(2)
「……え?」
「悪しき亡者にも情けは必要――先にわちきが申したこと、おぼえておりんすな?」
「あ、うん」
「悪しきもののみを浄めれば、茉莉花どのの中に核が残りいす」
「核?」
「マリちゃんに憑依した低級霊の集合体の中心に、邪念に蝕まれてるこのはなさんがいる」
禅の答えに、櫻李は驚いた。
櫻李が手にする梅の枝に宿っていたこのはなの魂が、集まった邪霊に絡めとられているという。いまなおどす黒く染まった花弁の状態が、それを示していた。
不浄の念に犯されたこのはなは、最後の理性で、己を受け止めてくれる茉莉花に縋るようにして、その裡へと逃げこんだ。
「憎しみや怒りだけで悪しきものを叩き壊すことは、真の救いになりんせん。心を添わせ、しがらみから解き放ってやることこそが浄めとなりいす」
そう言われたところで、櫻李にはなにが自分の『出番』なのかわからない。成仏できずに現世を彷徨っている霊とやらに、同情してやれ、ということだろうか。
「梅の花を、白くしてあげて」
戸惑う櫻李に、禅が言った。
「サクラさんが手にしてるその梅の花びらをね、もとに戻す手伝いをしてあげてほしい」
「俺が?」
「そう」
「……どうやって?」
「そこはまず、斗真どのに力添えを頼みいす」
夜桜がそこで、意外なことを口にした。
「斗真どの、お勤めを、お願いできんすか?」
夜桜の言を受けて、斗真が途端にバツの悪そうな表情になった。
「うわ~、なんでわかっちゃったんだろう……」
「斗真?」
勤めって?と顔中に疑問符をちりばめた櫻李に、斗真は指先で自分の頬を掻きながら、イタズラがバレた子供のような顔をした。
「俺、おまえに言わなかったっけ? 寺の跡取りなんだわ」
「聞いてねえよ!」
ソッコーで答えてから、あらためて驚愕した。
「寺の跡取り? おまえが?」
将来の住職が、こんな軽くてチャラくて大丈夫なんだろうか。というか、住職? こいつが?
櫻李の内心の声が聞こえたかのように、斗真は「あ~もう、だからイヤだったんだよ……」とぼやいた。先程禅が言った、斗真にも『護りが働いてる』というのは、そういう意味だったのかと櫻李は唖然とした。
「斗真どの、ごめんなんしえ」
夜桜が、どこまでも悪びれない様子でふくりと笑う。それを見て、斗真は観念したように大きく嘆息した。
「了解です。美人の頼みは断れない。ちょい不本意だけど、真野ッチも巻き添えにしちゃったし、協力させてもらいます」
了承してから、斗真は櫻李に向かって気まずそうに弁解した。
「言っとくけど、俺、霊感とか全然ないから」
実家が寺で、将来その跡を取ることが決まっていても、除霊やお祓い、霊視といった方面はからっきしなのだという。それゆえ櫻李から今回の話を持ちかけられた段階で、自分は相談に乗れなかった。そういうことであったらしい。
「ま、読経ぐらいはできるからさ。今回はそれで協力するわ」
「あ、うん。頼む」
かなりの照れもあるのか、視線が合わない。櫻李はいまだ、友人の意外な一面に驚きつつも、とりあえず神妙に頷いた。
「で、具体的にどうすれば……」
なおも心許なさそうな櫻李の問いに、禅が口を開いた。
「まず、御劔くんに読経してもらって『場を整える』から、そしたらサクラさんは梅の花に集中して」
「集中? これに?」
手にした枝を掲げると、禅はそうだと頷いた。
「その枝、本体の霊木とも繋がってるから、その霊木のエネルギーと御劔くんの唱える経文から発せられる言霊のエネルギーとを合わせてその枝に注ぎこむ感じ」
「……それ、俺がやんの?」
いきなり言われても、とてもできる気がしなかった。だが、禅はきっぱりと断言した。
「サクラさんにしか、できないことだから」
そんなバカな。内心で思ったが、安易にそう口にできない雰囲気が漂っていた。
