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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第2章
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(2)

 櫻李が菊姫と買い物を終えて帰宅すると、兄の蓮爾はすでに帰省していた。


「レン兄ちゃま! おかえりなさい!」

「お~、菊姫、ただいま。イイコだったか?」

「うん! 会いたかったよ~!」


 リビングのソファーでくつろぐ姿を目にするや、菊姫は大喜びで駆け寄って飛びつく。そんな末妹を、鬼頭家の長男は膝の上に抱き上げながら満面の笑顔で声をかけた。

 高校を卒業して家を出るタイミングで生まれた妹に、蓮爾はとことん甘い。ついでに、ある程度歳がいってからできたこの末っ子には、日頃、超がつくほど厳格な父の剛造も殆ど骨抜きだった。そして、そこそこ年齢の近い継母と一緒になって子育てに参加した姉の桃花も、未婚ながら、すでに末妹の第二の母親と化している。かくいう櫻李も、年の離れた姉と兄(うえふたり)に、十年以上にわたってさんざん虐げられてきた末っ子という立場をようやく脱却できたばかりか、『兄』という立場にまで昇格できた関係上、菊姫にはどうも甘くなりがちなのは重々自覚済みだった。


 ようするに菊姫は、生まれたときから一家総出で甘やかしてきた、文字通りの箱入りの『姫』というわけである。鬼頭家において、最強の立場を確立していることは間違いない。だが、幸いにして賢明なるこの末っ子は、生来の気質のよさか、はたまた母菊乃の躾と教育の賜物か、そんな甘やかされ放題の環境の中にあっても、増長することもなければ我儘になることもなく、素直で天真爛漫に、のびのびと育っていた。


「いまね、お習字の帰りにサクラちゃんと一緒に豆乳買ってきたんだよ。ママのごはんおいしいから、レン兄ちゃま、ひさしぶりにいっぱい食べてね!」

「そうかそうか。うちの可愛いお姫さまがわざわざお兄ちゃんのために買ってきてくれたなら、余計においしさ倍増だな」

「駅の反対側まで行ってきたんだよ」

「それは大変だったなぁ」

「全然平気。だってヒメ、もう4年生だもん」

「そうかぁ、もう4年生か。このまえ会ったときより、少し背が伸びたんじゃないか?」

「うん。こないだの身体測定で、3年の3学期のときより1.7センチ延びてたよ」

「もう立派なレディだな。こんなに可愛いと心配だなぁ。クラスでもモテモテだろ。兄ちゃん置いて、あんまり早く嫁に行かないでくれよ」

「行かないよぉ!」


 兄と妹というより、殆ど父親と娘の会話である。黙っていればそれなりの男ぶりでとおる面相を、蓮爾は妹相手に思いっきり笑み崩してデレデレになっていた。ルックスに見合った派手な女遍歴はさておき、いざ家庭におさまって人の親に落ち着けば、それなりに子煩悩な、いい父親になりそうな素質は充分に備えているのかもしれない。

 などと思いながら、櫻李がリビングの出入口に突っ立ったままふたりの様子を眺めていると、視線に気づいた蓮爾と目が合った。


「よう、弟。元気だったか?」


 途端に蓮爾の態度は、妹仕様のデレデレモードから通常運転の、ちょっと皮肉げなクールモードに切り替わった。相変わらずの落差に苦笑を禁じ得なかったが、成人過ぎた弟相手に膝抱っこを要求されて、「兄ちゃん置いて、お婿に行かないでくれよ」などと言われても困るので、これはこれでいっこうにかまわないところではある。


「おかえり。そっちも元気そうじゃん」


 言って、リビングに入っていくと、長兄の膝の上に跨がったままの菊姫が、


「ヒメよりサクラちゃんのほうが、ずっとモテモテなんだよ!」


と、異性関係の華やかさでは弟の櫻李など足もとにも及ばぬ戦歴の兄に、いらぬ報告をしてくれた。


「ヒメ、いいからおまえ、先に手洗ってこい」

「はぁい」


 長椅子に座るついでに菊姫の頭に手を載せてポンと叩くと、菊姫は長兄の膝から身軽く飛び降りて、櫻李と入れ替わるようにリビングから出て行った。


「さすがだねぇ。俺の弟は相変わらずモテモテなんだって?」


 適度にあいだを開けて並んでソファーに座った弟を横目に見やり、蓮爾はニヤリと笑った。からかう気満々の様子にさらなる苦笑が漏れるが、ムキになるほど子供でもないので櫻李もさらりとかわす。


「兄貴ほどじゃないけどね」


 言った途端に、横から延びてきた手に軽く小突かれた。


「って!」

「ナァマ意気言うようになったじゃねえか、お兄様に向かってよ」

「生意気じゃねえよ。事実だろ。兄貴目当てに、昔っから家にまでファンが押し寄せてたのは」

「いやいや、過去の栄光。ツワモノどもが夢のあと。いまは昔ってヤツだぁね。現役バリバリの若者にはもはや敵いませんとも。こちとら三十路が目前に見えてるからな。こないだ成人式迎えたばっかの君とは違うのだよ、櫻李くん」


 口調はあくまでも子供扱いだが、7つ下の弟がおなじ土俵に上がりつつあることに、まんざら悪い気はしていないようだった。

 なんだかんだ言いつつ、蓮爾は弟の櫻李にも甘かった。去年、一緒に酒が飲めるようになったことをいちばん喜んだのは、父よりもむしろ、兄の蓮爾のほうだった。早いうちに酒の飲みかたぐらいおぼえておけと、櫻李は5限の講義のあとに六本木まで呼び出された。そのまま、兄の行きつけの中でも、質の高い店をハシゴしてまわったことは記憶に新しい。そしてその後も、2、3ヶ月に一度ペースで飲みに誘われている。


「で、そのモテモテの弟くんは、そろそろお兄ちゃんに、可愛いカノジョを紹介してくれそうなのかな?」

「そうしたい気持ちはやまやまだけど、当分無理だね」

「なんでだよ。まさかモテすぎて、ひとりに絞れねえとか言うんじゃないだろうな?」

「兄貴じゃあるまいし、んなわけねえだろ。俺はそこまでマメじゃありません」

「なんだあ? 俺の弟もあろうもんが情けねえ! ってか、櫻李、このヤロウ。実の兄を不誠実男呼ばわりすんな。俺だってそんな、何股もかけたりしてねえぞ!」

「兄貴の恋愛事情まで知らねえっての。ってか、兄貴こそいきなり帰ってきて、結婚の報告とかじゃないだろな?」


 言った途端にふたたび小突かれそうになり、櫻李は伸びてきた腕から躰を捩って逃れた。


「バァカ! だったらこんなラフなカッコで、独りでプラッと帰ってくるわけねえだろ」


 たしかにそのとおりである。だが一瞬、なにかがふとひっかかった。結婚話がどうこういうことではなく、兄が気まぐれに帰省したことについて。

 こんなふうに気儘に兄が帰ってくることは珍しくはない。だが、蓮爾の顔に浮かんだ表情の中に、気になるなにかがチラリとよぎった気がした。いったい、なにがひっかかったというのか。あらためてたしかめようとしたところで、稽古を終えた父と姉がちょうど戻ってきて、その件は結局、うやむやのまま立ち消えとなった。


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