彼の悩殺ボイスで目覚めちゃいました
四月中旬、うららかな陽気のある日、私は校舎裏にいた。
いつの間にか机に入っていたメモを確認する。ノートの切れ端を破ったもののようだ。
『新名泉子さんへ。今日の放課後、西校舎裏の花壇に来てください。大切なお話があります』
何度見ても差出人の名前がない。
一画一画力強く書かれた字から男の子だと思うんだけど……。
私は花壇のそばに立ち尽くして周りを何度も見渡した。たまに人が通りがかっても、私には目もくれない。誰かが近づいてくる気配もなかった。
もしかして悪戯だったかな?
いやだな、もう。高校二年生にもなって幼稚な。
……あれ、胸が痛い。ぽっかり穴が開いたみたいだよ。
べ、別に告白されるかな、とか期待してたわけじゃないんだからねっ!
「待たせてごめんなさい」
声は校舎の方から聞こえた。はっとするほど柔らかい声音に私は息を飲む。
私が振り返るのと同時に、一人の少年が躊躇いなく窓枠に足をかけ、上履きのまま地面に飛び降りた。
「びっくりさせちゃいました?」
「は、はい……そりゃもうね」
少年はにやりと笑った。悪ーい、と囃し立てたくなるような黒い笑顔だ。
とはいえ、顔立ちそのものは端正だった。
目元は涼しくきりっとしており、鼻筋も綺麗。ダークブラウンに染めた髪はさらさら。肌は青白く不健康そうだけど、傷もニキビもなく清潔な感じ。見た目は冷たそうな印象なのに、声はやたら優しい。その差がミステリアスだ。
まぁ、何にせよ、十人中九人の女子が合格判定を出すレベルのお方だ。
そんなイケメンがなぜ私を呼び出し、ダイナミックな登場をしたんですか。
「えっと……?」
「ああ、俺の名前? ひどいな。さっきまで同じ教室にいたのに」
「ご、ごめん。私、人の顔と名前を覚えるの苦手で」
というか、男子と目を合わせるのが苦手で。
そうか。クラスメイトか。
まだほとんど覚えてないや。マジでごめん。
「俺は真鍋歩っていいます。よろしく、新名さん」
「よ、よろしくー」
私がなけなしの社交性をかき集めてにこりと微笑むと、彼は薄い唇の端を持ち上げた。いちいち意地悪そうに笑わないで。なんか怖い。
「さっそく用件話しますね。好きです。俺と付き合ってください」
「……は?」
「俺と付き合ってください。大事なことなので二回言いました」
私はきっかり一分間、世界を彷徨った。インドやカナダで自分を探し、大気圏を突破、ついでに黄泉の門らしきものまで見た。
あ、死んだはずのひいおじいちゃん? まだ来るなって? 分かったわー。
「新名さん、答え聞かせて?」
真鍋くんの優しい声で正気に戻る。
「は、はい。お願いします!」
即答だった。
十七年の人生で初めて男の子から告白された。舞い上がってしまい、ついOKしていた。
私は彼のこと何も知らないのに。
いくらかっこいい人だからって、ちょっと軽率だったかな。
告白されたドキドキよりも、今は罪悪感と不安でドキドキしていた。
あれ? でも彼も私のことなんて知らないんじゃないの?
