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虚無への黙祷(R)  作者: 芝田 弦也
16/27

15曲

 息も絶え絶えにしながらも走り続けていたら、公園への入り口が見えたから吸い込まれるようにして入り込んだ。身を隠せるような物があるかは一目では分からないけど、落ち着いた雰囲気の場所に来れたからか、張り詰めていた緊張感が少しだけ和らいだ気がした。

 呼吸のリズムが完全に乱れて思う様に声が出せなくてしまうほど息苦しいから、頭を反らして空を仰ぎ見るようにして失われた酸素を一生懸命に取り込んでいた。

 ただ突っ立っているだけなのに、ふくらはぎが限界に到達したのか筋が張っているのが分かるし痛みの悲鳴をも伴ってきたようだ。どこか休める所ないかな?

 辺りを見回していたら、円がふらふらとした足取りでブランコの方に向かっていて、ゆっくりとした動作で腰掛けていた。

 私もそれに倣ってブランコに向かうも、足かせを掛けられて重くなったような足を動かすので精一杯になっていた。

 やっとの思いで辿り着いてブランコの手摺を掴もうと鎖を眺めていたら気がついた。

 手摺と腰掛ける台座には白く小さなふわふわとした物が無数に這っており、指が鎖に触れただけでタンポポの綿毛のように空中に解き放たれて空を飛び交い始めていた。

 脊髄反射で咄嗟に息を止めて、口と鼻を両手で覆ってみたけど果たして効果はあるのかな?

 今更無駄な気がしたし、呼吸を止めるのも無理な話だから覆うのをやめたんだ。

『円、そのブランコ汚いよ』

 周囲の様子を確認するようにきょろきょろと見回した後、短い悲鳴をあげて立ち上がった円。

『なにこれ!? 汚いよ!』

『ほんとだよね』

『もうやだぁ』

 円はブランコから少し離れた所で爪先立ちでしゃがみ込み、組んだ両腕に顎を載せて嘯いている。

 左回りのつむじを見下ろしていたら、一匹のトンボが休む場所を求めてか円の頭に止まった。

 パッと見は普通のなりをしていると思っていたのに、まじまじと観察すると異形の姿をしていることに気がついた。

 腹部の筋が連なっている部分からは小さなキノコが所々生えているし、複眼は破けて白い枝の様な物が生えている。明らかに何かに侵されて変異しているのが見て取れた。

 節を折り曲げて尻尾の先端を円の頭に挿す仕草をしたので、手で追い払ってやった。

 いつからこの街はここまでおかしくなっていたと言うのだろう。


『ねぇ。さっきのって何だったんだろう』

『さっきのって、犬みたいな化け物のこと?』

『それもだし、さっきの人たちも』

『私もよく分からないけど、化け物は前に見たキノコの生物と関係あるのかも』

『見たって言ってたもんね……』

 頭が項垂れて両腕におでこをつけて塞ぎ込んでしまった円。

『ごめん……嘘だと思ってた』

『謝んなくていいよ。普通は信じられないよね』

『ごめんね』

『いいって。私も逆の立場だったら半信半疑になってたよ』

 目尻にうっすら涙を浮かべて顔をあげてみせた円。

 口元が半開きで今にも泣き言を言うんじゃないかと思うほど小刻みに震えている。

 眉尻を少し寄せて何か考え事でもしているのか、小さなうめき声を漏らしたけどどうしたのかな?

