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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第9章
32/40

(1)

「……っぐ」

「殺してやる……っ 頑健なる肉体を我によこせっ!」


 茉莉花の口から漏れ出た声は、普段のおっとりとしたそれとはまるで異なり、低くひび割れて、凄惨な気配を含んでいた。


「なっ、なんだいったい。急にどうして……」


 予期せぬ展開に愕然と呟いた蓮爾は、しかし次の瞬間、我に返ると後ろから茉莉花を押さえこみ、斗真から引き剥がしにかかった。斗真の顔色は、わずか十数秒の間に、見事に鬱血していた。事情はわからないが、人命に関わる事態であることだけは間違いなかった。

 茉莉花の口から凄まじい咆吼があがる。同時に、蓮爾の腕の中で、小柄な女性のものとも思えぬ兇猛きょうもうな力を発揮して暴れ狂った。


「ちょっ、待て! うわっ」


 振りまわす手足が顔や腹、躰のそこここに激しく当たる。蹴り上げた足が目の前の斗真を直撃した瞬間、その躰は軽々と吹っ飛んで、背後のベッドサイドに叩きつけられた。


御劔みつるぎくん!」


 床に転がった斗真は、ふたつ折りになって呻吟した。駆け寄った禅があわてて顧みれば、部屋の隅に佇む夜桜が、ひとり端然と印を結ぶ姿があった。目を閉じ、小さく動かした唇のうちで、夜桜はなにごとかを唱える。と、次の瞬間、室内を見えない膜が覆ったような不可思議な感覚が襲った。


【『あちら』の世界に繋がりやすくなるよう、あに様の居室のみ、一時的に現世から切り離しいした】


 言うなり、夜桜は一体化していた櫻李から離れた。

 わずかに茫然としていた櫻李が、ハッと我に返る。見ると、茉莉花を押さえこもうとしていた蓮爾がいつのまにか床に組み伏せられ、首を絞められていた。


「兄貴!」


 飛び出そうとした櫻李の躰を、見えないなにかがやんわりと拘束した。その眼前で、茉莉花がビクッと身を竦ませる。雷にでも打たれたように激しく全身を硬直させた茉莉花は、直後、一気に虚脱するとともに、蓮爾に覆いかぶさるようにパッタリと昏倒した。


「ご学友は憑依ひょういされていんす」


 背後から飛んだ夜桜の声に、拘束を解かれた櫻李もまた、緊張を解いて顧みた。


「憑依って、だれに……」


 呟きながらも、先程から鼻を突く、強すぎる梅の香がひとりの人物に繋がっていく。だが、夜桜はかぶりを振った。


「このはなではおっせん」

「違うって、じゃ、ほかにだれが……」

「佐平次の想いに引き寄せられた者らの、浮かばれぬ魂が邪念を形成したのざます」


 今世を彷徨さまよう佐平次の思念は、最初、さほど大きなものではなかったという。だが、このはなの分身である梅の木のエネルギーに触れるうち、おぼろだった未練が次第に濃度を増し、蓮爾の心に影響を及ぼすまでに成長していった。

 男の想いに引きずられるように、蓮爾は非番のたびごとに実家を訪れた。それにより、佐平次の無念と悲哀はますます肥大して、好ましくないものへと膨れ上がっていった。

 負の連鎖による悪循環が及ぼした周囲への影響は計り知れない。


 佐平次とこのはな。互いを想い合う切なる心は、時を経た異空のこの地で、大きく歪んで怪異をもたらす元凶となった。


 断ち切れぬ男の未練に引き寄せられた数多あまたの邪念が、佐平次の魂を中心に寄り集まる。それは、周辺に漂う怨嗟のエネルギーを吸収して、瞬く間にひとつの塊へと集約されていった。

