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3-10 ある研究者の記録 裏


 勿論、私たちも多くの患者から情報を収集し続けている。死体を、そして今も生きて観察対象となっているものも。


 まず、『アリゾナ病』の現在分かっている症状と経過、対応についてまとめてみた。


 第1期。初期症状として軽い発熱、めまい、倦怠感が徐々に表れる。この期間は数日続くが、自覚症状の無い事もある。しかし、早期に発見すれば周囲への被害を減らせるために都市の各地にサーモグラフィー付きのカメラが設置されており24時間体制で感染の疑いがある者をチェックしている。

 

 第2期。次いで、短時間の意識の混濁または喪失・・・この時間は個体差が極めて大きく、短ければ1分もかからず、長ければ2、3日かかることもある。ただし、全体で見れば30分以内であることが多い。この意識の混濁期の初期にはまだ会話が可能であることも多いが、支離滅裂な言動が時間経過とともに増え、いずれ意味のある単語を発することも無くなる。この意識の混濁の前後から特徴的な脳波の波長が見られることが分かっている、時間経過とともにそれがはっきりとするようになり、この時点で確定診断を行うことが可能となる。


 第3期。僅かな時間の外部刺激に無反応を示す時期を経て、理性を失う。3大欲求に忠実になるが、特に食欲を満たすため、そして暴力的な行動を多くとるようになる。また、さらに数時間も経過すると独特の不快な臭気を汗腺から発する。この臭気により感染者同士が捕食し合う可能性が低くなっていると考えられる。


 司法解剖によってもある程度の情報は得られている。まだ機能を停止していなかった世界中の研究機関が原因究明に当たっていたからだ。


 原因として一番有力視されているのは、脳の主に前頭葉の細胞における特異な蛋白質の沈着。アメリカの著名な大学教授により提唱されたこれは通常の脳細胞との対比で判明したものであり、確定ではないものの意識水準の低下を引き起こす原因とされた。集団ヒステリー等の精神的なものでは無い事は明らかではあったため『器質性』意識水準低下症候群という名前が確定したとされる。


 この脳に沈着する蛋白質の構造解析は困難ながらも概ね達成されることとなったが、その沈着の機序どころか、感染者の血液や体液、他の組織を調べても同様の蛋白質は確認できずに脳のみで確認される結果となった。この蛋白質の発見は重要なものであったが、同時に研究者たちの頭を悩ませることとなった。


 結局、現在においても脳を編成させるのがウイルスなのか細菌なのか、はたまた他の原因があるのか、まだ分かってはいない。



 ・・・ここまでは普通に病院に勤務するものでも分かっていることだ。



 私たちは、さらに人類の為、非人道的な研究も対策室にて行っている。皮肉なことだが、それでもやらなければならないことだと思っている。抵抗を感じる研究者は病院に回されたり、批判を超えたか高に行いそうな聖者は不思議なことに意識のある『アリゾナ病』患者となってしまったようだ。私はそう考えれば俗物でよかった。罪悪感はあるけれども、だれにぶつけたらいいのかもわからない。


 ここからは生きた患者に様々な実験を行い判明したことだ。


 まず、感染者の感覚について。自傷を問わない行動が目立つが、痛覚が完全に無いという訳ではないらしい。ゆっくりと針を突き刺すとそこから逃れるような行動をとる。


 また、温度変化についても概ね体感温度で20~25度を好み移動する性質があり温度を感知することもできるようだ。暑い環境では発汗が見られ、寒い環境では皮膚の立毛筋の収縮が見られる。


 視覚については感染者の視力を測定することは難しいが、食物の映像を流せば反応を示す。


 味覚のテストとして、焼いた肉をベースに辛味、苦味、旨味、甘味等を用意したが痛覚と同じ辛味に関しては忌避する行動が見られたが他の味に関しては大きな差が見られず、若干甘味を好む傾向が見られた程度であった。このため、味覚についてはほぼ失っているか、知覚できていないと思われる。


 嗅覚は食物や他の生物の分泌する臭いに過敏に反応するものの、機能としては非感染者との間で大きな差は無いようだ。感染者の発する独特な臭気の成分についても分析が進められているが、これは代謝異常による低級脂肪酸の産生増加が血液検査等から推測されている。これを感染初期の判断材料にすることも可能であると思われるけれども、わざわざ血液を扱うのは処分の危険性もあり非浸蝕性の脳波試験で代用できればそちらの方がいいという判断がなされている。


