしながら、長岡と共に教室から姿を消した。



 長岡がいつもと違った雰囲気を醸し出していたのは見当違いでないと確信したのは、食堂で円と一緒に食事を楽しんでいた時に聞こえてきた周囲の話し声でだ。

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