1-9 軋みつつも回る歯車
『アリゾナ病』の全世界への拡大とともに大量生産、大量消費を是とする世界経済も影響を受けつつあった。
食糧や生活必需品、現代におけるこれらの価格は安すぎると言っても過言ではない。本当に必要最低限の食事を考えた時、1日に1000円も使わないのが普通である、いかに現代の家庭が生存する以外の雑多な支出を抱えているのかが分かる。
だが、安さもまた社会の仕組みに依存する。食糧自給率の問題がいつまでも叫ばれている理由のひとつでもある・・・詰まるところインフレである。生産国が混乱に見舞われ、生産物も輸出よりも自国に優先的に回される。当然と言えば当然の行動であるが輸入に多くを頼る国にとってはたまったものではなかった。
勿論、政府も古米をこのようなときの為に備蓄している。しかしながら人間の心理として食料品の価格が2倍になったと聞くととても高く感じてしまう。それでいて、今後のさらなる品薄を考えると一般的な消費者は多少高くても多く買い、商魂たくましい経営者たちは示し合わせたかのように値段を吊り上げていく。貯蓄や給料、年金の額がそうすぐ増えるわけでもなく社会的な弱者には今までどおりの生活を続けていくには経済的にも難しくなってきていた。
社会の歯車は軋みをあげつつもまだ外れることなく回っていた。会社は休職者や退職者が増え一人当たりの仕事量が増加していた、特に外国との取引がある商社はむしろ対応に手一杯であり少なくなった社員に上司が頼み込んで過大に残業をさせ何とか凌いでいた。日本人の特徴か、現在の状況ならば仕方がないと愚痴は言いつつも表立って不平不満を言う社員は少なかったが海外ではデモやストライキが発生し、余計に経済活動の停滞を招いているところも少なくなかった。
ただし、出勤する際にも移動手段は減り、各地においても一時的な停電やプロパンガスの供給が滞ることが多くなってきていた。交通手段としての電車は優先的に扱われていた、道路と異なり点検、整備は必要だが線路を確保できれば運行することができたし地下鉄はバスの穴を埋めるように稼動していた。ただし本数は更に減り、運転席には3人詰めており万が一誰かが発症するような不測の事態にも対応できるようにしていた。
交通機関が軒並み本数を減らす中、運行本数が増えているものも存在した。それが船であった。速度は速くはないし乗り降りの場所も限られるものの人員に余裕を持たせることが出来て運行中の事故も少なく多くの人や物資を運ぶことが出来た。内陸部へはトラックに積み替えて輸送をしなければならないがその距離が最短になるように官僚と運送業者が頭を悩ませつつ調整していた。自家用車の自粛を促す一方、運送業者に対しては燃料を優先的にまわす等の積極的な支援を行っていた。
一先ずは各人の努力の元に社会は維持されていたが悩む種は尽きない―――燃料の問題があった。今はまだ遅延はありつつもかろうじてタンカーが動いてはいたが自然環境に配慮したエネルギーが叫ばれていても結局のところ油が無ければ発電も、暖房も、輸送もままならない。ガソリンや軽油は運送用に優先的に回され、停止していた原子力発電所も慌しく再整備がされることとなった。
全ては、日本という社会を必死で生かすためであった。