表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第9章
34/40

(3)

 余計な雑念を捨て、黒く染まった花弁に向けて集中を高めていく。

 手にする枝を通じてたしかに感じるのは、窓の向こうに望む梅の木本体の、神々しくも力強い霊気――

 夜桜の力が、この部屋と梅の木とを繋ぐ霊道を開かせていくのがわかる。同時に、己の周囲に満ちるのは、斗真が紡ぎ出す言霊の力。


 ふたつが組み合わさり、混じり合うことで、櫻李の中に明るい、やわらかな光が溢れていった。


 なにをしている、という実感はまるでなかった。だが、己の裡に、『光』が満ちていくのがわかった。斗真の唱える経文にたしかな波動を感じる。夜桜が開いた霊道と手もとの枝の双方から、梅の木の発する霊験なる気が伝わってくるのがわかる。それらを感じとるだけで、己の中に『光』が満ちて、輝きが増していった。


 手に触れた枝の中心に、いまにも消え入りそうな、小さな核の存在がたしかに感じられる。

 感情にまかせてはいけない。邪悪なる闇を嫌忌けんきしても、逆に呑まれてもいけない。


 あるべきものを、あるべき姿、あるべき場所へ――


 己の裡に満ちる『光』が、手にする枝の核に向かってゆるやかに流れはじめた。


 純然たる想いは、ときに美しく、ときに残酷で浅ましい。

 どす黒く染まったそれを、深い後悔と悲哀とが覆い尽くす。

 核を取り巻くのは、未練を断ち切ることができずにこの世で彷徨いつづけた、底なしの情念。枝へと流れゆくエネルギーが、それを包みこみ、愛おしむように、憐れむように融かし、祓い浄めていく。


 いつしか櫻李の手の中で、どす黒く染まった花弁のひとつひとつが色を失いはじめた。

 不気味にすら感じられた闇の色が薄まり、色褪せ、暗黒色から鈍銀にぶぎん、薄墨、乳白色、白磁へと変化する。それはやがて、完全なる無色へと移行した後、ほのかな薄紅を纏って淡く、あざやかに輝きはじめた。


 光が、溢れる。


 包まれるあたたかさの中で、絶望、怒り、怨みの念が見る間に融けていく。


 求めていたものは、大いなるゆるし。

 恕すこと。恕されること。


 己を縛っていたものが、ひとつひとつ解きほぐされ、しがらみから放たれていく。軽くなって、あたたかくなって、喜びに打ち震える先に救いが見える。


 一帯に漂い、満ちるのは、聖なる梅の甘やかな馨り。

 囚われつづけた過去が、未来へ向かって時間を紡ぎはじめる。


 ――ああ、自分がいるべき場所は『ここ』ではない。『あちら』へ渡ろう。そうしてようやく、あらたにすべてがはじまる。


 納得し、満足した『思い』が最高潮まで達すると、溢れた光はやがて穏やかに終熄し、輝きはゆっくりと、熱が引くようにおさまっていった。






 気がつくと、読経の声が熄んでいた。


 櫻李の隣で禅がホッと息をつき、夜桜の横では、先程まで苦痛に呻いていた蓮爾が盛大に大息を漏らして脱力した。眼前に横たわる茉莉花の表情も、穏やかさを取り戻していた。

 茫然とする櫻李を顧みて、禅がお疲れさまと声をかける。


「……え? 終わっ、た?」


 どれだけの時間が過ぎたのかもわからなかった。


「マリちゃんに取り憑いてた低級霊たちは、無事、しがらみから解き放たれて『向こう側』へ送り出してあげられたよ」

「真野さんの中にあった、核は?」

「このはなさんもちゃんと、本体の霊木に戻っていけた。花の色が戻って、輝きを増したでしょう?」

「あ、うん……」

「櫻李、よう成し遂げんしたな」


 夜桜にも満足げに声をかけられ、櫻李はなんとなしに腑に落ちないまま、手もとの枝を無言で見やった。ふと目線を上げれば、足を崩して肩をもみほぐす斗真のそれとぶつかった。斗真は途端に、いつもの不真面目な態度でニヤリとする。夜桜の横では、いましがた盛大に大息を漏らした蓮爾が背後の壁に寄りかかって、まだ軽く息を乱していた。


「兄貴……」

「おー、お疲れ」


 櫻李が声をかけると、蓮爾は気怠げに応えて軽く手を挙げた。そして、「飛行訓練よりキツイわ」と苦笑した。短時間のあいだに相当体力を消耗したのだろう。心なしか、前回帰省したときより窶れて見えた。

