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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
エピローグ
39/40

(1)

「あのっ、鬼頭先輩っ」


 講義が終わって講堂を出たところで、聞きおぼえのない声に呼び止められた。

 振り返ると、声同様、やはり見おぼえのない女子学生が立っていた。ミニスカートからスラリと華奢な足が伸びた、カワイイ系女子だった。櫻李を『先輩』と呼ぶからには、下級生なのだろう。


「おい、見ろよ。鬼頭だぜ」「『鬼ザル』復活か?」「え~、最近おとなしかったのにねぇ」


 あっというまに注目を浴び、好奇の視線が集まった。


「あのっ、あの、あたし、教育学科1年の江川乃慧瑠(のえる)って言います! 先輩っ、あの、あのあたしっ!」

「ストップ」


 必死に言い募ろうとした下級生の言葉を、櫻李は止めた。途端に顔を硬張こわばらせる相手に、「このあと、まだ少し時間大丈夫?」と尋ねる。はいと頷くのを確認して、


「場所、少し変えようか」


 促して、下級生を引き連れ、そこからやや離れた場所にある空き教室まで移動した。

 おとなしくあとをついてきた下級生をしょうじ入れ、ドアを閉める。人の目を完全に遮断したところで、あらためて相手に向きなおった。


「えーと、ドア閉めちゃったけど、外野をシャットアウトするためなんで、他意はないから」

「あ、はい……」


 かなり緊張しているのか、下級生は顔を真っ赤にして俯いている。握りしめた両手が、かすかにふるえているのが櫻李の位置からもて取れた。


「えーと、江川さん、って言ったっけ?」

「はっ、はいっ! 江川乃慧瑠ですっ」

「うん。教育学科の1年生って言ってたよね」

「はいっ」

「わざわざ講義終わるの待っててくれたみたいだけど、俺にどんな用事?」


 これまでの経験上、相手の様子を見れば話の内容は充分予想できた。だが、それでも一応の礼儀として訊いてみる。乃慧瑠は、緊張のしすぎでわずかに潤んだ目を櫻李に向けた。


「あのっ、先輩! いま、つ、付き合ってる人とか、いますか?」

「いないよ」

「あの、えっと、そしたら、わ、わたしと付き合ってもらえませんかっ!? せ、先輩のことが、好きなんですっ」


 殆ど泣き崩れる直前のような必死の告白。痛々しいほど頑張るその様子に、櫻李は申し訳なさすらおぼえた。

 いままでなら考えることもなく、相手がどんなタイプで、どんな気持ちでいるのかも斟酌することなく、あっさり承諾していたシチュエーションだった。それこそ相手が拍子抜けするほど簡単に互いの連絡先を交換して交際開始。だが。

 櫻李はしばし沈黙して相手を見つめると、やがて口を開いた。


「江川さん、俺の、どこが好き?」

「えっ!?」


 ひどく驚いた顔をされて、櫻李のほうがその反応に当惑して思わず苦笑を漏らした。


「いやその、きっとすごく勇気を出してくれたんだと思うけど、そんなに想ってくれるほど、どこがよかったのかなって思って。たぶん、初対面だよね?」

「ご、ご迷惑、でしたか?」


 尻すぼみになる相手の語調に、櫻李はいやいやと急いで否定した。


「迷惑とか、そんなことは思ってないから。ただね、俺の噂、聞いてる?」


 櫻李のさらなる問いかけに、乃慧瑠は俯くと、小さく頷いた。


「評判よくない奴と付き合うと、あとあとキツイし、悪目立ちするよ?」

「いいです、それでも! あたし、周りの目なんて気にしません!」


 必死にくいさがる相手に櫻李は嘆息した。その反応を見た途端、乃慧瑠の目に涙が浮かんだ。先程の緊張のそれとは異なる、失意の涙だった。


「あたしじゃ、ダメですか……?」

「いや、えーと……」


 一瞬対応に窮した櫻李は、ややあってから腹をくくった。


「俺の噂知ってて、それでもって言ってくれる気持ちはとても嬉しい。江川さんがダメッてことも全然ない。俺、いまフリーだから。これまでだったらたぶん、即オッケーしてたと思う」

「え、じゃあ……」


 一瞬期待に満ちた表情を見せた乃慧瑠に、櫻李はすぐさまかぶりを振った。


「でもゴメン。いまは、だれとも付き合う気ない」


 輝きかけた瞳が、たちどころに失意に曇った。


「あたし以外でも、答えはおなじだったってことですか?」

「うん」


 怒るか泣くか恨まれるか。どの反応が返ってくるか、正直予想がつかなかった。だが、しばらく視線を落として口唇くちびるを噛みしめていたおとなしそうな印象の下級生は、やがて意を決した様子で顔を上げた。


