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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第10章
38/40

(3)

 おまえ金融論のレポートやった? いまごろなに言ってんだよ、提出日とっくに過ぎてるだろ。ゲッ、マジ!?――男ふたりは、そんなやりとりをしながら小道の向こうへと消えていった。なんとはなしにそれを見送っていた禅は、


「よかったねぇ」


 横合いからおっとりとかけられた声に振り返った。見ると、先程まで櫻李が座っていた場所で茉莉花がニコニコとしている。禅もまた、残りのサンドイッチをふたたび口にしながら、そうだねと応じた。


「お兄さんの職場の怪奇現象も、すっかり落ち着いたみたい」

「そうなんだぁ。これで蓮爾さんも櫻李くんも、ひと安心だねぇ」

「うん」

「でも、あたしがいま『よかった』って言ったのは、ゼンちゃんのことだからね?」

「え?」


 思わず手にしたサンドイッチが宙に浮いたまま止まる。怪訝けげんな顔をする禅に、茉莉花はフフッと含み笑いを漏らした。


「あたし、ゼンちゃんには櫻李くんみたいな人が傍にいてくれたほうがいいと思うんだぁ」


 言われた意味がわからず、禅は無言で他学科の友人の顔を見返した。そんな禅を、茉莉花はまっすぐに見つめた。


「あたしねぇ、ゼンちゃんが大好きなの」

「あ、うん」

「飾らなくて優しくて素直で思いやりがあって」


 褒め讃えたあとで、だけどねぇとつづける。


「ゼンちゃんには壁があるの」

「壁? とっつきにくい?」

「うん、まあそういう部分ももちろんあるんだけど、それだけじゃなくてね、やっぱりあたしたちみたいな普通の人間にはない、特別なものを持ってるじゃない? それでね、そういう能力って、あたしたちからすれば、いいなぁ、すごいなぁって好奇心と憧れと興味の的になるわけだけど、実際自分のものとして持ってる当事者のゼンちゃんからすれば、みんなが羨ましがるばっかりのいいことだけじゃないと思うの」

「………………」

「力があったばっかりに、嫌な思いをすることだってきっとあると思う。そういうのをね、あたしたちは共有することができないじゃない?」


 茉莉花の言いたいことが、次第に禅にもわかってきた。


「ゼンちゃんはたぶん、必要以上に自分も、それから相手も嫌な思いをしなくて済むようにっていう配慮から、意識的にか無意識にかはわからないけど、一線を置くような付き合いかたをしてるのね。それは仲良くなったあたしにも変わらなくて、そういうの、なんかちょっと、悲しいなぁって思ってたの」

「マリちゃん……」

「あ、距離を置かれたのが悲しいっていう意味じゃないからね? そうじゃなくって、あたしたちがゼンちゃんに助けてもらうように、ゼンちゃんがつらいときにも、ちゃんとそのつらさを理解して、受け止めてくれる人がいたらいいのになぁって、あたし、ずっと思ってたんだぁ」


 まさかそれを、茉莉花は櫻李が適任だという気だろうか?


「待って、マリちゃん」

「さっきのふたり、すっごくいい感じだったよ」

「待って。待って! それはちょっと、さすがに……」

「イヤ?」


 率直に訊かれすぎて、禅は言葉に詰まった。


「ひょっとしてゼンちゃん、櫻李くんのこと、好きじゃない?」

「いやあの、好きとか嫌いとか、そういうのはちょっと」

「友達としてでも?」

「――え?」


 目を瞠る禅に、茉莉花はコロコロと軽やかな笑い声を立てた。


「やだぁ、安心してってば。あたしもさすがに本人たちの気持ち無視して、いきなりくっつけようとかしないわよぉ。そりゃお似合いだし、いつかはそうなったらいいのになって思うけど、でも、こればっかりはさすがにわからないもんねぇ」

「あ、うん。まあ……」

「あたしが言いたかったのはね、ただの顔見知りっていう遠慮した関係じゃなくて、本当の意味での友達になれたらいいなぁって思ったの」

「友達」

「そお。もちろん、もうすでにただの知り合いっていう以上の関係ではあるんだけど、でも、だからっていって個人的に連絡を取り合うほどでもないじゃない? たとえばいまは、学校で顔を合わせればお互い挨拶もするし、さっきみたいにちょっとお話なんかもできるわけだけど」

「うん」

「でもきっと、卒業したらそのままお互い疎遠になって、それっきりになっちゃうんじゃないかなぁ」


 それはおそらくそのとおりだろうと禅も思う。だが、茉莉花はそれではダメなのだという。


「あたしね、櫻李くんは絶対、ゼンちゃんのよき理解者になってくれると思うんだぁ。櫻李くんにとっても、それはおんなじだと思う。だから絶対、いまのうちにしっかり仲良くなっておかなきゃ」

「いや、でも……」


 妙に気合いの入った後押しに、禅はたじたじになった。


「櫻李くん、あんなにイイオトコなんだもん。ゼンちゃん、絶対放しちゃダメだからね!」

「マリちゃん、待って。あの、と、友達として押してるんだよね?」

「うん、もちろん!」


 どうも違う意味合いのように受け取れてしまうのは気のせいだろうか?


