17曲
笑い続けている足をむりくり動かしたおかげで、何とか隠れ家的な建物の前まで漕ぎ着けることができた。
改めて玄関周りを見回してみてたら、来訪者の受付を拒否するかのように呼び鈴らしき物が一切見当たらない事に気がついた。仕方ないから無骨な作りのドアをノックしてみたけど、何の反応も返ってこない。強めに何度か叩いてみても結果は変わらなかった。
どうしようかなと思いながら試しにドアノブを捻ってみたら、緩やかに回転して開いたのは神の思し召しか。にしても不用心だなぁ。
ドアを少し開いて中の様子を伺ってみたけど、人が出てくる気配がない。
上がり框を確認してみたら、一足の靴が慌てていたのか乱暴に脱ぎ捨てられいる。見る限り円の物ではなさそうだけど、折角ここまで来たのだから一応確認してみたほうがいいかな。
『あのー。誰かいますかー?』
返事がくる事は無かったけど、耳を澄ましてみると奥の部屋からボソボソと誰かが喋っている声が聞こえて来る。無断で入るのは気が引けるから引き返そうかなと扉を閉めかけたけど、思い直した。円はここに用事があるって言ってたんだ。私の方が早く着いただけに過ぎないかもしれないし確認位ならするべきなんじゃないかな。
『お邪魔しまーす』
引け目を感じながらも恐る恐る踏み込んで行く事に決めた。
明らかな不法侵入だから間違いなく咎められるだろうなと腹を括りながらも、一歩、また一歩と声の聞こえる方に向かって進んで行く。
昨日案内されたばかりの部屋のドアノブを恐る恐る捻って隙間から中の様子を覗き見ると、英一と薫の頭が見えた。黄ばんで見すぼらしい古臭いPCの前に角ばった形の機械がありそこから声が流れてくるようで、それに耳を傾けているようだ。
声を掛けるタイミングが分からない。どうしよう。
『2、3日以内に……浄化……ようだ』
角ばった機械は無線機かラジオなのかな? 誰かの声が途切れ途切れに聞こえて来る。
何の内容なんだろう? 気になるけど円を最優先させないといけない。
もういいや。ここまで来たんだ。なるようになるさきっと。
『あの! お邪魔してまーす』
二人は思い切り後ろを振り返り、薫に至っては驚愕の表情をしていた。
『お前! なんでここに居るんだよ!』
『薫。今はこっちに集中しろ』
『すみません』
私が悪いはずなのに英一に見咎められて謝っている。二人は私の存在を消したかのように、声の聴こえる筐体に向き合い出した。この状況が落ち着くまでは進展しそうにもないし、この位置からでは声が途切れ途切れにしか聞こえないから、断りもなく二人の近くまで近づいてみた。
『今すぐにで……逃げ。も……時間は……な』
若そうな男性が走りながら喋っているのか、荒い息遣いとガチャガチャと金属音がぶつかり合う音に混ざりながら途切れ途切れな独白をしている。
聞いているだけなのに、独特な緊迫感が漂ってきて気持ちをざわつかせる。
『逃げ……逃げ……』
遮断されたのか唐突に音が途絶え、目の前にある筐体からは何も聞こえなくなった。
沈黙が訪れても二人は微動だにせず、黙りこくってしまった筐体に向き合ったまま。
『薫。鍵、閉め忘れたな?』
『すみませんでした! 慌ててたようで閉め忘れていたようです!』
立ち上がったあと、英一の方に向き合って大きな声で侘びの言葉を並べている薫。
まるで体育会系の教師と生徒みたいなやり取りに煩わしさを感じてしまったけど、元はと言えば私の不法侵入が原因なのだから、私が不快感を覚えるのは間違っているのかもしれない。
『鍵、閉めてきてます』
小走りで玄関の方に駆け出していく薫。
薫に注がれていた視線が外され、私の顔を見つめてきた英一。
『まぁいっか。昨日も会った縁って事で』