 本能的な試験では、異常な食欲を持ち、拘束し絶食状態にすると狂乱の行動を見せる。最終的に栄養失調で衰弱して命を落とすまでの期間は非感染者とそう変わらないかむしろ短いくらいで、これは苦痛を感じ難いせいか生命活動ができなくなる寸前まで活発に食料を求めて活動するからだ。


 なるべく新鮮な状態でのあらゆるサンプルが採取された。血液、リンパ、組織液、髄液、尿、糞便、その他諸々の体組織が調べられている。非感染者に比べて明確な代謝異常が確認されていて脂肪酸をはじめ血中の蛋白質や抗体についても異常値だらけ、これがさらに厄介であり非感染者との組織の対比で差異が出すぎており感染源や核心となる部分をマスクしてしまっている。しかもこれらが短期的に見て即座に生命活動の支障となるほどではないところに、何かしらの悪意ともいえるものを感じずにはいられないのは私だけだろうか。

 


 ああ、私たちには十分な量のサンプルがあるものの、未だに感染方法について分かっていない。今のところ、未知のウイルスという説が濃厚であるけれどもそれらは未だ見つかってはいない。よって、治療法は未だ見つかってはいない。


 感染経路については僅かながら進捗がある。


 感染者の様々な体液や組織を、非感染者に接種させて感染の有無を確認している・・・この非感染者は、凶悪犯罪者や強硬に政府に反対する人間が使われている。この今の状況で、これらの被験者の数は暫くは減ることも無く供給されることだろう。都市の周囲はもはや無法地帯であるし、自暴自棄になる住民も少なくないし、声高々に人権を謳ってデモを起こそうとする人間も多い。そんな平和な時代はもう過ぎているとなぜわからないのだろうか?


 さて、この実験で判明したことは、感染者の血液を非感染者に接種させると通常よりも長い潜伏期間を経てほぼ確実に発症する。


 腸内内容物を非感染者に経口摂取させると高確率で通常と同じように発症、直接小腸に移植した場合はさらに高い確率で発症する。


 感染者の唾液を経口摂取させた場合、低確率でかなり長い期間ののちに発症する。


 性分泌液の場合、経口摂取では低確率で、性行為では中確率で発症するが組織の内壁を傷つけないように性器への接種を行った場合にはほぼ発症しなかった。そして妊婦の感染者は出産してもほぼすべてが死産、もしくは出生後にまもなく死亡することが確認され、新生児の脳には例の蛋白質の沈着が確認された。


 つまり、感染者の体液が発症の重要なファクターとして考えられる。特に経口接種におけるリスクが高いのは注目すべきであり、同時に血液感染における確実な発症も重要視するところだろう。感染者の体液、組織をあらゆる角度からスクリーニングしているが、特質すべきものが未だ発見されていない。そもそも、新規のこのような研究において手探りで未知の成分を探し出すというのは、余程病巣部に特徴が無い限り極めて困難であるとは研究者の共通認識だ。


 加えて、拘束した感染者と同じ空間で生活させた場合では発症率は低く、空気感染よりも接触感染のリスクが高いことを示した。


 つまり、防疫体制を整えればリスクは大分抑えられるという事が明らかとなっている。とはいえ、すべての人間が無菌的な生活をできるわけも無く、容易に外出もできないという事であればとても解決策とは言い難い。


 研究が進んでいないとは言わない。だが、予防に関しては当たり前の対策しかできず、原因や治療法、ワクチンの開発にはまだまだ目途が立っていない。


 ・・・偶に補充はあるものの、研究者の質と数も減ってきている。私たちの中でも感染するリスクはゼロではなく、少しずつ削られるように追い詰められている。時間が経てば経つほど、私たちの未来には絶望の影が見える。


 だから、私たちは為すべきことを成さなければならない。道徳は、今や逃げだと思う。そこまでして生きたいのかと言う仲間もいた、彼女は信仰心に篤い人物だった。


 でも、それは実は昔と何も変わらない事だと私は知っている。動物実験で必要だからマウスやラット、そして海外では貧困者を募り早期の治験を行っていた事が、今は人間で行う必要があるということだけだ。為すべきことを、成すだけだ。




 


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