(4)
隊で幽霊騒動が起こっている。目撃証言も相次いでいる。兄に至っては、夢にまで毎度その男が現れている。そしてじつは、自分こそがその騒動の中心にいるのではないかと、もろもろの状況から判断せざるを得ない状況になっている。
そこまではかろうじて認めることができた。だが、現役の戦闘機乗りが『霊に取り憑かれている』、などというオカルトチックな現象は、どうにもこうにも受け容れがたかったようである。苦悶のしかたが心底嫌そうで、拒絶の気配に満ち満ちていた。
こんなことを訊いている櫻李自身、その手の話は眉唾物と思っているクチなので、兄の気持ちはわからないでもない。だいたいにして、鬼頭家のだれひとり、そんな体験や能力――いわゆる『霊感』ということになろうか――とは無縁なのである。いきなり怪しい方向に話が展開したからといって、すぐさま非科学的な現象と結びつけるのは如何なものかと櫻李ですら感じているのだから、当事者である蓮爾にしてみれば、容認しがたいことこのうえないだろう。しかし、それでも気になることは確認しておかなければならなかった。
「ごめん。俺も全然、霊とか信じてるわけじゃないんだけどさ。とりあえず、少しでも手がかりになりそうな要因を見つけるためにも、疑わしい部分は訊いとかないと」
櫻李の言葉に、蓮爾はなおも嫌そうな様子を見せつつ否定した。そんな胡散臭い場所には、これまで一度たりとも足を運んだことはない、と。
「だいたいおまえ、仮にそういう場所に行ったことがあったとしたって、わざわざ俺を選んで取り憑いたりはしないだろ。霊感ゼロ。それどころかこの世の怪奇現象全否定。そして俺は男。向こうも男。もし仮に俺が取り憑くなら、自分好みの可愛い女の子にするね」
そんなふうに自信満々に胸を張って断言されても、反応に困る。櫻李はその男ではないのだから、兄を選んだ理由など答えようもなかった。
そもそも、怪奇現象全否定の人が、もし自分が取り憑くなら、と仮定している時点で矛盾も甚だしい。そのあたりにすでに、兄の動揺ぶりが窺えた。
ツッコミどころはそれこそ満載なのだが、いまはとりあえず、そのへんのことは聞き流すことにした。
「兄貴、怪奇現象かどうかを断定するのは後回しにして、実際問題として、さっきも言ったとおり、起こっている現象の原因をつきとめる判断材料は集めようぜ?」
「判断材料ねぇ」
なおも納得しがたい様子の蓮爾に、声が聞こえてるのは事実だろ、と指を突きつけると、さすがにぐっと詰まって押し黙った。
「で、そいつに気がついたのっていつごろ? いや、まず夢を見たのが先だったよな。それっていつ?」
「いつ、だったかな」
考えこみかけて、蓮爾はふと目の前の弟に向きなおった。
「櫻李、おまえさ、なんか変じゃないか?」
「え、なにが?」
「なんでそんな親身なんだよ」
「なんで、って、兄貴が困ってるんだからあたりまえだろ?」
「いいや、おまえが兄ちゃんのために、こんなに熱心になるのはおかしい!」
ズバリ否定プラス断言されて、櫻李は仰け反った。
「なっ、なんでだよっ!」
「おまえ、人当たりは悪くないが、基本的に他人には淡泊で無関心だろが。それがなんだって今回にかぎり、こんなに親身になってる」
「失礼だな。ひとを自己チューの冷血人間みたいに言うなよ。っていうか、他人に関心があるない以前に、兄貴のここ最近の動向がおかしいうえに、こんな奇妙な話聞かされたら気になるに決まってんじゃん。仕事は順調、なんの問題も抱えてないって断言した直後に、蓋開けてみればこんななんだから」
即刻反論したものの、実際、図星の部分もあるため、いつも以上に食いつきがいいことは否めなかった。
自分自身が今朝がた見た夢が、やけに生々しい印象を残して奇妙な感覚をおぼえていた。そのため、『夢』というキーワードに必要以上に反応してしまっていることは事実だった。
決まり悪さも手伝って、櫻李はやや怒ったような、つっけんどんな態度で応じてしまった。
聞けば聞くほど胡散臭い話だというのに、なぜか腑に落ちている部分がある。そのこと自体にも、自分ながら納得がいかなかった。
非番のたびごとに帰省するようになった兄の様子がおかしい。そのきっかけとなった夢を毎回見るようになったということも、普通一般ではあり得ない現象である。あまつさえ、その夢に出てくる人物の声が頭の中で聞こえるようになったともなれば、これはもう、一も二もなく脳神経外科もしくは精神科、心療内科に駆けこむ必要がある状態としか思えない。それなのに――
櫻李はいつのまにか、自分が窓の外の梅の木に視線を送っていたことに気がついてギクリとした。意識してではない。無意識だからこそ気味が悪かった。気がつくと、なぜかあの木に吸い寄せられている。どうして……。