「幸いにも佐平次さんにはお兄さんがいて、このはなさんにはマリちゃんていう拠りどころがある。ふたつの魂を繋ぎ止めたうえで、霊木と言霊の力を使って邪気だけを洗い流していけば、現世に縛られつづけてきた霊魂を解き放つことができる。あの梅の木が『向こう』の世界に繋がる場にもなってるから、夜桜さんには、その入り口の門を開いたうえで、解き放たれた魂が迷わないように導いてもらう。わたしは、御劔くんの読経に合わせて、マリちゃんに憑依しているものを『こちら側』に引き出す手伝いをするから。それがこの場にいる人たちそれぞれの役割」
「『向こう』――って?」
「死者の魂が向かう先。霊界とかあの世とか黄泉とか泉下とか、言いかたはいろいろだけど、正直どれもわたしにはピンとこない。だから、『向こう』は『向こう』かな」
曖昧すぎてわかりづらいだろうかと訊かれ、櫻李は「いや、大丈夫」と応えた。だが、それぞれの能力に応じた役割が分担されるのはいいとして、やはり自分だけが割り振られた役目を果たせるとはとても思えなかった。戸惑いと不安を募らせる櫻李に、夜桜と禅はそれぞれ、大丈夫だと頷いた。
「櫻李、案ずるより産むが易し、でありんすえ」
「いまの時点ではピンとこなくても、サクラさんなら、はじめてみればすぐわかるはずだから」
完全に他人事としか思えない無責任発言である。だが、それでも櫻李以外にだれもその役割をこなす人間がいないのだと言われれば、腹をくくるよりほかない気がした。
とりあえず挑戦してみて、やれるかやれないかだけでもはっきりさせなければ、次の手段を講じることもできない。
「ちなみに俺は、どうすれば?」
やはりこちらも不安そうに尋ねた蓮爾に、夜桜が「兄様はこちらへ」と、自分の傍らを指し示した。
万一ひっくり返るようなことがあっては困るので座っているよう指示され、蓮爾は薄気味悪そうに佐平次から極力離れた位置に胡座をかいた。禅が床に倒れたままの茉莉花の傍らへと移動する。櫻李と斗真もまた、禅の指示にしたがって禅の横と正面にそれぞれ座を構えた。
「では斗真どの、はじめておくんなんし」
夜桜の一声で、禅と櫻李の向かいに端座する斗真が、スッと背筋を伸ばして手を合わせた。ほどなく、朗とした声が経文を唱えはじめる。意外すぎる悪友の一面に、櫻李はしばし目を奪われた。だが、読経開始後ほどなく、室内の空気が一変したことに気づいてあたりを見渡した。そんな櫻李に、禅も満足げな様子で頷いた。
「御劔くん、さすがだね」
そのひと言で、櫻李はあらためて自分が手にするものと禅、そして夜桜を顧みた。
自分にしかできないこと。
はたして本当に、そんな役割を遂げることができるのだろうか。櫻李には、いまだにわからなかった。だが、やってみなければその先には進めない。
どす黒い怨念に侵蝕され、醜く染め上げられた白き花弁を穢れなき状態に戻す。本体となる霊木の神威と経文による言霊のエネルギーを利用して。
櫻李の横で、禅が茉莉花に意識を向けた。
胸のあたりに手を翳し、口の中でなにごとかを呟く。それまでピクリともしなかった茉莉花の眉間に皺が寄り、キツく引き結んだ口から苦悶の声があがった。全身を大きく反り返らせた直後、小刻みに身体をふるわせ、なにかに耐えるように両の拳が固く握りしめられる。
禅の力によって、茉莉花の中から、裡にひそむものが引きずり出されようとしていた。同時に、目の端で佐平次もまた、それまでの無表情、無反応から一転し、苦しげな様子で悶えはじめた。
「……っ、くっ」
佐平次の苦しみに共鳴するように、蓮爾も胸のあたりを押さえ、床に手をついて大きく喘ぐ。
『場』はすでに、調えられつつあった。ならば自分も、最善を尽くさなければなるまい。
櫻李はふたたび、梅の枝に意識を戻した。