だって喋ったことないはずだもん。
「ふふ、ありがとう。じゃあ今日から毎日お喋りして帰ろう。お互いのこと知らなきゃ」
真鍋くんは目を細めた。まるで私が交際を了承することを確信していたみたいに。
よほど自分の見た目に自信があるのかな? まぁ、あってもおかしくない。
校門を出て、二人並んで歩く。
うちの高校は、というか私の暮らしている町は超ど田舎です。電車の駅も一つしかない。かろうじてコンビニらしきものはあるけど十一時で閉まっちゃう。
山に囲まれていて、市内をぶった切るように大きな川が流れている。
好きな教科や担任の先生について他愛ない雑談をしているうちに、人気のない河川敷に差し掛かった。
「真鍋くん。あの……どうして私に告白したのか教えてくれない?」
「それOKしてから聞くこと?」
悪戯っぽい瞳が私をからかう。
「ごもっともですわ」
「まぁ、今気分が良いから教えてあげる。ごめん、顔がタイプだったからなんだ。新名さんの中身のことは全然知らない。俺って帰宅部だし、せっかく金あるし、フリーでいるのもつまんないじゃん。この前まで付き合ってた子は嫉妬深くてダメになっちゃったからね」
お、おう、あけっぴろげだな。
それにしても、自己採点五十三点の私の顔がタイプ? 信じられない。
私は失礼を承知で問うた。
「もしかして、誰でも良かったのかな?」
「そんなことないって! 新名さんのこと本当に好きなんだよ。同じクラスになったって分かって、すごく嬉しかった。本当に、ずっと見てても飽きない顔です」
真鍋くんは恍惚とした表情を浮かべ、身震いした。なんか感じてるっぽい。
え、もしかして性格とか性癖がアブノーマルな人ですか。期待に応える自信ないんだけど。深刻な身の危険を感じるんだけど。
「じゃあ新名さんは? どうしてOKしてくれたの? やっぱり顔ですか?」
茶化すような真鍋くんの問いに、私は首を横に振る。
ここは私も正直に答えよう。
「……声。真鍋くん声、好きだなって思ったから」
「そっかぁ。よく言われる。優しげな声に騙されてついてきちゃったって」
笑えないぞ、と内心震えながら私は笑った。
交際は順調に進んだ。
最初は同じ教室にいるだけでドキドキした。周囲には付き合っていることを隠していたのでなおさらだ。
授業中にちらりと盗み見ると、真鍋くんは大抵私を見ていた。目が合うとにやっと白い歯を見せて笑う。毎日楽しそうだ。
「真鍋ってさ、ちょっと怖いよな。人当たりはいいのに」
「そうだな。ああいう奴が将来犯罪者になったりするかも。近づかない方がいい」
付き合ってすぐの頃、クラスの男子が噂してるのを小耳に挟んだ。怖いという言葉には激しく同意。
でも、彼の悪口は許さないぞ。恋は盲目っていうからね。ちょっと言動が怖いところも素敵に思えてきた。
てかクラスメイトに犯罪者ってひどくない?
まぁ男子とバトルする勇気はないので、そっと睨んでおくに留めた。
休日デートもたくさんした。
週末は駅前のファミレスや喫茶店、または山の方にある自然公園で過ごした。田舎ゆえに若者が長時間過ごせる場所なんて限られるのだ。
「新名さん、結構頭良いね」
「失礼な。こう見えてもやればできる子だから」
駅前の店では宿題をやったり、雑談をしたり。
「今日もポカポカいい天気だ。すっごく眠い……あー、明日学校行きたくない」
「五月病? ウチのクラス、流行ってるよね。感染するのかな? 私も休みたくなってきたー」
自然公園では日向ぼっこでダメ人間度を高めた。
私は自然公園の方が好きかな。空気が綺麗だし、ファミリーがたくさんいて微笑ましい。
それに飲食店に入ると、いつも真鍋くんが支払いをしていて申し訳ない。
「気にしないで。俺、金持ってるから」
「もしかしてバイトしてる? そんな時間ないよね?」
放課後も土日もほとんど一緒にいる。働いている様子はない。
真鍋くんは黒い笑顔を浮かべた。
「趣味が収入に繋がることが多いんだ」
「なに? 株投資でもやってるの?」
真鍋くんは私の耳もとでそっと囁いた。
「今は秘密。でもいつか絶対教えてあげる。驚くと思うよ。楽しみにしてて。ね?」
……ああ、やっぱり良い声だな。悩殺だわ。
そんなこんなで私はバラ色の高校生活を送っている。
真鍋くんって本当に私のこと好きみたい。いろいろなことを加味して謎の人という結論を出さざるを得ないね。
心の隅で罰ゲームとかじゃないかなってずっと心配してたんだけど、杞憂に終わりそうだ。