「あのね、さっきふたりでいるとこ見かけて、とってもいい感じだったよ、って言ったのは、ゼンちゃんだけじゃなくて櫻李くんもなの」

「え?」

「櫻李くん、ゼンちゃんと話してる顔が、とっても穏やかで安心してるように見えた。ほかの人と壁を作ってるの、ゼンちゃんだけじゃなくて櫻李くんもなんだと思う」


 茉莉花の言葉に、禅はわずかに押し黙った。その様子を見て、茉莉花もまた語調をあらためた。


「あのね、たぶんふたりは似た者同士なの。だからツルちゃんとも、いい感じだねぇって言ってたんだぁ」


 押し黙ったままの禅に、茉莉花はニッコリとした。


「女同士、男同士の相談ごとはあたしとツルちゃん、それぞれがいるからいいとして、そういうこととはまた別の、大事な部分については支え合える関係にふたりがなれたらいいと思うんだぁ。どうしてこんなお節介を焼いているかというとねぇ、それはいま言ったとおり、ふたりとも似た者同士で不器用だから、ちゃんと意識させて後押ししてあげないと、遠慮し合ったままで終わっちゃうだろうと思ったからなのぉ」


 櫻李くん、つかまえておいたほうがいいと思うよ?

 茉莉花に顔を覗きこまれて、禅は返答に詰まった。


「櫻李くん、あんな浮き名流してたのに、実体はあんなだもんねぇ」


 禅の返答を待たずに茉莉花はププッと笑った。


「どんだけ不誠実な女好きの遊び人かと思ってたら、超イイ奴でビックリ。見た目がカッコよすぎると損だねぇ」


 茉莉花の言葉に、禅もようやく苦笑を浮かべて頷いた。

 茉莉花の言うとおり、派手な浮き名を流している、という噂しかこれまで聞いたことがなかったが、実際に関わってみれば、不実どころか、じつに感じのいい好青年といったところである。

 ひょっとすると不誠実だったのは女たちのほうで、そういう女たちのよからぬ打算や下心を見抜いた夜桜が、櫻李に悪い虫がつかぬようにと排除していた。そういうことなのではなかろうか。

 櫻李と話しながら、そう思った瞬間に、禅の耳もとで「ふふ」というかすかな声が鼓膜をくすぐった。一瞬目を瞠った禅だったが、キョトンとした顔で自分を見る櫻李は、その含み笑いに気づかぬようだった。


 気遣いが巧みで華のある櫻李の周りには、絶えず人が集まっている。地味で愛想のない自分とは大違いだと禅は思う。そんな中、打算や下心、欲得ずくの関係を狙う人間ばかりが接近を図るともなれば、夜桜でなくとも排除したくなるだろう。

 先程も櫻李が現れて以降、すさまじいまでの注目を浴びつづけていたのだが、その原因となっている当人は、まったく気づくそぶりもない様子だった。己の魅力に対する無頓着ぶりが、無防備さを作っていることは間違いないだろう。


「じつはさっきも、周りからのプレッシャーがかなりすごかった」

「普通に歩いてても目を引くのに、構内では超有名人だもんねぇ」

「サクラさんのファンに、恨まれちゃうんじゃないかな」

「気にすることないなぁい」


 あっけらかんと言って、茉莉花は可愛らしいネイルでお洒落した手をヒラヒラと振った。


「櫻李くんがゼンちゃんを友達って受け容れたことを、他人にとやかくなんて言わせないんだから。もしゼンちゃんに嫉妬したり逆恨みして、文句言ったり意地悪するようなのが現れたら、すぐに言ってね。あたし、絶対やっつけてやるんだからぁ」


 おっとりした迫力ゼロの口調で言って、茉莉花はエヘンと胸を張った。それから中庭の時計を見て、「あ!」と声をあげた。気がつけば、午後の講義がはじまる時間が迫っている。禅も手にしていたサンドイッチの最後のひとかけをあわてて口に放りこんで、バッグとペットボトルを手に立ち上がった。


「ゼンちゃん」


 一緒に立ち上がった茉莉花に呼ばれて振り返る。


「あたしたちも友達だけど、これから、もっともっと仲良くなろうねぇ」


 屈託のない笑顔を向けられて、一瞬目を瞠った禅は、


「うん」


 曇りのない笑顔でそう返して、茉莉花と別れた。


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