 直後、茉莉花の口からかすかに呻き声が漏れた。ハッとして顧みた先で、茉莉花は一度きつく顔を蹙めると、昏倒して以降、固く閉ざしたままだった目をゆっくりと開いた。


「真野ッチ!」

「マリちゃん、気づいた?」


 しばしぼんやりと天井を眺めていた茉莉花は、幾度か瞬きを繰り返した後に、左右から自分を覗きこむ顔を順番に見回していった。


「あ…、あたし……」


 掠れた声でぼんやり呟いた後、あらためて斗真を見直して、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「ツルちゃん、ごめんね。あたし」

「いいっていいって、真野ッチのせいじゃないから。わかってる」

「でも……」


 言いながら、茉莉花はゆっくりと起き上がった。


「マリちゃん、大丈夫? 躰、なんともない?」


 背中に手を添えて尋ねた禅に、茉莉花は「うん」と頷いた。


「平気。でもびっくりした。まさか自分があんなことになるなんて、思ってもなかったから」

「意識はあったんだ?」


 横合いから尋ねた櫻李に、茉莉花はふたたび頷いた。


「そうなの。自分がどうなっちゃったかはちゃんとわかるのに、勝手に躰が動いて、自分の思ってることとは関係ないことをしゃべってるの。あたし、どうしちゃったんだろうって、すっごく怖かった」


 答えて、茉莉花はあわててもうひとりを顧みた。


「蓮爾さん、あの、本当にごめんなさい。大丈夫でしたか?」

「平気平気。女性に襲ってもらえるなんて、むしろ男冥利に尽きる栄誉だよ」


 相変わらず疲れきった様子で壁にもたれたまま笑って応じる兄に、櫻李はなにを言っているんだかと、ひそかに嘆息を漏らした。


「ツルちゃんは? あたし、首絞めたうえに、ものすごい力で蹴り飛ばしちゃったでしょう?」

「俺も全然問題なし。なんともないよ。ってか真野ッチ、マジですげえパワーだったな。俺、真野ッチにはこの先、なにがあっても一生逆らわないって心に誓っちゃったぜ。あ、でも俺が真野ッチにぶっ飛ばされたってのは、ここだけの秘密な」


 冗談めかして答えて、読経のことも言うなよお!と付け加えた。


「せっかく俗世間でお気楽大学生を満喫してるってのに、変なイメージつきまとったら台無しになっちまうからな」

「ツルちゃんてば変なのぉ」


 楽しげに笑ってから、茉莉花は櫻李を見て礼を述べた。


「鬼頭くんも、ありがとう」

「あ、いや。俺はべつになにもしてないから」

「うううん。あたしの中にいた人たちがね、最初、すごぉくドロドロで救いが見えない絶望の中で苦しんでたの。それが途中から急に、霧が晴れてくみたいにスゥッと軽くなって、苦痛もやわらいでいって、それからあっというまに楽になっていったのね。で、すごくあったかくて綺麗な『光』の道が見えて、夜桜さんが『こちらですよ』って言ったら、みんないっせいに、『ありがたい、ありがたい。やっと往生できる』ってそっちに導かれていって、そしたらあたしも、自然に自分を取り戻すことができてたの」


 その霧を晴らしたのは、櫻李なのだと茉莉花は断言した。


「よくわからないんだけど、でも、鬼頭くんが悪い部分だけを祓ってくれたっていうのは間違いなく感じとれたよ?」

「さすが我が友、だてに色男の異名をほしいままにはしちゃいない。キメるときゃキメるね」


 斗真がすかさず軽口を叩き、蓮爾もまた意外そうな顔をする。


「櫻李、おまえ、いつのまにそんなことできるようになったんだ?」

「いや……、俺も全然、自分がなんかしたおぼえはない、けど……」


 戸惑う櫻李に、斗真が「ま、結果オーライってことでさ」と、あまり話が深刻化しない方向でさっとまとめてくれた。


「夜桜さんも、ありがとうございました」


 礼を述べた茉莉花に、夜桜はたおやかな笑みを返す。そして、


「感謝するのは、わちきのほうでありんす」


 そう言って、傍らを顧みた。

 蓮爾の裡から現れ出でて以降、茫洋とした様子で浮かび上がったままだった男が変わらずそこにいる。夜桜は、それへ向けてあらためて「佐平次」と声をかけた。

 途端、男の様子に変化が現れる。

 ピクリ、と指先を動かし、瞬きをした佐平次は、ゆっくりと呼ばれたほうに顔を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=6074329&siz

off.php?img=11
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