(2)
「俺みたいな奴って、ほかにもいるのかな。鈴原さん、知ってる?」
訊かれて、禅はかしげていた首の角度を、考えこみながらもとに戻した。
「少なくとも、わたしが知ってるかぎりではサクラさんだけかな。こういうパターンははじめてだったから、正直わたしも、かなり戸惑ったけど」
「だから気にかけてくれてるんだ」
「え?」
「いつも『大丈夫?』って訊いてくれるからさ」
「あ、うん。わたしみたいに、ある程度そっち方面のことを知っててもこれだけ戸惑うんだから、いままで全然自分の能力に気づいてなくて、さらには当事者でもあるサクラさんには結構キツイんじゃないかなって思って」
「たしかに、青天の霹靂だよなぁ」
櫻李は微苦笑を閃かせた。
「こうなっても全然実感ないし、こないだの件も鈴原さんと夜桜のおかげって思ってるけどね。俺ってほんとに、鈴原さんが言ってるみたいな『能力』とかあんの?」
「うん、ある」
「でも、夜桜のこと以外は全然、まえと変わんないけどなあ。あのときの梅の花も、枝持って斗真のお経ボーッと聴いてただけで、自分でなにかしたおぼえもないし」
櫻李の言葉に、禅は「いまはそれでいいと思う」と応じた。
「必要なときに、きっと必要に応じてわかるときが来ると思うから」
「そういうもの? 鈴原さんの場合は、どんな感じ? やっぱ普通では感じとれないものが見えたり聞こえたりすんの?」
訊かれて、禅はうんと頷いた。
「ぼんやりと感じるだけのときもあるし、はっきり見えたり聞こえたりするときもある。訴えかけてくる側との相性もあるんじゃないかな。あとは、向こうの思いの強さにもよるのかも」
「すごいな。それって昔から?」
「物心ついたときには、普通に。でも、特別すごくはないと思う。記憶力がよかったり芸術性が高かったり運動能力が飛び抜けてたり。みんな持ってる能力はそれぞれで、わたしの場合はたまたまソッチ方面の感性が強かったっていうだけの話だと思うから」
その悟りがすでに充分すごいと櫻李は思うのだが、おそらく禅は、そんなふうに割りきるまでにいろいろな経験をしてきているのだろう。
「じゃ、鍛錬とかすれば、俺もそのうち、ちゃんと自分の力がどういうものか理解して、普通に使いこなせるようになったりする?」
興味半分、実益的な意味合い半分で尋ねると、禅はあっさり、それはないと否定した。
「サクラさんは無理になにかしようとしなくて大丈夫。さっきも言ったように、必要なときがくれば、きっと自分でわかるはずだから」
「……そういうもん?」
「うん。運動選手とか音楽家とかみたいな技能とは違うから」
「精神修養は?」
言った途端に、禅は小さく吹きだした。
「いらない」
「そっか。そういうもんなんだ」
「持ってる能力にもよると思うけど、少なくともサクラさんは、そういうのはいらない」
「ふ~ん。やっぱイマイチわかんないな」
櫻李は腕を組んで宙を見据える。それから禅を顧みた。
「じゃ、もしそのときにどうしていいかわからなかったら、教えて?」
うん、と頷いたあとで、禅はしみじみと櫻李の顔を眺めた。
「なに? どうかした?」
「あ、うん。サクラさん、モテるはずだなぁって」
「は?」
キョトンとする櫻李に、禅はなんでもないとかぶりを振った。
これだけ容姿が整っていて性格もよければ、異性が放っておかないのも頷ける。口には出さないものの、あらためてそう思ったのだ。
「あ~、ゼンちゃんと櫻李くんだぁ!」
やや離れた場所から声が飛んできて、振り返ると庁舎と庁舎のあいだの通路から茉莉花がこちらを見て手を振っていた。その隣には、斗真の姿もあった。
「一緒にごはん? 仲良しさんだねぇ」
すぐに近づいてきたふたりは、ベンチに並んで座る禅と櫻李のまえに立つ。櫻李がそれに対して、「いや、話してただけ」と受け答えた。
このあいだの訪問のあとから、茉莉花の櫻李に対する呼び名は『鬼頭くん』から『櫻李くん』に変わっていた。親密さが増した証拠であるが、茉莉花にはすでに、社会人の恋人がおり、櫻李にとっても茉莉花にとっても、お互いの存在は恋愛対象外である。そしてそういうものを完全に抜きにした友人関係、というのがはじめての櫻李には、そのことが新鮮で、純粋に嬉しくも思っていた。
「そっちこそ仲いいじゃん。文学と経済、かぶる授業ないだろ?」
櫻李が尋ねると、斗真はニンマリと得意げに胸を反らした。
「俺らはサークルの集まりでぇす。今度大会あるから合宿の打ち合わせ」
「っていう名目の、旅行の計画だったんだよねぇ」
斗真の言葉に、茉莉花が付け足す。
「ゼンちゃんたちも一緒だったら楽しいのにぃ」
「おまえらも、うち来れば? 途中入会大歓迎だぜ?」
「俺もう、別で入ってるし。掛け持ち面倒くさい。しかももう3年。いまさらだろ」
「オールラウンドという、いかにもおまえらしいチャラ系の、じつは無目的のイベサーな。幽霊で殆ど顔出さねえって、こないだゴンちゃん先輩嘆いてたぜ?」
「なんだよ、俺らしいって。暇なときだけ顔出せばいいからって、入学時に無理やり引っ張りこまれたんだよ。ってか、なんでおまえが権堂先輩知ってんの?」
「うちの部長の須崎先輩と仲いいんだよ、あの人。おまえ目的で入ったのに、おまえが全然顔出さないんで女子部員がどんどん減ってくって零してたぜ?」
櫻李はげんなりした様子で肩を竦めた。
「サクラさん、そういえばお昼は?」
唐突に訊かれて、櫻李は禅を顧みた。
「俺?」
「うん。声かけられて、そのままうっかり話しこんじゃってたけど、もう食べた?」
「ああ、いや。これから。3限空いてるから平気。時間潰しのあいだに適当に食べるし」
「菓子パンでよかったら1個あげる。買ったけど、わたしには多かったから」
「え? あ、どうも。いいの?」
「お茶のお返し」
ふたりのやりとりを眺める斗真がニヤニヤとする。そして茉莉花と意味深に目を見交わした。
「なんだよ」
気づいた櫻李が尋ねると、ふたりはべつに、と異口同音に答えた。あえて無理やり聞き出さずとも、顔を見れば言いたいことは一目瞭然だった。
蓮爾からの申し出があったとはいえ、これで夕食に誘ったなどといえばどれだけ騒ぐかわからない。自分はともかく、禅を巻きこむのは申し訳ないと、櫻李はわずかに顔を蹙めたのみでそれ以上追及しないことにした。
「鈴原さん、3限あり?」
尋ねた櫻李に禅は「うん」と頷く。それを機に、櫻李は立ち上がった。
「邪魔してごめん。じゃ、また今度」
「うん、また」
「え? あ、あれ? 俺ら、もしかしてスゲエお邪魔だった?」
「バカ、時間見ろ。昼休憩そろそろ終わりだっつうの。おまえも次、空きだろ?」
苦笑して、櫻李は斗真を促した。かわりに櫻李が座っていた場所に茉莉花が座る。
「ツルちゃん、櫻李くん、またねぇ」
ふたりに見送られて、櫻李は斗真とともにその場をあとにした。