『殺されるのかと思った……なんなの一体』

『ほんとだよね。私たち何もしてないのにね』

 考えるよりも先にしゃがみ込んで、円の背中を優しく撫でてあげた。

 そういえば前は私が逆の立場になっていたっけね。

 ここ最近は似た様な事をしたりされたりで目まぐるしいなほんと。

『ここにいても危ないし行こっか?』

『うん』

 か細く呟いた後、乾いた咳を吐き出した。


『具合悪いのに走らせてごめんね』

『ううん謝らないでよ。悪いのはあいつらなんだから』

 一緒に立ち上がってみたも、円の顔色は血の気が引いたように白く一段と具合悪く見えた。

 こんな体調と精神状態では身体がもたないよきっと。

『今日はもう帰ろう?』

『うん』

 右手を差し出して、また手をつないだ。

 心だけじゃなくて、実際の温もりを感じると安心できるよね。

 入り口側とは逆の方向に歩いてただけなのに、こんな短時間でもこの公園やこの街の異常さが身にしみてわかってきた。

『改めて見ると、ここかなり荒んでるんだね』

 私の言葉に円は頭を動かして敷地内を見回していた。

『いつからなんだろう……』

『ね』

 公園の至る所に雑草が生えては伸び放題。葉っぱの表面から枝にかけて白い繊維状の綿毛みたいな物が這うように拡がっている。葉っぱの隙間から見える地面にも覆っている様で、茶色い部分よりも白い部分が目立つし、歩いているとねたねたとした粘着質な感触が靴底からでも伝わってきて気持ちが悪くなる。

『あの葉っぱに何かいるよ』

 公園の出口に差し掛かった時、円は左手側に見える大きな葉っぱを指刺した。

『蝉の抜け殻かな?』

 近づいてまで確認したくもないから遠目から見ただけなんだけど、姿形は蝉の蛹の形をしていた。

 半透明だし背中の部分がぱっくり開いているから、抜け殻だけだと思っていたけど背中の上部には5cm程の腐れかけた赤いキノコが2本程生えており、中身がもぞもぞと動くからキノコがつられて動いている。

『気持ち悪いけど見ちゃうね』

『ほんとにね』

 本来なら生命の神秘を感じる瞬間なのかも知れないけど、未知の生物になってしまったモノの生き様を見せつけられても怖気が増すだけ。

 怖いもの見たさで眺めていたら、背中の割れ目から這い出る様に中身とキノコが出てきたけど、キノコが腐り落ちた同時に接合部から体液と思しき透明な液体が溢れ出てきている。ぱったりと動きを止めてしまったからもしかしたら絶命したのかもしれない。なんなの一体。


 公園の出口を出る前に、敷地外の道路に防護服を着た輩達が居ないかを十分に確認してから歩み出た。

『あの変な人たちいないね』

『よかったぁ』

 肺に溜まっていた澱を吐き出すように洩らし、心の底から安堵した様子にみえる円。

 私も釣られてかため息が勝手に出てきた。

 澱んで沈みきっていた不快な思いを、少しは吐き出す事が出来たような気がする。

『私ここで死んじゃうんじゃないのかなって思ってた。化け物はいるし、焼き殺されそうになったし』

『うん』

『でも。まだ生きている』

『そうだね』

『ほんと、無事でよかった』

 涙腺の堤防が崩壊したのか堰を切ったかのように決壊し、涙が溢れ続けている円。

『大丈夫。大丈夫だよ。もう大丈夫だよ』

 繋いでいた手を離して、丸くなった背中を抱え込むように両手で優しく背中を包んであげた。

 本当なら私もこんな状況だから今すぐにでも泣き出して逃げてしまいたい。

 心がほとんど折れかかって今にも自我が崩壊してもおかしくないくらい。

 でも。大事な友達が目の前で苦しんでいるのなら、少しくらい強がってみせても罰はあたらないだろう。

 それで円の気持ちが少しでも落ち着くのであるのならば、私は自分を誤魔化して演じ続けられる。

 頭では演じていても心はそれを許さないみたいで、両足ががたがたと少し震えていたけど、疲労が祟って起きているんだと暗示をかけることにした。

『大丈夫。もう怖くないよ』

 自分自身にも言い聞かせるようにゆっくりと言葉を出し続けながら。

 数分ほど経過してきた頃、先ほどよりは幾分か落ち着いてきた様子の円。

『無理はしなくていいからね』

『……ありがとう』

 訥々と紡いでこくりと頷いていた。

『また変なのに巻き込まれる前に行こう』

『うん』

『……ねぇ、昨日の何の話をしてたか教えてよ』

『少ししかしてないけどね』

 そう切り出して、公園から家路へと向かう途中で昨日のあらましを洩らさず伝えた。

 把握しきれていない事、確証の取れていない事、どこまで信用に値する事なのか私自身でも見定めが付いていないのを諸々と。一つ確かな事は、私たちがこの目で目撃した謎の生物。真菌と呼ばれている菌糸が蔓延っているのは紛いもない事実だということ。

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