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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第7章
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(4)

現世(うつしよ)で生きるには、このはなはあまりに無垢で、儚すぎたのでありんす」


 夜桜はしめやかに述懐した。


「じゃあ、彼女の報われなかった想いがいまも残っていると?」


 櫻李の問いかけに、夜桜はすぐさまかぶりを振った。


「断ち切ることのできぬ想いを残してしがらみに囚われたのは、このはなではおっせん」


 己の不甲斐なさを恨み、悔やんで悔やんで、愛する女の死を受け容れられなかったのは、佐平次のほうだった。

 このはなは、精神(こころ)を病んでいたわけではなかった。患ったふりで、みずから進んで身を落とし、そうして得た『妓楼の外』という自由によって身投げの道を選び取った。


 大切に胸に(いだ)かれた小物入れの中身により真実を察した男の後悔と嘆きは、計り知れない。見世の二番手、三番手の地位をも脅かし、御職を張る夜桜に追いつかんばかりに仕事こなしたのも、すべては捨てきれぬ慕情を隠しとおし、想う相手を気取られぬよう守り抜くため。気鬱の病が嵩じたと見せかけ、じきに『張り見世』から『呼出し』にもなろうかという地位にまで登りつめておきながら局女郎に身を落としたのも、己の想いを貫くため。

 それはまさに、命を賭したひたむきな想いだった。


 決して染まらぬ気高き強情と、初心(うぶ)であるがゆえの一途な残酷。

 このはなは、そうして佐平次の心を絡めとった。


「それが、どうして兄貴に……」

「すべては、不幸な偶然が重なり合ったがゆえの不運でおだんした」


 現世に未練を留めた佐平次の想いが、もっとも強まるこのはなの命日。それと知らずに飲みに行った店先で、蓮爾と櫻李は見事に咲き誇る梅花を目にする。それにより、実家を離れてひさしい蓮爾の脳裡に、自室の窓から望む梅の木の姿が懐かしく思い起こされた。傍らには櫻李がいて、その櫻李の裡には夜桜が存在していた。

 期せずして、あの梅の木に宿っているものこそ、このはなの魂であるという。


「『このはな』は梅の別称。後の源氏名も『梅枝』。そしてこのはなの実の名は『うめ』。念願成就して苦界から解き放たれたこのはなの魂は、宿るべくして己の分身に心を預け、安らかなる眠りにつきいした」

「それが……あの木?」

「正確には、かの梅そのものがこのはなの化身というわけではおっせん。かの木は、その根もとにて彼方の世と通じておりんす」


 梅の木が植えられたあの場所の地脈が、ピンポイントで夜桜のいた世界と繋がっている――意味がわからない部分を細かく聞きこんでいった結果、判明したのは、どうやらそういうことであるらしかった。

 ただでさえ信じがたいオカルト話が、とうとうSFチックな展開になってきた。

 頭が痛くなる話の流れに、理性がいますぐにでも尻尾を巻いて逃げ出していきそうになる。それを、櫻李は強引に引っつかんで押さえこまなければならなかった。


 現実問題として、兄は見ず知らずの男の存在に悩まされ、命すら脅かされはじめている。そして自分はといえば、こうして目の前に、夜桜という鏡の向こうに浮かび上がった女と対面してしまっている。どんなに脳と理性が拒絶反応を起こしても、その事実だけは受け容れなければならなかった。


「じゃあ、あの木を通じて、過去と現在、ふたつの時間がリンクしてると?」

「そういうことになりんすな。ただし、わちきらの生きた時代の延長に、ぬしらの世界があるわけでもおざんせん」

「それって、どういう……」

此方(こなた)(のぼ)った先にある来し方は、わちきらの世界とは通じておりんせん。彼方の時代には、此方とは異なる現世が栄えておりんす」

「え、それってつまり、それぞれ別々の世界ってこと……っすか? 異次元とかパラレルワールド、みたいな?」


 思わずと言った具合に横から口を挟んだ斗真に、夜桜はこっくりと頷いた。


「そうざます」


 時空超越の次は、とうとう異次元、パラレルワールドまで登場してしまった。ここで脳の処理が完全に追いつかなくなった櫻李は、額に手を当てて俯いた。


 なんだこれは。オカルトか? SFか? それともファンタジーなのか?