世の中には変わった趣味の男性がいるんだねぇ。勉強になったし、得した気分だよー。
真鍋くんは紳士だ。
言動こそチャラいけど、むやみに体に触れてこないし、手を繋ぐ前にはちゃんと許可を取ってくれる。
どんなに話が盛り上がっていても、暗くなる前に家の近くまで送ってくれる。狼になったことは一度もない。
もう少し話したい、と私がお願いしたときも、にべもなく断られた。
「ほら、二月の終わりにこの町で起きた事件の犯人、まだ捕まってないでしょ? 危ないじゃん」
「あー、春が近づいた途端、物騒になったよね。犬猫いじめとか、小さい子を暗がりに連れ込んで泣かせた不審者とか、夜道で若い女の子狙った強盗とか。まだ捕まってないんだ。知らなかった」
真鍋くんはぞっとするような笑みを浮かべた。
その時、少しおかしいな、と思った。
なぜそこで笑う? 不謹慎じゃないかな。
私の疑心のこもった瞳に気づいて、真鍋くんは諭すように優しく告げた。
「新名さんさ、もう少しニュースに関心持ってよ。きみも若い女の子で、いつ狙われてもおかしくないんだよ? 夜歩きはダメ。毎日送ってる身にもなってほしいな」
「う。そ、そうだね。それは反省する」
「俺以外の男に触れさせたくないんだ。傷つけられないでね? すっごく大事です」
彼氏様から甘いお言葉をいただいた私は、ちょっと前に抱いた違和感なんてすぐに忘れてしまった。
こんな素敵な彼氏がいて私は幸せだよ。うん。
五月のとある休日、私たちはいつものように喫茶店でだべっていた。
古きよき時代からありそうなお店だ。カウンターの向こうでマスターが平然とテレビを見ている。
コーヒーが美味しいお店だと真鍋くんは気に入っているけど、私は飲めないから残念だ。いつか飲めるようになってよ、と真鍋くんはいつも苦笑する。
「あ、ごめん」
真鍋くんは鳴り出した携帯電話を片手に席を外した。
私はぼんやりと店内を見つめる。今日はお客さんが少ないな。いつもはもっと賑わっているから、遠慮なく真鍋くんと学校の噂話とかできるのに。
暇な私はアホみたいに口を開けて、テレビに映るニュース番組を眺めていた。
『今年の二月、××市内で起きた連続通り魔強盗事件の続報です』
見覚えのある景色だった。てか、ウチの町の河川敷じゃん。
身を乗り出した瞬間、画面に映った写真を見て、私は息を飲んだ。
「あー、観ちゃったか」
背後から諦めを含んだ声が聞こえた。真鍋くんだ。
彼はいつもみたいに悪い笑顔ではなく、今にも泣き出しそうな顔をしていた。私を失うことを恐れているのだ、と直感的に分かった。自惚れていてすみません。
「しょうがないね。ここじゃ話せない。外に行こう」
真鍋くんが小声で言い、私は頷く。
すでにテレビは他のニュースに移り変わっていた。小さな田舎の事件に割く時間なんてないってことかな。私にとってはすごく身近で大切なことなんだけど。
てか、当事者なんだけど!
真鍋くんは一人分の会計を済ませた。私は静かにその様子を見ていた。
ニュース番組に私の顔写真が流れた。
市内の高校生・新名泉子さんが刺され、金銭を強奪された事件、とアナウンサーは言った。
私は通り魔事件の被害者。
そしてあのニュースは犯人の逮捕を告げるものだった。
連行されたのは名前も知らない、会ったこともない冴えない男だった。
私の頭によぎった疑問はただ一つ。
真鍋くんっていったい何者?
幽霊の私と付き合うなんて、正気の沙汰じゃないよね。
まぁ、私も自分が幽霊だってことにさっき気づいたんだけども。
私は彼の隣で膝を抱えてちょこんと座っている。こうしてよく見ると、自分の体がぼんやり透けているのが分かった。足の先なんてほとんど見えない。幽霊に足がないって本当だったんだね。死んでから知識が増えても仕方ないわー。
ここは河川敷の芝生。周りに人の気配はない。ここが犯行現場らしい。
真鍋くんは困ったように頭を掻いた。
「どこから話そうか。新名さん、本当に何も覚えてないの?」
「うん。ごめんね。さっぱりなの」
じゃあ最初から話そうか、と真鍋くんが弱々しく言った。
「二月二十日の夜、コンビニから帰る途中で新名さんは連続通り魔に遭遇し、ナイフで腹部を刺された。どうも犯人は金よりも女性を傷つけることが目的だったみたいだ。きみの前の被害者も、腕とか足とかを切りつけられてから、バッグを強奪されたらしいから」
「えー、私、お腹刺されたの? 私だけお腹?」
「犯行を繰り返すうちにエスカレートしていっただけで、他意はないと思うよ。犬猫いじめも小さい子を恫喝したのも、あの男みたいだから」