 それこそが、次々に不可解なる現象を巻き起こした、今回の騒動のあらましであるという。


「それじゃ、基地で起こっていた怪奇現象や兄貴の身に降りかかっていたことも全部……」

「佐平次さんとこのはなさんの影響を受けた、低級霊の集合体によるもの、ってことになると思う」


 夜桜にかわって、禅が応えた。夜桜もまた、禅の意見に賛同の意を表する。


「佐平次はむしろ、それらの想念に食いものにされるように、兄様の胸の裡で滅しかけておりんした」


 夜桜の目線の先で、いまだ虚ろな様子の男がボウッと浮かび上がったままだった。


 死してなお、人の持つ我欲の餌食とされ、犠牲を強いられた男の哀れな末路。

 醜くも浅ましい妄念に、絡めとられる弱さこそが罪なのか……。


 梅は、古来より神樹、神花とされることも多い。その清浄なるものの持つエネルギーを不浄へとけがし、自分たちの力を増幅させんとする邪気の集合体。

 手にした聖樹のひと挿しに咲き誇る白き花弁が、負の思念に侵蝕されて、見る間に萎れ、どす黒く染め上げられていった。

 眩しいほどに生を謳歌する者たちへの妬みと悔しさ。すでに喪われ、取り戻すことのできない在りし日の己の生に対する強い執着。


 おまえたちの生など、汚泥にまみれた世界へ引きずり下ろしてくれん。我らとともに、永劫につづく苦しみの果てでのたうちまわるがいい。


 茉莉花の口を通じて発せられた救いのない呪詛は、己の這いずる絶望の底へと目映き者らを引きずりこまんとする、亡者たちの怨恨が現れ出たもの。


「櫻李、怒りにまかせてはいけんせんえ」


 櫻李の表情にあらわれた嫌悪を読み取り、夜桜は昂然と告げた。


(ごう)深き人間(われら)に、是非も無謬むびゅうもありいせん。善と悪とは紙一重。たとえ今日まで清廉せいれんを貫いたとて、明日、咎人とがびとにならぬ保証がどこにありんしょう」

「けど、だからって――」

「わかっておりいす」


 夜桜は頷いた。


「ぬしの気持ちも充分理解できんす。なれど、うつし身を離れ、みずから不浄に染まった魂らに、もはや人の道理は通じんせん」


 茉莉花に取り憑いた邪悪なるものは、力尽くで祓うよりほかない、ということだろうか。だが、夜桜はかぶりを振った。


「櫻李、晦冥(やみ)を這いずる浅ましき亡者(もの)にも、情けは必要え」


 救いがあってこその魂の浄化。

 だが、それではいったい、どうすればいいというのか。

 思ったところで、蓮爾が低く呻いた。


「兄貴!」


 茉莉花に首を絞められ、人事不省に陥っていた蓮爾は、自分に覆いかぶさったまま正体をなくしている茉莉花の下から這い出ると、ゆっくりと起き上がった。


「兄貴、大丈夫?」


 喉に手を当てて軽く咳きこむ兄に声をかけると、蓮爾は櫻李を顧みて、大丈夫だと軽くもう一方の手を挙げてみせた。


「参った。ほんとにられるかと思った」


 答えた声が、ひどく掠れてところどころで音を掻き消している。ひと蹴りで斗真を弾き飛ばした威力をもってすれば、人間の首をへし折るくらい造作もなくやってのけただろう。思い至って、あらためて慄然とした。

 振り返れば、その斗真もまた、禅に介抱されながら床に座りこんでいた。ベッドのヘリに叩きつけられた背中が痛むのか、庇うような恰好で顔を蹙めている。


「すげえな、真野ッチ。ハンパねえわ」


 櫻李と目が合うと、斗真はそう言って腰のあたりをさすりながら苦笑を漏らした。


「おまえも大丈夫か?」

「あ~、まあな。イテェっちゃイテェけど、たぶん骨は無事」


 首絞められるわ蹴り飛ばされるわ、いったいなんのプレイだよ、と、斗真はいかにも、らしいぼやきでおどけてみせた。


「おふたかたとも、大事に至らず、ようおざんした」


 声をかけた夜桜は、みずからの不手際を被害者ふたりに詫びた。

 すなわち、蓮爾の裡から佐平次の魂をこちら側へと呼び寄せた瞬間、佐平次の魂に強く反応した低級霊がひとかたまりになって押し寄せた。その結果、それらはたまたま乗り移るに最適だった茉莉花を恰好の餌食と見做して乗り移ったのだという。

 茉莉花の抱いた、このはなと佐平次の報われぬ想いに対する憐憫の情が、思わぬかたちであだとなった。


「わちきがもそっと、注意を向けておくべきでありいした」

「夜桜さんだけの落ち度じゃありません。わたしも油断した。まさかマリちゃんが標的にされるなんて、思ってもなかったから」


 禅もまた、申し訳なさそうに告げた。


「マリちゃんも御劔くんも、陽の気が強くて確固たる『護り』が働いてる人だから、同席しても影響はないと思ったんだけど」

「ちぃと、勘定違いがありんしたな」


 夜桜の言葉に、禅も頷いた。


「でも、ある意味、必然だったのかもしれません。マリちゃんには、亡くなったおばあさんの守護が働いている。本来なら憑かれる心配のなかった彼女がこうなったのは、そういう『役目』を請け負うべくしてこの場に居合わせた、という意味だったのかも」

「そこまでの配剤は、わちきにはわかりんせんが、取りこまれた理由については明々白々でありんすな」


 ゆったりと応じて、夜桜は櫻李を顧みた。


「櫻李、ぬしの出番ですえ」



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