(1)
呼び出しを受けたときから、用件はわかっていた。
「ごめんね、櫻李。あたし、これ以上はもう無理っ。限界!」
涙ながらに言われた瞬間、ああ、やっぱり、と彼は思った。この先はもう聞かなくてもわかる。なぜなら、自分のまえから去っていった女たちは皆、判で押したようにおなじセリフを口にしたからだ。
「すっごくすっごく好きだし、ホントはいまだって別れたくなんかない。だけどもう、どうしても無理! 櫻李と付き合っていける自信ないっ」
そして最後の決めゼリフは決まってこうだ。
「だって、あたし、櫻李といると、女としての自分にどんどん自信がなくなっていくんだもんっ!」
わぁっ!と泣き崩れて、人生何番目だったかすでに思い出せない『カノジョ』だった女はクルリと身を翻し、そのまま勢いよく走り去っていった。
一方的に別れを告げられて勝手に泣かれ、その場に捨て置かれた側はといえば、呼び出された場所に出向いてから相手が立ち去るまでのあいだ、ただのひと言も発していなかった。
理由を問い糾すでなく、必死に縋りつくでなく、あわてて追いかけるでなく、ただボウッとその場に突っ立ってただけ。理由は、至極単純だった。デジャヴかと思うほど毎度おなじパターンが繰り返されるというのに、それをいまさら、わざとらしくあわてふためいて追い縋ったところでなんになろう。つまりは、そういうことだった。
来る者拒まず、去る者追わず。
付いた異名は『鬼ザル』。
なにやら『海猿』的カッコよさげな響きではあるが、なんのことはない。本名から取ってきた一字に皮肉のニュアンスを付け足しただけにすぎなかった。すなわち、フルネーム鬼頭櫻李の『鬼』に、『ザル』は猿ではなく、まんまザルを指している。ウワバミと同意のザルのことで、さらに捕捉するなら、いくら嗜んでも酔わないのは酒ではなくて女のことを指しているらしい。かててくわえて、そこには掛詞のように、もうひとつの意味合いも含んでいるのだそうで、いくらでも受け容れるように見せかけて、次々に女がやってきては素通し状態で未練もなく非情に捨て去っていく様子をも含んでいるのだとか。
未練もなく非情に捨て去っていく――誤解も甚だしいことこのうえない。噂のひとり歩きとはよく言ったものである。告白にせよ別れ話にせよ、能動的アクションを起こしているのはいつだって相手のほうで、一方的に見初められた挙げ句見切りをつけられ、捨て去られているのは、白眼視されているこちらのほうだというのに。
だがしかし、付き合った回数と別れた回数、両方の記録は進行形の状態でとどまることを知らずに更新されつづけている。それゆえ、誤解はいつまで経っても解けることはなく、噂もまた、デマだと証明することができないまま現在に至っていた。
だれが付けたのかは知らないが、悪意と嫉妬に富んでいながら、なかなか洒脱と言おうか妙味のあると言おうか。トンチの効いた、じつにうまい異名である。いや、褒めている場合ではないのだが。
櫻李はやれやれと嘆息してかぶりを振ると踵を返し、ようやく立ち尽くしていたその場から来た道を戻りはじめた。