(1)
「ごはん、ごちそうさまでしたぁ。すっごくおいしかったですぅ」
「急に押しかけてきたうえに、遅い時間まですみませんでした」
「いいのよぉ。またぜひ、いつでも来てくださいねえ」
玄関先まで見送りに出た菊乃に、学友たちが挨拶をする。
「菊姫ちゃんもまたねぇ」
茉莉花に声をかけられて、菊乃の横にいた菊姫も嬉しそうに手を振り返した。そんな彼らを横目に、自分も靴を履いた櫻李は菊乃を振り返った。
「菊乃さん、俺、駅まで送ってくるから」
「はぁい、気をつけてねえ」
「ヒメ、おまえ先寝てろ」
「アイアイサー!」
賑やかに挨拶を交わして彼らが鬼頭家をあとにした時刻は21時過ぎ。
「あ~、でもいろいろすごかったねぇ。こんなこと言ったら鬼頭くんに怒られちゃうかもしれないけどぉ、でもやっぱり、おもしろかったぁ」
「マジびっくりだったよなあ」
興奮冷めやらぬ様子で盛り上がる茉莉花と斗真の後ろに、のんびりした歩調で櫻李と禅がつづいた。隣を歩く禅に、櫻李は声をかけた。
「今日はほんと、ありがとう。すごい助かった」
「こちらこそ、ごちそうさま」
「いや、遅くまで引き留めちゃって。家の人、心配してない?」
「平気。実家は地方で、アパートに独り暮らしだから」
「あ、そうなんだ」
「うん」
賑やかに盛り上がりつづける前方のふたりとは異なり、櫻李と禅は、ポツリポツリと言葉を交わす。いままで付き合ってきたどんな異性とも異なるタイプだが、禅の持つ、静かな空気と距離感がひどく心地よかった。
「サクラさん、大丈夫?」
「ん?」
「いや、結構衝撃が大きかったんじゃないかと思って」
「あー、うん。まあ、それなりに」
率直に心情に切りこまれて、櫻李はわずかに苦笑した。
「でも、助かったのは本当。原因がわかってホッとした」
「やっぱりすごいね」
「すごい? なにが?」
「一度腹据えちゃうと、男の人は強いなと思って」
「いやいやいや、全然!」
櫻李はあわてて否定した。
「メチャクチャ動揺してるし、いまでも正直、かなり戸惑ってる。ただ、そういうのがうまくおもてに出せないだけだから」
「そうなの? 落ち着いて見えるよ?」
「全然落ち着いてない。相当テンパってる。今夜、あの鏡覆わないと眠れないかも」
言って、寒そうに自分を抱きしめる櫻李を見て、禅はわずかに口許を綻ばせた。その表情に櫻李は思わず目を奪われる。そうか、彼女はこんなふうに笑うのかと、なんとなく得をした気分になった。
「あの、鈴原さん」
あらたまった呼びかけに、禅は櫻李を振り仰いだ。
「知り合ったばっかで図々しいとは思うけど、俺、こういうのはじめてだし、兄貴のこととかも、まだこれから解決しなきゃいけないことだらけで、どうしたらいいのかわからないからさ、悪いけど、このあともいろいろ付き合ってもらってもいいかな」
櫻李の顔をじっと視つめた禅は、やがて生真面目な顔でこっくりと頷いた。
「うん、わたしで役に立てるなら」
「ありがとう、すごく助かる。よろしくお願いします」
櫻李もまた、真摯な態度で謝辞を述べて頭を下げた。そんな櫻李を見て、禅はふたたび口角をわずかにゆるめた。
「サクラさんって、マリちゃんも言ってたけど、やっぱり結構イメージ違うね」
「そう? どんなふうに? っていうか、いつのときの印象?」
「構内で、わりと見かけてた」
「あ、そうだったんだ」
「うん。わたしはあんまり人と一緒に行動するほうじゃないけど、それでもそこそこ、サクラさんが噂されてるの耳にすることが多くて、騒いでる人たちが話題にしてる先に、とうのサクラさんがいることも多かったから、それで自然と見知ってたって感じ」
禅のようなタイプの学生にまで自分の存在が知れわたっていたかと思うと、なにやらいたたまれない気分になる。だが、禅はかまわず淡々と話しつづけた。
「なんか、いつも違う女の子連れてて、お洒落で華やかな感じなのに、楽しそうでも嬉しそうでもなくて、むしろ気疲れしてる印象があって。だからずっと、不思議だなぁって思ってた」
「え、俺って傍から見ると、まるわかりなぐらいくたびれた印象だった?」
「ほかの人の目にどう映ってたかまではわからない。でもたぶん、そんなふうに感じたのは、あくまでわたし個人の勝手な主観かな。綺麗な女の人たちに囲まれて、表面的には笑顔でいることが多かったから」
「でも、鈴原さんの目には、俺は疲れて見えたんだ」
「いつもたくさんの人たちに囲まれて、賑やかで楽しそうな雰囲気なのに、その中心にいるサクラさん自身は、あまり楽しそうには見えなかったかな。むしろ、その雰囲気を壊さないように気を遣って、無理に合わせてる印象だった」
よく知りもしないのにそんな目で見てたってわかったら、気分悪い? 真面目な顔で訊かれ、櫻李は苦笑交じりにかぶりを振った。
「全然。むしろよくそこまで見抜いたなって、感心した」
「当たってるんだ」
素直に言い当てられていることを認めて、櫻李は今度こそ、屈託のない笑顔を禅に向けた。