人好きの人がしそうな満面の笑みで見つめられたけど今一好きになれない。
『何かあったのかい?』
『ここに私の友達が来ませんでしたか? 昨日途中で帰った子なんですけど』
『来てないね。ね、薫?』
『えぇ。見てませんね』
施錠を終えて戻って来た薫は淡々とした態度で英一に接していたけど、私に矛先が向けられた瞬間に態度が一変した。
『お前さ。なに勝手に人の家に無断で入り込んで澄まし顔してんの? どんな教育受けたらそんな事平然と出来るわけ?』
『ごめんなさい。ノックしたんですけど誰も出ないからノブを確認したら開いたから……』
『開いたらから何? 入っておっけーって思ったの?』
『そういう訳じゃないんです』
『今すぐ出てけって』
『まってください……』
返す言葉が見当たら無くてしどろもどろになっていく。
『薫。もうそこまででいいよ。僕は居てもらっても構わないから』
『またですか?』
『そうだよ』
『人が良すぎですよ英一さん』
薫は露骨に嫌そうな顔をして不服さを前面に滲ませていたけど、英一の一言で気勢が削がれていくようで先ほどまでの昂りの気配が消えていた。
『さっきの話、どこから聞こえていた?』
『2、3日に浄化がとは聞こえた辺りから』
『そっか。聞こえていたかぁ』
下を向きながら小さくぶつぶつと何かを言っている。
独り言を止めて、顔を上げて見上げて来た英一。
『昨日の続きにもなるけど、知りたい?』
円の行方が気になるから悠長に会話している場合じゃないけど、目的地がここだから少しくらい聞いてもいいかもしれない。昨日は思い切り拒絶するような態度を取ってしまったのに、又のこのこと来てしまったのもあるし。
『私の話も聞いてもらっていいですか?』
『構わないさ。薫、これも縁って事で話してあげて』
英一に促されて仕方なくといった面持ちで、面倒臭さそうにしているけど、渋々と話し出した。
『浄化って何か分かるか?』
『汚れを落とす……浄化ですか?』
『端的に言えばな。この地域一帯の穢れを一掃するんだと』
『穢れ? 一掃? 難しくてよく分からないんですが』
『お前ら感染者を根こそぎ殺すって事だよ』
殺すと言うキーワードに先ほど体験したおぞましい出来事がぶり返してきて全身に怖気が襲ってきた。
奥底が見えない真暗い穴から、私たちをあの世へと引きずり込もうと立ち上ってきた真っ赤な炎のイメージがめらめらと湧いて出てきた。死神の手に触られた瞬間、生への轍が忽然と消えるんだろうねいとも容易く。
『大丈夫かい? 震えているけど』
『え?』
英一に気にかけられて我に返ったけど、自分の両足が小刻みに震えだしている事に気がついた。
『さっき変な人たちに殺されそうになりました』
『ほんとか? 何があったんだよ』
人の事を小馬鹿にしてばかりの薫なのに、私の事を気遣う様な事を言うなんて。
『林道で化け物に出会って直ぐに装甲車がやってきて、そこから出てきた人たちが火炎放射器で化け物を倒した後、私たちにも銃口を向けて攻撃してきました』
『マジか』
『それで二人して逃げてきたって訳か』
『そうです。全力で走って逃げてきましたよ。捕まったら死ぬかと思いましたし。でもなんで? 私たち何もしてないのに! ただその場にいただけなのに! なんか悪い事しました??』
『俺らに言われても困るって。一旦落ち着けって』
『そんな事を言われても気持ちがざわついて仕方ないんです!』
『分かったから。分かったから』
薫が私の両肩を掴んで顔を覗き込んできた。対峙して顔を見ると、怒りで寄せていた眉根とは違う、困惑で満ちたシワをおでこに刻んでいる。人間味のあるこんな表情もできるんだね。
落ち着いた訳じゃないのに、どうでもいい事を分析できる心の余裕が生まれたのかな?
