3-3 とある住民の回想1
―――某都市
とある男がいた。年齢は30代程、家族構成は妻と娘が4人の6人家族だった・・・現在の家族は娘が2人だけだ。
―――これでよかったのか?いや、これしかなかったのだ・・・
いつもの自問自答を繰り返し、支給された作業服と簡易マスク、そして番号が大きく書かれたゼッケンをピンで留め集合場所へと向かう。
―――俺の名前からは漢字が無くなっちまった、今はH0810としか呼ばれない。
男は歩きながらもこれまでの日々を思い出す。
まず、共働きで会った妻がパート先でアリゾナ病を発症したとの報告を受けた。住んでいた地域の最も大きな病院の一室に収容され、モニター越しに拘束を外そうと理性無く暴れる変わり果てた姿を思い出す。また、その変わり果てた妻を見て、悲しみよりも恐怖が勝っていた事も・・・ただ、マンションに帰り末の娘が母親を求めて泣いている姿を見ることはとてもつらかった。
そして、病室へ行く頻度がだいぶ少なくなってきたころ、住んでいた地域での配給が止まった。通信会社の職員として働いていた男は他の会社が次々と営業停止に陥る中、必死で働いていた。長女が他の娘の面倒を見ていてくれていたが、くたくたになり最近めっきり放送がされなくなったテレビの電源を付けたところ、その事態を知った。娘たちと生きるためには大都市を目指すしかなかった。
大都市への危険を伴った疎開の旅が始まった―――妻は、置いてきた。もうどうにもならないことを知っていたので、自分の非常な行動に対する衝撃は思いのほか薄かった。最寄りの大都市までの距離はそこまで近くなかったものの、幼い娘連れということで、壮年の夫婦が乗るトラックの荷台に乗せてもらいかろうじてのろのろと流れていた県道で、時には山道で迂回しつつ時間がかかるもなんとか移動することができた。
幸いにも『ゾンビ』に襲われることなく大都市に着いたが、そこは都市は完全にバリケードや柵で囲まれ、検問のような入り口には長蛇の列ができ、ガスマスクを被った男が銃を構えて警戒に当たっていた―――そして、『ゾンビ』となって周囲を襲おうとした人間を雷のような音を立てて撃ち殺していた。凄惨な光景に周囲から悲鳴が上がるが、撃った男は特に何の反応を示さず、それを見て何かを求めるよう詰めかけようとした住人の足元の地面に弾丸を撃ち込み、腰が抜けて失禁するその姿を見ると今度は1発空に向けて銃声を鳴らした。そのようにして、一応の秩序は保たれていた。
検問で、サーモグラフィで家族全員を検査され、そこで次女が隔離された。検問の担当者からはただの風邪などであったならば、後で返すことになると伝えられたが・・・文句を言うものの、強制的に連れていかれてしまった。そして・・・次女に会うことは二度と無かった。後に紙切れ一枚の死亡診断書が硬質な書面で渡され、それだけであった。
家族共々個人にナンバーが割り振られてカードが与えられ、指定されたアパートへと押し込まれた。そして次女が連れ去られ不安げな娘3人と共に8畳1間の生活が始まる、電気も水道も決められた時間にしか使えない上に水は濁っていることさえあった。強い塩素臭がかろうじて消毒を行っていることを示していたが、これは住民のためというよりも疫病の蔓延を嫌ったのだけだろう。
食事は配給制、A・Bのチケットがありそれに応じた食事が配給所で渡される。Aチケットは労働の対価として支給されることが多くAは粗食ながらも缶詰の肉や果物に穀物類がついている、一方でBチケットは市民登録者全員に配布されるが、状態の悪い古米や屑芋とたまにビタミン剤が入っていればマシな代物。配給所は常に銃を持ち装面した自衛官が複数人周囲を警戒しており、騒ぎなどを起こせば十分な監視人数を残したうえで鎮圧部隊が急行し、いかなる手段をもっても騒ぎに収集を付ける。銃底で殴られるなどまだマシで、鎮圧部隊に食って掛かれば運が悪ければ鉛玉の配給を受けてしまう。逆らうことなどできない。
さて、育ち盛りの娘の為にはより良い配給を得なければならない、それにチケットBの古米は保管状態が悪いのか、とにかく不味く臭くて食べにくい。こんなものを毎日食べていれば気が狂いそうになる・・・いや、かつては普通に買っていた米が美味しすぎただけだったのかもしれない。チケットAはさらに食事以外にも生活の消耗品や嗜好品と交換することもできる、そして住民同士であってもチケットAを介して様々な物資や情報がやり取りされる―――事実上の通貨となっていた。もはや一万円札なんて尻を拭く紙にもなりはしないのだ。
そして、チケットAを手に入れるには働かなければならない。医師や看護師等の専門職や変わった職歴でもなければ、概ねみんなやることは同じだ。仕事を求める幽鬼の群れが指定された広場に集まると、完全武装した政府の人間がカードを確認して適当に仕事を割り振る。主な仕事は食料の生産だ、技能のある者が班長となり、その下で都市内につくられた畑で芋づくりや、都市から出て沖まで行きボートを漕いで進み網で魚を取ったりする。勿論後者の方が都市を出たところで襲われたり動力のないボートの事故などの危険も多いがチケットは多く貰える。ただし、自分の場合は万一にも死んでしまえば娘が路頭に迷う―――配給所まで行けない傷病者や老人、親が死んで取り残された子供には定期的にチケットBが部屋に届くだけで他にいかなる保障も無かったのだ。残暑も相まり衰弱し、死んでいく人間も多く、弱者の救済は無い・・・そのような死体の処理や部屋の清掃もまた仕事として割り振られることさえあった。仕事は指名制で断ることはできず、問題を起こせば割のいい仕事は回ってくることが無くなってしまう。そういった反抗的な集団が盗賊団や暴力団のような形で組織を形成する・・・と、すぐに装甲車や武装した自衛隊員が出てきて一人も残らずに処理してしまう。せいぜい裏でこっそりとチケットAを介していろいろなものを斡旋する闇ブローカーが存在する程度となっており、治安に関しては悪くは無かった。
さて、目の前の役人から割り振られてきた仕事はー――芋作り、安全ではあるが体力仕事で体は汚れ、全体では中の下あたりのやや人気のない仕事ではあるが、自分にしてみれば安全性が高く歓迎できる仕事だ。目の前の役人もまた人間、それとなく事情を知っており、そして勤務態度が真面目であれば多少の融通は図ってくれる。頭を下げて感謝を表しつつ仕事へと向かう。雑草を抜き新たに空き地を耕す、私語も許されずいつも通りの辛い仕事を終わらせ、チケットAを支給されて重い足取りでアパートへと帰った。




