(5)
「あ、ごめぇん。いきなり置き去りにしちゃった。ゼンちゃん、紹介するから。でもそのまえに、とりあえず座ろう?」
ちょうど先程のウェイトレスがふたりぶんの水と櫻李のアイスコーヒーを運んできたこともあり、櫻李は斗真の隣に移動しなおして、その向かいに茉莉花と『ゼンちゃん』と呼ばれた友人が並んで着席した。
「えーと、じゃあ、あらためて仕切りなおしってことで」
ふたりが注文を終えたところで、斗真が言葉どおり、ややあらたまった態度で口火を切った。
「今日は急な呼び出しにもかかわらず都合をつけてもらっちゃって、ほんとありがとうございます。で、こいつが今回、力を借りたいってことで話を持ちかけてきた友達の鬼頭櫻李」
有名だから紹介するまでもないと思うけど、という余計なひと言を無視して、櫻李は殊勝な態度でよろしくお願いしますと頭を下げた。
「そんで、こっちがさっき、もう自分で自己紹介してくれちゃったけど、おなじサークル仲間の真野ッチこと真野茉莉花さん。俺らと同級で学部は文学部の――あれ? 真野ッチって史学科だったっけ?」
「違うでしょお。あたしは国文科ぁ」
「ツルちゃん、しっかりしてよぉ」とおっとり口調でつっこまれて、斗真は「あ、そっか」と頭を掻いた。
「わりわり。一緒に来る子が史学科って聞いてたからさ」
「そうなのぉ。ゼンちゃんはおなじ文学部だけど、学科は史学科だから。般教でかぶって受講してるのがいくつかあったから、それで仲良くなったんだよねぇ」
ふわふわ乙女な茉莉花に笑いかけられて、一応うんと頷くものの、さっきからひと言もしゃべっていない『ゼンちゃん』はニコリともしない。素っ気ない態度に無愛想な表情。並んで座るふたりのあいだに共通点はまったく見当たらず、本当に仲がいいのだろうかと疑問に思ったが、女子の『仲良し』は正直なところ男にはよくわからない。そしてそれ以前に、いまはそんな些末な話はどうでもいいことだった。
「あ、それでぇ、紹介が遅くなっちゃったけど、彼女が噂の鈴原禅ちゃんでぇす。って、勝手にいないところで噂しちゃってゴメンねぇ、ゼンちゃん。でも、全然悪口じゃないんだよ。すごいって褒めてたんだからね?」
ニコニコと話す茉莉花の横で、『ゼンちゃん』はやはり愛想笑いひとつ浮かべるでもなく無愛想に、かといって気分を害しているふうでもなく頷いている。まったく気にするそぶりのない茉莉花の反応を見ると、これが彼女の普段どおりの態度なのだろう。
キリッとした眉が凛々しく、引き結んだ口許にも眼差し同様、意志の強さが窺える。地味ではあるが、貌立ちは決して悪くはない。だが、これまで櫻李が身近に接してきたどの女の子たちとも、あきらかに一線を画すタイプだった。櫻李の周りにいた彼女たちは皆、少しでも自分をよく見せようと流行のファッションやメイクなどを積極的に取り入れ、己を磨くことに熱心だった。そういったことに無関心で、あまつさえ櫻李を目の前にしても色めき立つことなく、なんの媚びも浮かばない異性、というのがとにかく新鮮だった。
「あのねえ、ゼンちゃんはこのとおりすっごく無口なコなんだけどぉ、自分をひけらかさないぶん、すっごく信頼できるし、自信を持ってオススメできるから、鬼頭くんも安心して相談してね」
無邪気な笑顔を斜向かいから投げかけられて、櫻李は「あ、うん」と言葉少なに応じる。そのうえで、正面に座る相手にももう一度、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「ゼンちゃんてねえ、こんな感じだから誤解されるとこもあるけど、ほんとはすっごく優しいんだぁ。最初はあたしもちょっととっつきづらくて怖い人かなぁって思ってて、学科も違うし、全然しゃべったこととかもなかったんだけど、あるとき突然、ゼンちゃんのほうから声かけてきてくれてね。次の講義はノート取っておいてあげるから休んで、早く病院に行ってあげてって言われたの」
ちょうど運ばれてきたキャラメルマキアートに、茉莉花はさらに、添えられていたスティックシュガーをまるまる一本加えた。鈴原禅のほうはといえば、ストレートのアールグレイ・ティーがそのまま置かれている。そして、話題になっている自分の話にも、たいして興味がなさそうな様子で座っていた。
「あたし、そのおかげで大好きなおばあちゃんの最期に立ち会えたんだぁ」
甘いコーヒーを満足そうに啜る茉莉花に、斗真が「それだ!」と指さすように立てた人差し指を向けた。
「真野ッチが話題にしてたのって、その話だったよな」
「そお。あたし、こんな感じでふわふわしてるから、結構口も軽そうに思われがちなんだけど、おばあちゃんのこと、だれにも言ってなかったんだよねぇ。病気で入院してて、学校の帰りとかにもときどき様子見にいったりしてたんだけど、もう長くないって言われてても、そういうの、実際だれかにしゃべっちゃうと、その時期が早まっちゃいそうで怖くて言えなかったんだぁ。なのにゼンちゃん、見事に言い当てちゃうんだもん。すごいビックリしちゃったぁ」
あのときはホントありがとね。あらためてお礼を言われても、鈴原禅は小さくかぶりを振るだけで殆ど反応しない。茉莉花はそれでも、気にした様子もなく話をつづけた。
「それからねぇ、ほかにも別のコに、『モッチーがバイト行かないほうがいいって言ってるよ』って言ったら、そのバイト先のお店に、夕方車がつっこんじゃってニュースになったりとかねぇ」
「モッチー?」
「あ、うん。そのコが子供のころに飼ってたウサギの名前だったんだってぇ」
「ウサギ……」
「そお。なんでゼンちゃん――鈴原さんがそんなこと知ってるんだろうって、すっごい驚いてた。そんで、とりあえずなんか気になるからっていうんで忠告にしたがってみたら、その日の夜のニュース見てさらにビックリ、みたいな? なんかねぇ、とにかくそういう系の話がいっぱいあるのがゼンちゃんなんですぅ」
ニッコリ笑って説明を終え、茉莉花は櫻李に向かって首をかしげた。
「鬼頭くんは、お兄さんのことでなんか困ってるんだっけ?」
「あ、うん、まあ……」
「鬼頭くんのお兄さんともなると、やっぱりすごくカッコイイんだろうねぇ。社会人?」
「そう、俺より7コ上。俺は実家住まいだけど、兄貴はもうとっくに独立してる」
「ふ~ん、そおなんだぁ」
甘い口調でおっとり相槌を打った茉莉花は、隣に座る女友達を顧みた。
「いまの段階で、なんかわかることある? ゼンちゃん」
唐突に訊かれて、テーブルの上に目線を落としていた禅は、まるで居眠りからたったいま目覚めたようにゆっくりと顔を上げた。その目が、かけている眼鏡のレンズ越しにじっと櫻李を視つめる。ついさっき、はじめて目が合ったときとおなじ眼差し。その口が、やがて小さく言葉を紡いだ。
「……とりあえず、梅の木を見せてもらうことは、可能?」
櫻李の心臓が、その瞬間にドクリと跳ね上がった。