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夢一夜~幽明に咲く花~  作者: ZAKI
第7章
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(3)

『……わちきは、今生に生を受けた櫻李の前身でありんす』



 そう告白した後に夜桜が語った内容により、今回の出来事の要因があきらかとなった。

 発端はやはり、3月の上旬にふたりで飲みにいった際の店先の梅にあった。


「あの日は、このはな・・・・の命日でありんした」


 このはなとは、吉原随一の大見世(おおみせ)、三浦屋の御職(おしょく)――すなわち娼家における最上位の花魁として名を馳せた夜桜の身のまわりの世話を勤めた振袖新造(ふりそでしんぞう)であったという。

 一人前に客を取るに至らない、突き出し(※後書き部分注釈ご参照)まえの女郎見習いの中でも、花魁候補として将来を有望視された新造のみが振袖新造として楼主のもと、さまざまな教育を施されることとなる。なかでも、器量、教養ともに幼きころより群を抜く存在だったこのはなは、引っ込み禿(かむろ)として楼主やその内儀(つま)の部屋である内証ないしょうに置かれ、格別に目をかけられていた。年を経て、吉原きっての大傾城けいせいと謳われる夜桜の新造につけられたことでも、楼主の期待の高さが窺える。


 素直な気質で己を一心に慕うこのはなを、夜桜も実の妹のように可愛がり、遊女として必要な素養を細かに手ほどきして学ばせていった。だが、ほどなくこのはなの身に悲劇が忍びよる。

 遊郭を支える若い()と呼ばれる働き手の中に、佐平次という男がいた。中郎ちゅうろうという役割を担う見世の雑役夫であったが、このはなは、いつしかこの佐平次に許されざる想いを抱くようになっていた。


 遊女と若い衆との色恋は、(くるわ)の掟の中でも筆頭にあげられる御法度ごはっと、最大の禁忌であった。

 このはなの抱く秘やかな恋心に、日頃、身近に接する姉女郎である夜桜が気づかぬはずもない。そして当然に、想いを向けられる佐平次自身も察するようになる。


 秘密が明るみとなれば、大ごとになるどころの話ではなかった。

 足抜け、(かどわ)かし、駆け落ちなどのあらぬ疑いでもかけられようものなら、佐平次は問答無用で殺される。このはなもまた、見せしめに、命に関わる折檻を受けることは必至であった。


 かなわぬ想いをそれと知りながらひた隠しにしようとするこのはなと、気づかぬふりを押しとおす佐平次。


 佐平次は次第にこのはなを避け、すげない態度を取るようになっていく。己の生命を惜しんだからではない。想いに応えたい。いつしかそう願うようになっていた愛しい女を案ずればこそ、その身を守らんとする、精一杯の優しさだった。


『このはな、(むご)いことを言うようでありんすが、煉獄れんごくの火にみずから灼かれるような真似はよしなんし』


 夜桜もまた、遠回しに説諭した。


『わかっていても、思うままにはなりいせん。人の心というのは、とかく難儀なもの。生まれては苦界(くがい)、死しては浄閑寺じょうかんじ――わちきら女郎の生きる世界には、わずかの光もおっせん。夢は夢のまま、いまのうちに儚きものと散らしてしまいなんし』


 情夫(まぶ)にすらできぬ相手を想い慕ってなんになろう。客を取るようになれば、このはなの苦しみがいや増すことは目に見えている。夜の世界で花開くには、このはなはあまりに無垢で、穢れがなさすぎた。

 夜桜の妹女郎として客に顔見せをする新造出しを経て、いよいよ水揚げの話が持ち上がるころ、このはなはついに、気鬱がこうじて病に臥す。その気鬱の原因が、運悪く楼主や遣り手の耳に入ってしまったことで、進退が極まる大事となった。


 このはなが恋慕する相手とはいったいだれなのか。場合によっては、もろともに八つ裂きにしてくれん。


 期待が大きかったぶん、楼主の失望と怒りは凄まじかった。だが、夜桜の懸命のとりなしにより、このはなは危ういところを命拾いする。

 からくも難を逃れたこのはなは、己の犯した愚をようやく思い知ることとなる。

 愛しい男の命までをも危険に晒すことはできない。さとったこのはなは、断腸の思いで未練を断ち切り、ほどなく初見世はつみせを迎えた。

 源氏名も『このはな』から『梅枝(うめがえ)』へとあらため、ついに独り立ちを果たしたこのはなが、夜桜に匹敵する上妓(じょうぎ)に登りつめるまでに、さほどの時間は要さなかった。いずれは夜桜をも凌ぐ稼ぎ頭となることを見込まれ、じっくりと育て上げられた三浦屋きっての御職候補である。前評判も上々であった新妓が売れっ()となるのは、必然のなりゆきであった。


 だが、華々しく売り出されたこのはなの妓楼での日々も、長くはつづかなかった。花魁として満開の花を咲かせる直前、このはなは精神(こころ)の均衡を崩し、惣籬(そうまがき)昼三(ちゅうさん)から切り見世(みせ)(つぼね)女郎へと瞬く間に身を落としていく。


 生きては苦界、死しては浄閑寺――

 春先のある寒い朝、鉄漿溝(おはぐろどぶ)に浮かぶ、ひとりの女郎が発見される。引き上げられた遺体(おろく)の手に大事そうに握りしめられていたのは、金の花唐草が描かれた漆塗りの小物入れ。中には、茶色く変色した懐紙が1枚、折りたたまれていた――



【注釈】

※突き出し…一人前の花魁として、水揚げを迎える日

※内証…楼主、内儀(楼主の妻)の部屋

※間夫…情夫

※遣り手…遊郭で遊女を管理・教育し、客とのあいだの仲介役などを務めた年寄り女

惣籬そうまがき大籬おおまがきともいう。娼家のランク。大見世と同意で、もっとも格式の高い遊女屋。入り口を入った部分の格子が上から下まで全面覆われている。半籬=中見世。惣半籬=小見世。

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