ゆっくり息を吸って、お腹の中に溜まっていた鬱憤をも捨てる様に吐き出した。
『そのまま深呼吸して気持ちを宥めな?』
言われるがままに何度か深呼吸を繰り返していくうちに、心をざわつかせていた何かが小さくなっていく様で気持ちが落ち着いてきた様だ。
『取り乱してごめんなさい』
『いいって。そんな事情なら乱すなって方が難しいだろ』
『体験したのなら話が早いし、落ち着いて来たのなら続き聞けそう?』
『大丈夫です』
『よし。なら一つ問題出すね。日に日に謎の生物が繁殖したり疾病が流行ってきたらどうする?』
『治す方法を模索するんじゃないんですか?』
『甘いよ。実験してるだけなんだから他の地域に及ぶ前に消すに決まってる。それがさっきの浄化。簡単に言うと、地域一帯を焦土化するみたいなんだ。燃やし尽くして跡形もなくすんだよ』
『それが殺すって事ですか? そんなのおかしいですよ!』
『とっくの前にこの街は……国はおかしくなってしまったんだよ』
『なんの為にしてるんですか!』
『そこまでは分からないよ。一つ分かる事は今度のはブラフじゃないって事だね』
『ブラフって?』
『君も言ってたでしょ? ミサイルなんか意味がないって。君の意図は違うだろうけど、皆はこう思っているはずだ。ミサイルが飛んだ所で高が知れている。今回もなんともないだろうと。繰り返される警報音に度重なる現象に飼いならされて麻痺している』
『それで?』
『今日もいつもと同じ警報がなったなぁと思っていた所で、本物が打ち込まれるだけだよ』
『なら何をすればいいんですか?』
『その位自分で考えろよって言い捨ててもいいけど、教えてやるよ。一刻も早くこの地域から逃げる事だ』
『そんな。急に逃げろと言われても……』
『お前の覚悟しだいだよ』
突然、青天の霹靂みたいなこんな話を聞かされてもどうしていいのか分からない。
膨らんでいく不安な思いが心を締め付けて息苦しくなり、恐怖が頭の中をよぎるばかり。
何から始めよう。そうだ。円だ。円の無事を確認しよう。その後どうするか考えよう。
『あの!友達がここに来るかもしれないので、来るまで居させてくれませんか』
『いやいや。何の用があってここに来るのよ?』
思案げな表情を見せつけた薫。それは私だって同じなんだ。
『昨日の件を話した後、菌の事を気にしていたようで此処に行くって言ってたので』
『他の人には話すなって言ったのに』
『昨日一緒にここまで来た友達でしたし、隠せる事じゃなかったから……』
『ぁぁ……あの子か』
ガスマスク越しの顎らへんに右手を当てながら虚空を眺めていた薫。昨日の事を思い返すかのように。
『事情はなんとなく分かったけど、ここに長居させる訳にはいかないよ。此処に来る前に何かに捕まってる可能性もあるし、絶対に来るとも限らない。探しに行った方がいいんじゃないかな?』
つい先ほどまで昨日の縁とかで許してくれていたのに、長居を否定する言動をした英一。
『そんな顔しないで。携帯電話あるんでしょ? 来たら連絡してあげるから』
そんな顔って、どんな顔をしていたの言うのだろうか。いや、今はそんな事どうでもいい。
『ほんとですか? よければこちらに連絡頂ければありがたいです』
私が携帯電話を差し出した所で、英一は微動だにせず口頭で薫に託した。
『悪いね。僕はもう捨ててしまった。薫、悪いけど番号交換しといてよ』
小さくくぐもったため息が聞こえた気がしたけど、薫は黙って端末を取り出して私の番号と交換した。
『イタ電してきたら、速攻消すからな』
その発言には一切触れずに、感謝の言葉を述べる事に徹した。
『体調悪いのに無理しているようなので友達が来た時は連絡お願いします! 本当にありがとうございます』
『それで。君はこれから一人で友達を探しに行くのかい?』
『心配なのでそのつもりです』
『さっきの連中に出くわしたらとかは考えてないの?』
『怖いですけど。考えた所で対処の仕様もないし、かと言って何もせずにはいられないので』
『健気だねぇ。薫、ちょっとくらい手伝ってあげたら?』
『いくら英一さんの頼みでもそれは断らさせてください』
『そう? いい機会だと思うけど?』
『意地の悪い事言うんですね』
嘆息気味に呟いた薫。何でも従って見えた関係性なのに不服な雰囲気を思いっきり醸し出している。そんな露骨に私に関わるのが嫌だと言うのも傷つくよ……。
『そんな悲しそうな顔しなくていいよ。薫なら行ってくれるから』
『また勝手に話をすすめて英一さん』
英一の一言に釣られて私の顔を確認してきた薫。哀れむような視線を投げよこして撤回するような事を言ってくれた。
『少しだけだからな!』
冷たくあしらわれるかと思ってたから、予想の斜め上を超える発言に嬉しくなってしまった。
『ありがとうございます!』
『危険な目に合いそうになったら電話してくれ』
『え?』
『それ位で十分だろ?』
こんなことなら気安く感謝の言葉なんか言うんじゃなかった。
いざって時に直ぐに電話できるほどの余裕も猶予もあったもんじゃないのに。
でも。保険の一つとして考えればいいんだよね。
うん。そうだ。
ないよりはマシだ。
おまじないのように自分に言い聞かせてみたけど、効果があったかは分からない。