 宇宙旅行も目前というこの時代に、いったいなんの因果でこんなわけのわからない事態に巻きこまれているというのだろう。


「サクラさん、大丈夫?」


 傍らから声をかけられても、答えようがない。


「あ~、いや……、うん……」


 大丈夫だともダメだとも言えず、櫻李は額に手を当てたまま返答に詰まって言葉を濁した。


「櫻李、難しく考えるのはよしなんし」


 混乱を深くする櫻李の耳に、その混乱の元凶である夜桜の声が凛と響いた。


「なにゆえかようなかたちで今生に蘇ったかは、わちきにもわかりんせん。なれど、答えの出ぬものを思い惑うたところで、どうにもなりんすまい。櫻李を通じて、此方の世のさまざまを、わちきなりに学びんした。人智を超えたる不可思議も、かほどに文明が進んだ世にあってなお、数多(あまた)に存在していんす。交じり合うはずのない此方と彼方がたまさかに通じ、交じり合うた。すべては深い(えにし)により引き合い、結ばれたのでありんしょう」


 顔を上げた櫻李を、夜桜は昂然と顎を逸らし、まっすぐに見据えた。


「櫻李、怖じ気が嵩じて、物事の本質から目を逸らすようなことがあってはいけんせんえ」


 生きては苦界――この世の辛酸を舐め尽くした人間の凄絶なるつよさが、そこに在った。


 常識にとらわれ、本質から目を逸らして事実を否定するようなことがあってはならない――

 禅たちを見送って自宅に戻った櫻李は、ひとり、梅の木のまえに立った。


 過去と現在。あちらとこちら。

 ふたつの世界を繋ぐ(もの)


 ひとりの男に心を捧げ、想いを貫いた女の魂が眠りについている。その一方で、そんな女に心を囚われ、この世に悔いを残した男の想いははくとなり、いまなお、己の生きた時代と場所を超え、見知らぬ世界を彷徨さまよいつづけている。


 生まれる場所や時代が違ったならば、ふたりは想いを成就し、幸せを得ることができただろうか。


 異空を繋ぐ偶然により、このはなはこの地で眠り、一方で姉とも慕われた夜桜もまた、鬼頭櫻李として生まれた己の中に別個の人格をもって覚醒した。過去世において深い縁を結んだふたりの女たちは、姿を変えて、ふたたびこの世界で巡り会った。

 ふたつの偶然が重なったことにより、偶然は必然となって現世を彷徨う哀れな男を呼び寄せ、梅の木(このはな)を懐かしむ蓮爾の心と共鳴した。


 ――(あね)様……。


 純粋に己を慕う、愛おしい妹女郎。

 みずから命を絶ったこのはなを想う夜桜の悲しみが、櫻李の胸にもひろがっていく。

 その幸せを、心から望んだ。

 己の味わったおなじ苦しみから、かよわき可憐な花を、できうるかぎり遠ざけておいてやりたかった。


 ――このはな、煉獄の苦しみに心を灼くのはよしなんし。わちきら女郎は、浮き世に散りゆく夜露のごとき儚き徒花(あだばな)。抱いた夢だけ悲しみも増す。夢も涙も誠も捨てて、我が身ひとつを武器に意気地と張りでよろわねば、修羅の世界を生き残ることなどできんせん。色恋に身を落とすなど、言語道断え。気概きがいをなくすは命取り。本気の心は捨てなんし。


 含めるように説いて聞かせ、けれども結局、言い諭して諦めさせることはできなかった。

 櫻李の胸の裡で、夜桜が梅の木に向かい、語りかける。


『このはな、幸せかえ? 一途を通したおまえの歓びが現れ(いず)るように、真白き花弁が毎年おまえの命日に花開く。もう、充分え? そろそろ佐平次を、底なしのしがらみから手放してやりなんし』


 伸ばして触れた手の内で、硬いはずの幹が、あたたかく息づくようにやわらかな波動を伝えてきた気がした。


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