「梅の時期……」
ポツリ、とした呟きに、今度こそ櫻李は本気でビクッと躰をふるわせて兄を顧みた。
「……え?」
「いや、おまえと直近で外で飲んだのって、ちょうどそういう時期だったなって」
兄の言おうとしていることが、すぐには理解できなかった。
兄と外で飲んだのは、たしか3月の上旬あたりだったか。櫻李の誕生日が4月のあたまで、まだだいぶ早いが前倒しで祝い酒を飲みに行こうと誘われたのがそのころだった。ちょうど予定が空いただけのことで、呼び出す理由に体よく誕生日を持ち出されたわけだが、奢ってもらえるならば呼ばれる側に異存があろうはずもない。しかたなく兄の甘言に乗せられてやるのだ、というふうを装って出向いたところ、自分から言いだした手前もあったのか、蓮爾はいつもより数段上のランクの、落ち着いたバーに櫻李を伴った。
静かで大人な雰囲気が漂う、櫻李の年齢ではいささか気後れするような雰囲気の店構え。蓮爾にしたところで、世間一般ではまだ充分若輩の部類に属すだろうに、普段いったい、どういう相手と足を運んでいるのだろう。ひどく物慣れた様子の兄を見て、櫻李はひそかに思ったものだった。そして、そこまで考えて、ふと思い出す。
そうだ、あの店……。
入店したすぐの場所に、大人の男の腕で、ひと抱え以上もあろうかと思われる大きな花器が設置され、そこに花が生けられていた。なかでもいちばんの存在感を示していたのが、いまを盛りと咲き誇る、見事な枝振りの白梅だった。
『そうか、もうこんな季節だったか』
その梅を見て、たしかに蓮爾も懐かしそうに呟いていた。おそらくは、家の庭を思い出してのことだろう。兄の口調からそう推測して、「たまには帰ってくれば」と櫻李も言葉をかけた。兄もまた、それに対して「ああ、そうだな」と目を細めていた。
「そうだ、あの晩がはじめてだった気がする」
蓮爾はポツリと呟いて頷いた。
「え、俺と飲みに行った晩? そっから夢を見はじめた、ってこと?」
「ああ、そうだ。間違いない。あの日からだ」
櫻李を顧みて、蓮爾はあらためて確信をこめて頷いた。
「なんでそんな、はっきり断定できんの?」
「そりゃあおまえ、あの店の梅見て、実家の自分の部屋から見える庭のこと思い出した晩に、その梅の木が出てくりゃ間違えようが――」
「えっ!?」
「え?」
兄弟そろってコントのようなやりとりになってしまった。櫻李は兄の話の内容にひっかかり、蓮爾は弟の、必要以上に大きなリアクションを意外に思って、それぞれ顔を見合わせた。
「兄貴の夢に、出てくんの!? あの梅の木が?」
ビシッとばかりに窓の外を指し示した櫻李の指先を見て、蓮爾はわずかに首をかしげた。
「俺、言わなかったか?」
「聞いてねえよ!」
思わず声高に言った直後に、櫻李はがっくりと肩を落とした。
「兄貴、ほかにまだ言ってないことは?」
「え? 夢の内容でか?」
「その声の主のことも含めて!」
「ん~と、そうだな。俺が思うに、やはり現代人、ではない」
「服装が、時代劇の町人風だから? 役者ってことも考えられるんじゃないの?」
「いや、口調が全然違う。あとは、流れこんでくるイメージ、だな」
「イメージ?」
「テレビや映画みたいにはっきり見えるわけじゃないけどな。そいつが抱いてる、自分が馴染んできた情景とか、日常的感覚、みたいなもんかな。そういうのが、いまの時代とはまるで噛み合ってない」
答えながら、実際にそのイメージをできるだけ明確に掴もうとしているのか、蓮爾は眉間に寄せた皺を深くした。
「で、いまも聞こえてんの? 俺とこうやって話してる最中とかも」
「いや、それがいまは、まったく聞こえない」
蓮爾は断言した。そして、あらためてしみじみと櫻李の顔を眺めやった。
「な、なに?」
「いや、なんつうか、俺が帰ってくる理由のひとつに、おまえも関係あるんだよなぁと」
「え、俺?」
「なんでだろな。おまえの顔見ると、落ち着く?」
「兄貴、ゴメン。俺、ソッチの趣味は……」
「ついこないだ夜這いかけてきた奴が、いまさらなにを言う」
「だからあれは違うって!」
すかさずからかい口調で切り替えされて、櫻李は断固否定した。だが、兄はすぐに真顔になると小さく息をついた。
「なんなんだろうな。この家に帰ってくると声が熄むんだよ。でもって冗談抜きで、おまえを見るとホッとする。もちろん、妙な感情とは無関係だからな。実の弟のおまえに邪な想いを抱くほど、俺は男として終わってないし不自由もしてない」
凄味を利かせてしっかりと釘を刺したあとで蓮爾は腕を組み、なんなんだろうな、これ、と難しい顔で考えこんだ。そして、
「だいたい菊姫の奴は、なんで知ってたんだ?」
ボソッと独りごちた。