「さいですか。クズだね」
そんな男に殺されたなんてショックだよ。
「犯人はこの河川敷で新名さんを刺して、財布を盗んで逃げた。実は、救急車を呼んだのが俺なんだよね。元カノとのデート帰りにここを通りがかった」
「あ……そうだったの? 面倒かけてごめんね」
真鍋くんは首を横に振った。
「新名さんが謝ることじゃない。面倒事には慣れてるし。昔から霊感がめちゃくちゃ強くて、そういう分野で困ってる人に頼まれ事されるんだ。趣味みたいなもんだね」
「……あ、それが収入の秘密?」
にやりと笑う真鍋くん。ようやく彼らしくなってきた。
「それじゃ、びっくりしたんじゃない? 私が教室にいて」
「そりゃもうね。新名さんったら、進級してからも二年生の教室来てるからさ。あ、多分気づいてないなって思った。結構そういう霊って多いんだ」
ん。ということは。
「真鍋くんって年下なの?」
「そうですよ。先輩は十七歳の三年生です。気づくの遅いって」
呆れられてしまった。
私も自分の馬鹿さに仰天。
たしかに私、物事を自分に都合の良いように解釈してた。
まだ二年生だって思い込もうとしていたみたい。
そりゃ二回目だから宿題も分かる。やればできるっていうか、やったからできるって感じ。
レストランでも喫茶店でも、当たり前のように何も注文してなかったわ。
食べられないもんね。
「新名さんは自分の状態にも、俺以外には見えてないってことにも気づいてなかった。もしかして新名さんも周りの人間が見えてないんじゃないかと思って、呼び出して派手に登場して存在をアピールしたわけです」
あの校舎からの登場にそんな意味があったとはね。
「でも、分かんないな。どうして幽霊の私に告白して付き合おうとしたの? 何の意味が?」
他の人に私は見えない。なのに真鍋くんは普通に笑いかけたり、お話しながら帰っていた。クラスメイトから「怖い」と言われるわけだ。今誰に向かって笑ったの、とみんな戦慄していただろう。
ふと気づけば、真鍋くんが頬を染めていた。珍しく普通に照れている。
「……本当に一目惚れだったんだ。道に倒れてるのを見たとき、なんて可愛い顔で寝てるんだろうってさ。だからクラスメイトになれて嬉しかった」
やっぱりちょっと怖いな、この子。
初対面の時、血まみれだったと思うんだけど。
「その日から新名さんのことしか考えられなくなって、何度も病院にお見舞いに行ったよ。声もかけた。何度も、何度も、早く目を覚ましてくださいって。俺があまりにもきみに夢中だったから、そのときの彼女にフラれちゃった。あの子には少し悪いことをしたね」
驚く私を見て、真鍋くんは頷いた。
「新名さんが俺の声が好きだって言ってくれて、死ぬほど嬉しかったよ。ちゃんと聞こえてたんだって思ったからね。俺もきみの生の声を早く聞きたいな。だから、もう目を覚ましてよ」
「……私、生きてるの?」
真鍋くんは頷き、教えてくれた。
私とのデート先はこの町で最も人が多い場所を選んだ。犯人を見つけられるかもしれないからだ。
犯人を逮捕できれば、私が安心して体に戻れると思ったらしい。
逮捕前に私が幽体離脱していることを教えたら、不安と恐怖で容体が急変するかもしれない。
実際の私は、犯人の顔どころか刺されたことも覚えてなかったんだけどね。
事件のことを思い出して手がかりを教えてほしいけど、怖がらせるのは危ない。
真鍋くんはジレンマに陥っていた。
デート中もずっと苦しんでいたのだ。
「気づいてあげられなくて、ごめんね」
本当に、ポンコツでごめん。
真鍋くんは私の頭をそっと撫でた。霊体に触れられるなんて、本当に霊力が強いんだな。とても温かくて気持ちがいい。優しさに溢れた手だ。
真鍋くんは怖くなんてない。
「新名さん。ご両親も心配してるよ。きみの傷はもう癒えていて、あとは目を覚ますだけなんだ。いつもみたいに一緒に登下校しよう。今日のデートもやり直さなきゃ。俺がずっと隣にいて守る。もう二度と怖い目には遭わせない。もう怖いことなんて何もないから」
私は声も出せなかった。
涙が溢れて止まらない。間違って成仏しちゃいそうなくらい嬉しいよ。
私が「うん」とにっこり笑った瞬間、全身がふわりと軽くなった。
魂が体に戻ろうとしているのが分かる。
「おはようを言いに行くから、待ってて」
真鍋くんの優しい声が聞こえる。
目覚めるのが楽しみだ。
お読みいただきありがとうございました。
使い古されたネタですみません。