「わかりました。でも、もし差し支えなかったら、理由を教えてもらえますか? ふた股にならなければ大丈夫。そう聞いてたので」

「あ~、それね。ホント最悪」

「え?」

「いや、最悪じゃない? そういうの。それこそ来るもの拒まずって感じでさ。だれでもいい、みたいな」


 自分で言ってから、櫻李は本当に最低だなと少しまえの自分に顔を蹙めた。そして下級生に向かっては、それが理由、と答えた。


「俺、結構流されやすいんだよね。意志薄弱っていうかさ。断るの苦手なんだ。断って泣かれたり傷つけちゃうくらいならOKしちゃったほうが楽、みたいな。でも、そういうほうがよっぽど相手を傷つけるし、失礼だなってね、すげえ反省したわけ」


 ポツポツとした独白のような拙い言葉に、乃慧瑠はそれでもじっと聴き入っていた。


「それでその反省の中で、ひとつ決めたことがあってさ。次に付き合う相手とは、ちゃんと自分も、真剣に向き合えるようにしようってね。なし崩し的に流されるみたいに付き合うんじゃなくて。いまさらなんだけど、そう思って」


 さすがに言っているうちに、気恥ずかしさがこみあげてくる。だが、相手が真剣である以上、こちらも真剣に応じるのが礼儀というものだろう。そういう誠意が欠けていたからこその悪評で、身から出た錆なのだから。


「江川さん、俺のどこ気に入ってくれたのかわかんないけど、もしまえのままの俺だったら、江川さんのことよく知りもしないのに簡単にいいよって言っちゃうような奴だったわけだしさ。絶対やめといたほうがいいよ。オススメできない」


 我ながら本当にひどいと思うが事実なのだからしかたがない。菊姫が将来、仮にそんな男にひっかかろうものなら、断固阻止して別れさせるだろう。などと思うのは、可愛い妹が事件解決後、もう怖くなくなったからと、あっさり自分の部屋で寝るようになってしまったから余計だろうか。

 じっと耳を傾けていた乃慧瑠は、とうとう笑い出した。


「先輩、断るにしても、自分を下げすぎじゃないですか?」

「いや、言ってて自分でも情けなくなるけど、事実だから。それに、俺が言われてるとおりの鬼畜な奴だったら酷い目に遭わされるだけだよ?」


 連れ歩いていて見映えがするからという理由で、自分を見せびらかすのにちょうどいいアクセサリーぐらいに思っていた連中とも相応に付き合ってきた。だが、目の前の下級生は、そういったタイプとはあきらかに一線を画しているように見える。噂は知っていたと言いながら、それでもあんなふうに大勢のまえで声をかけ、必死になる意図がわからなかった。ところが、相手は思いがけず、櫻李の言葉を否定した。


「そんなことはありません。先輩は、そんなことする人じゃないです」


 断言されて、櫻李のほうが逆に戸惑う。


「え、なんで……」

「先輩とは初対面じゃありません。5ヶ月前に会ってるんです」


 言われてもピンとこない。だが、


「あの、あたし、受験のとき緊張しすぎて、会場に向かう途中で気分が悪くなってしまって……」


 そこまで言われて、ようやく思い出した。


「ああ、あのときの!」




 試験監督の補助を引き受けていた斗真が当日インフルエンザでダウンし、代打を頼まれたときのことだった。会場周辺の見回りをしている途中で、廊下の壁に凭れかかっている受験生が目に留まった。


「大丈夫?」


 様子がおかしいので声をかけると、制服姿の女子高生は蒼白い顔のまま無言で頷いた。試験開始まではまだ充分時間があったため、医務室まで連れていき、待機していた保険医にあとを任せて引き上げた。だが、立ち去りぎわに見せた心細そうな表情が気にかかった。

 ひととおりの試験開始前の雑務を済ませてあらためて様子を見にいくと、あたたかい部屋で休憩してだいぶ落ち着いたのか、彼女はちょうど、試験会場に向かおうとしていたところだった。


「場所わかる? 受験票見せて」


 差し出された受験票の番号を櫻李はその場で確認し、そのまま会場まで案内することにした――




「そうか、受かったんだ。よかったね。いまさらだけど、おめでとう」


 本当にいまさらな言葉をかけた櫻李に、あのときの受験生――江川乃慧瑠はわずかに頬を染めて頭を下げた。


「あのときは、ありがとうございました。無事、後輩になれたのは先輩のおかげです」

「いや、俺はなにもしてないって。頑張って勉強した江川さんの実力でしょ」

「そんなことないです。あのときもし先輩に声かけてもらえなかったら、あたし、間違いなくここにはいられませんでした」


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